長男が就学前に、重度障がい児は

学童クラブに入れないという事で

 

あらゆる考えられることをすべてして

議員の力も借り、ある宗教の力も借り

署名も、陳情も請願もし

SNS、親たちの会の力とか

自分自身も、長男を連れて児童館にも通い

 

 

まだ、あの頃は、

普通でないことが悔しかった頃。

 

 

障害福祉課の課長が

障がいに関わる教育者に変わり

 

長男が2年生の時

重度障がい児も学童クラブに入れることになった。



それは、自慢できることではなく
後に、エゴだったと気づいた。

予算が動くことによって

別のところにしわ寄せがいった。


後悔はしていないけどね。


不条理をかんじたな。



あれから、日本で生きるには。
障がい者は、障がい者として生きるのが

幸せなんだろうと思ったんだよ。

普通にしようと思うのがエゴな時もあるって。



悔しいというエネルギー。

 

 

 

悔しいというのは

悲しいという事に似ている


振り返ると

そこまですることないのにって

思っちゃうけど

 

 

あの頃は
まだ諦めきれないエゴが

あったんだよね。