(思い出しブログは最近書きたいことがないなら昔の書きたいことを、
その頃の気持ちで書いて残しておきたいって内容のブログ)
1999年4月
20歳、就職で島根県からまず京都へ旅立った。
まずは京都で2週間の研修
僕は高専卒だが、一流企業だけあって
周りは学歴のある人間ばかり。
新人約140人に高専卒は確か6人くらい
誰とも打ち解けられず、暗く、きつい研修期間だった
高専連中とつるんでいたけど気は合わない
研修は、グループディスカッションとか
協調性の教育やら名刺の渡し方から
今思えば為にはなったが辛い研修だった
嫌で嫌でたまらない
くじけそうになるが、社会人として踏ん張る日々
人付き合いが、一番辛かったかもしれない
あと関西では標準語の人に対して冷たい
同期でも関西圏外の人は無理に
関西弁使ったりしてるが僕にはそれはできない
プライドか?恥ずかしいから?
単に若かったんだが、成長した時期でもあった
その後、3ヶ月の実習期間は大阪営業部に配属された
この時点で本配属先は知らされておらず、
場合によっては営業もあった(高専卒は半数が営業職だった)
将来が見えず気持ちは不安定
職場は京橋のクリスタルタワー30Fで大阪城を見下ろすというロケ
大阪のOLが一番憧れるロケらしい
僕は興味ない、人が多いところは嫌いだが
ちょっと優越感
住居は高槻の寮で3ヶ月を過ごす
この3ヶ月も心は不安定だった
逃げ出したいが行き場もなく
友達もいない
同期とは打ち解けられないので
逆に会うのがストレス
インテリな同期には馬鹿にされてる感があった
自意識過剰かもしれないが、この頃の僕とは
意識レベルに差があったのは明らかだ。
僕が子供だった訳だが、とにかく辛い日々
実習中は中堅の社員が、指導してくれる
この指導者(当時28歳)は、今でも尊敬している
知的で人当たりもよく、やさしさもあり
時にはぶっちゃけトークもしてくれて友人的な所もあった
タップダンスが趣味で神戸のスタジオのイベントで
拝見させてもらったことがある
職場では見せない真剣な顔だった
仕事以外で自分の好きなことを
精一杯やる姿に感動した
僕もこれから何かやりたいって思った
その後のバンド活動やバスケをやり続けているのも
この人の影響は大きい
素晴らしい出会いだったと思う
この頃は休日はスロット、アステカを打ってたのを
覚えてる。音とフラッシュアクションは結構おもしろかった。
あと松屋のハンバーグ定食が気に入って食べてた。うまかったな
この頃の感覚は、MISIAのBELIEVEと
はまあゆのLOVE~Destiny~の曲とともに蘇る
高槻の商店街を歩いてる自分が懐かしい
今聞くといい曲だな
とにかく辛かったが、本配属は滋賀県の工場に決まり
技術者として道が開けた
(決して楽じゃない滋賀工場の世界へ)
まだまだ書きたい思いはあるがここまでにする。きりがない。
これが社会人の初心を思い出すブログになるだろう。