私は高校生のころ、応援団に所属していた。今日は、応援団のことについて少し紹介したいと思う。
応援団というと学ランでハチマキ巻いて大声出しているようなイメージがあると思うが、私の属していた応援団は「伝統」だ。
「伝統」この2文字の魔法の言葉は恐ろしい。伝統がすべて私を納得させてしまうのだ。先代の先代から脈々と受け継がれてきたこの伝統…、いや、どこかの代が勝手に書き換えたりしたんだろう!どうせ!
嫌な伝統もあれば、先代も趣のあることするなぁ、と思わず感極まってしまう伝統もある。今日は、思い出深い、良い伝統について紹介しよう。
エールを送ること。
エールを送る。自分のチームの健闘を称えるためだけではない。対戦相手への健闘を称えてエールを送るのは応援団の大切な役割だ。
1年生の秋、1年生には初めての大舞台である体育祭が開催される。それは1年生にとって初陣を張ることになるとともに、1人の応援団として1人前の証でもある。その体育祭前日に、毎年の「伝統行事」が執り行われるのだ。
体育祭の前日は、1日中の特別な練習が行われる。河川敷に集合し、いつも以上に厳しい罵声と怒号によって指導を受ける(ちなみに、男子応援団は少数制で、先輩2人と我々の同期2人だ。4つの目が我々の指先まで見逃してくれないのだ…)。そのめちゃめちゃ厳しい特訓の締めとして、我ら1年生は、日も沈みかけた夕日を目の前に河川敷の大きな岩の上に立たされる(目の前は川幅50mある一級河川だ)。そしてまずはこう告げられる。
(先輩)「お前ら、お前らの目の前には何がある。」
(私)「河です。」
(先輩)「そうだ、河だ。人は、生物は、海から誕生した。生物は水から誕生し、栄養をいただき、水の流れるところに文化を築き、ここまで発展した。いま、お前らの前にあるこの河に向かって、エールを送れ。」
というのです。正直身体はヘロヘロだったし、先輩が異様に恐かったし、当時は特別な感情はなかったと思う、いや何言ってんだ、くらいに思っていたかも。とにかく、最高のエールを送ることだけを考えて精いっぱい河に向かってエールを送った。そして次はこうだ。
(先輩)「河の向こう側には何がある。」
(私)「・・・・。」
(先輩)「河の向こうには太陽がある。太陽は生まれた生物を育ててくれた。世の中にある緑に栄養を与え育み、温かさを与え、幸せを生んだ。お前ら、次は太陽に向けて感謝のエールを送れ」
というのだ。段々と、私の気持ちも入ってきた。技のキレ、しなやかさも当然持ち合わせつつ(太陽にエールを送るのだ。当然粗い形で技は切れない。)、精いっぱいの気持ちで太陽に向かってエールを送る。そして、次。
(先輩)「お前ら、反対側を向け。その方角には何がある。」
(私)「高校です。」
(先輩)「そうだ、お前ら、我々の高校だ、明日体育祭が行われる、お前ら、気持ち入れてエールを送れ。」
・・・。もう完全に気持ちが入っている。すごい。地獄の特訓の後なのに、体中がヘロヘロのはずなのに、力が湧いてくるし、気持ちも湧いてくる。母校に対する愛情と誇りを持って、エールを送った。そして最後。
(先輩)「最後は自分自身にエールを送れ。今日最高のエールを、自分自身に送れ。」
一番良いキレ、伸び、声量、全てにおいて最高のエールを切りたかった。その思いで一杯だった。
そして、全てが終わった後、我々は、河の方向へ向き目をつぶれ、と言われ、5分程度じっとしていた。すると遥か後方から、
(先輩)「お前らよくやったーーーー!!!もう、いいぞーーーー!!!」
と叫んでいる、振り返ると先輩はいない。あったのは、応援に使うハチマキと、扇である。
このようにして体育祭前日は終わりを迎えた。最高の形で気持ちをいれてくれた。あの日からもう10年以上が経っているが、あの光景、あの1日は鮮明に覚えている。私の数多くの青春の1ページの1つである。