NBAプレーオフ誤審報告記事

NBAのシーズンは、起承転結の転に入った。要するにプレーオフに入ったのだ。

今回、注目カードのゴールデンステイトウォリアーズとヒューストンロケッツの試合で誤審があったことを後日、審判が認めた。今のNBAはファールについてビデオ判定が導入されており、賛否両論はあるかもしれない。しかし、審判の判定は私の中では、質としては世界で一番だと思う。特に不満はない。

私が思うスポーツの審判の立ち位置とは、公正にルールに則り、試合が進行されることだと考えている。
NBAは、審判の判定が正確に検証されていると思った記事だった。これは、アメリカ四大スポーツ、フットボールにも言える。間違いは間違いと認める。人間だから間違いはある。間違いがあるからこそ、審判が謙虚に判断してほしいと思っている。
正確に検証されれば、判定ミスも極力少なくなる。それこそ、審判の最大の努めでもあり勤めだと思う。

さて、日本の審判については、判定の質が低下しており、さすがに向上しているとは言い難い。試合の審判が下した判定に対する責任が有耶無耶な体制になっている。どの競技にも通じると思う。審判の自分たちが強大なルールになってしまい、誤審をしても認めない。

審判は、試合において一番強い権限を持っている。審判の判定に従わないプレイヤーを退場させるための権限を持っている。
だからこそ、審判は責任は伴う。しかし、その強い権限をお客さんに振りかざすのは絶対に間違っている。それでは、お客さんが離れていく理由にもなる。

以前、審判が誤審も試合の一つであることをテレビのインタビューで述べていた。しかし、それは、お客さんや選手が言うセリフであって、身内の自分たちが言うべきものではない。それを身内の自分たちが言ってしまえば、試合の審判に関わる判定の質が向上することを行っていないことに気がつかないのだろうか?
もし、気づかないならば、非常に悲しく思う。
このような日本の審判の理論をビジネスで例えるならば、自分たちの商品が、検品ミスのものをお客さんに提供してしまっても、人間ミスはつきものだから、責められても大変困ると突き返されているようなものである。それでは、誰もその商品を買わなくもなる。

4年後、世界のスポーツの祭典であるオリンピックが日本の東京にくる。
日本がスポーツ大国になるためにも、審判の質の向上は急務だと思える。

そのためにも、審判が試合に水を差すような形になってはならない。審判の判定は、どんなに技術が発展しても絶対にミスはある。だからこそ、審判には謙虚さを身につける必要があり、質の向上のためにも、自分たちの判定を検証する機会を設けるべきだと私は思っている。

そうすれば、日本はスポーツ大国になると思う。