セックス依存症から抜け出せない自分が恥なのか、それともセックス依存症に陥ったことで人として愛を求めることを忘れてしまった自分が恥なのか. デビッド・ドゥカブニーを始め、マイケル・ダグラスやタイガー・ウッズ、そしてビル・クリントン元大統領までがその症状で苦しんだと言われるセックス依存症. 改めて男性にとってセックスとは精神状態のバロメーターだと思えた映画でした. 男性の身体には2つの頭があります. 一つは脳を収めている頭部、もう一つは亀頭という名のイチモツ. これらは時として別々の回路で動く反面、どちらも心の状態によってその機能が著しく変化するもの. そんな男性にとってセックスというのは、ある意味心に溜まった感情を愛液と共に吐き出す作業. 好きな女性と交われば愛情を愛液という形にし、自慰行為や行きずりの交わりならば愛液と共に欲望を吐き出す. でもだからこそ吐き出す愛液の量と感情の量のバランスが崩れると、精神と身体のバランスがおかしくなるのも事実. 下半身の脳は必ずしも上半身の脳の命令を聞いてくれるとは限らない分、ヌいてもヌいてもヌき足らない事態が起こることもあるんですよね. しかも面倒なことに男性の場合、愛液の弾切れと補填待ちという事態も起こります. いくら銃筒だけが元気に復活しても弾切れでは文字通り「空元気」. これでは女性を満足させることができても、愛液以上に溜まった鬱憤は吐き出せない. でもだからといって十分な補填時間を待てるほど精神的に余裕がないのがセックス依存症だと思うんですよね. ですから一人身男のブランドンが娼婦・ナンパ女・アダルトチャット・所構わずの自慰行為だけでなく、男性相手に咥えてもらったりするのは、少しでも弾が補填されれば少しでも感情を吐き出すために発射したいという心の現われ. 愛液量をたっぷり溜めておけるほど精神に時間的余裕がない分、発射量が少なくても乱射しまくるしかないんだと思うのです. そんな彼に最も必要なもの. モンクレール 店舗 それこそ彼の妹で恋愛依存症のシシーが求めている誰かを愛するということではないでしょうか. 同僚の黒人女性マリアンヌを誘っておきながら勃起しなかったのも、あの場のセックスが愛情セックスか欲望セックスかを彼自身が心の奥底で決めることが出来なかった結果だとすれば、彼の恥はセックス依存症に陥ったことで他人を愛せなくなった淋しさとセックス依存症から抜け出せない情けなさ. シシーの自殺未遂後に雨の中で流した彼の涙にはその2つの恥が含まれていたのではないかと思うのです. 結局セックス依存症から抜け出すには誰かを愛しいと感じるか、もしくは女性2人を相手に生命の危機を感じるくらいにまで愛液を搾り出すしかないのでしょう. そんなブランドンが地下鉄車内で既婚女性からの誘いを受けるかどうかを観客の判断に委ねるラスト. 座席に座る彼の視線の真正面にはほぼ同位置にある薬指にはめられた光り輝く指輪と服の下に隠された女性器. そのどちらを彼は見たのか. もし前者なら彼は愛する女性を探す道を選び、後者なら彼のセックスは前以上に激しさを増すのでしょう. ちなみに冒頭のマイケル・ファスベンダーが最初に歩くシーンと、キャリー・マリガンが風呂場で全裸にて登場するシーンにだけボカシがないのはなぜ? 深夜らじお@の映画館 はピストルのように一発一発を確実に撃っていくタイプです. ただし大きさは関係ないですよ! ※お知らせとお願い ■ 【元町映画館】 に行こう.