ま風というのか、最近、

 

「あなたのやりたいことはなに?」

 

というフレーズをよく聞く気がします。

 

 

マズローの人間の欲求5段階説によれば、

人間の究極的な欲求は自己実現にあるようなので、

自分の夢や願望をかなえたいと思うのは、まっとうなことなのでしょう。

 

 

ただ、これはあくまでも自分の個人的な活動といいますか、

お金をもらってやることとは別問題です。

 

お金をもらってやることは、お金を払う人がいて成り立つものです。

 

お金を払う人は、欲しいものに対してお金を払うし、

欲しくないものには、払いません。

 

当たり前のことですよね。

 

 

 

でも、多くの人が「自分のやりたいこと」にこだわっています。

 

しかも、ビジネスの場で。

 

 

これはけっこう危険なことです。

 


 

 

 

「やりたいことをやる」のは自分勝手!?

 

 

それって、

 

「私のやりたいことは、こういうことです。お金をください」

 

と言っているってことですよね。

 

 

押しつけというか、ちょっと強引に感じますよね。

 

で、お金を払ってくれる人がいないと、

 

「なんで稼げないのだろう!?」

 

と悩む。

 

けっこう滑稽です。

 

 

 

金稼ぎのうまい人、儲かる人は、

 

「あなたの欲しいものを提供します。その代わりお金をください」

 

とか、あるいは、

 

「これはあなたにとって役に立ちます。だからお金をください」

 

という。

 

しかも、本当に役に立っている。

 

だから、お金を払う人がどんどん増えていくわけです。

 

 

 

 

 

どちらを優先させる?

 

 

さて、あなたはどちらを優先させますか?

 

人が欲しがることか?

 

自分がやりたいことか?

 

 

自分がやりたいことを追求するのは、芸術の領域ですね。

 

見る人が感動するような、価値を感じるものを

提供できれば、お金がもらえます。

 

 

それか、使う人が「これはいい。役に立つ!」と

喜んでくれれば、あなたのもとにお金が集まります。

 

 

でも、それを実現するのは、かなり難しいことです。

 

 

少なくとも、他の人にはなかなか真似できないレベルまで質を上げるか、

よほど斬新なアイディアでないと、価値も感動も与えられないからです。

 

 

 

 

方、人に求められることをやるのが商売です。

 

人が困っていること、不便に感じていることを解消したり、

苦痛を紛らわすもの、人生をよりよくしてくれるものを提供する。

 

これができたら、相手は喜んでお金を払ってくれます。

 

 

おもしろいことに、

人は、必要なものにお金をかけるのではなく、

自分が欲しいものにお金をかけるものです。

 

 

たとえば、その人がどんなに太っていても、

やせたいと思っていなければ、ダイエット商品は買いません。

 

でも、孤独を感じていたり、恋人がほしいと思っていれば、

その願望を満たしてくれるところにお金を払うのです。

 

 

頭で考えたら、太っているなら、痩せて魅力的になれば、

お金をかけなくても友達や恋人はいくらでもできるのでは!?

 

と思いますが、本人の願望は「痩せること」ではなく、

「孤独感から逃れたい」わけですね。

 

 

 

れは、お金に関しても言えることです。

 

あなたは、お金を稼ぎたいのか?

 

それとも、人に認められたいのか?

 

 

 

お金を稼ぎたいなら、人の役に立つことをすれば、すぐに稼ぐことができます。

 

しかし、人に認められることをするには、時間がかかります。

 

 

とても単純で、簡単なことのように思いますが、

実際は、混乱している人が多いようです。

 

 

お金を稼ぎたいと口ではいいながら、

自分らしさを認めてもらうための行動をとっている。

 

 

お金を稼ぐなら、相手の願望をかなえてあげることが先です。

 

 

 

 

斎藤一人さんがこんなことを言っていました。

 

「商売とは、自分のエゴをいかになくすかの修行だよ」

 

お金儲けがうまくいかない人は、我が強すぎるというのです。

 

 

 

 

 

求められることは、自分の核心でもある

 

 

たしかに、多くの方が、自分にこだわるあまり、

お金を稼ぐ機会を逃しているように思います。

 

 

でも、それは能力の差ではなく、

その人に必要な準備期間でもあるのです。

 

 

人から求められることを知るというのは、

想像力が豊かでないとできません。

 

または、自分で経験したことがある人でないと、

なかなか理解できません。

 

 

で、自分が経験したことというのは、

「いやな思い出」として記憶されていることが多いのです。

 

 

だれかに傷つけられたとか、自分の願望が果たせなかったとか、

深い孤独を感じた、自分の無力さに直面したなど、

心がダメージをうけている。

 

 

ただ、それらは、あなただけの経験なのではなく、

同じ社会に生きる私たちの多くが、

同じようなことで傷ついているわけで、

 

その傷つきやすいところに、人のニーズがあるものです。

 

 

 

で、その解決策や役に立つものを提供できればいいのですが、

自分にも傷がついているから、

そのことを考えるのが苦しかったりする。

 

 

自分自身の繊細な部分に触れてしまうのですね。

 

それで、わざと目を背けて、別のことをやってしまう。

 

 

別のことをしながら、自分の傷が癒えるのを待っているのですね。

 

 

人を見ていて思うのは、

 

「あなたのいちばん繊細なところに、金鉱が潜んでいる」

 

 

これは、私にも当てはまるようです。。。