愛は愛を引き寄せる …けど、「引き寄せ」でもない
2025年、残りもあとわずか。なにか一年の締めくくりにふさわしい話題はないかしら…💭そうだこれはどうでしょう…?「愛は愛を引き寄せる」(ACIMテキスト12章Ⅷ)自分が愛に満ちているため、同じように愛が「引き寄せ」られてくる…っていう話。でもこれ、自分が優しくしていれば、優しい人々が集まってくるそういう現象の説明ではありません。そこが、いわゆる「引き寄せ」とビミョーに(大きく…?)違う。自分が愛に満ちていれば愛が引き寄せられてくるじゃない。自分自身が愛だから同じ愛が引き寄せられてくるこの違いはデカいです。しかし…私たちは「自分自身が愛そのものである」というリアリティ(ACIM日本語界隈の用語では「実相」)を認識していません。この「わかってない」のために、ACIMがあると言っていいくらい。❝私は愛そのものである❞この認識を妨げるものを、消去するのです。(ACIMテキスト「序文」)ポイントはここ。いま見えている世界に対するものの見方=世界に対する考え方(信念)これを徹底して変更していきます。具体的には、知覚しているものに対して攻撃ではなく愛(=赦し)を与えるこの「変化」(=ものの見方の変化)によって、「見える世界」が変わってくる。徐々に、「愛の象徴」が攻撃にかわって知覚されるようになる。これが「キリストのヴィジョン」と呼ばれる知覚です。 ACIMの独自用語。キリスト教とは無関係です。こうなると、出会う人のすべてに「愛」や「なんらかの優しさ」が見えるようになる。その「原因」は、純粋に知覚者の側にあります。相手がやさしく"なった"、あるいは"もとからやさしい"のではありません。「いい人」が自分に引き寄せられてくるわけでもない。知覚は、知覚者側の原因に依存する現象これがACIMの大原則なのです。それならば、あなたの愛はどこですか~?あなたの愛、見せてくださーい!そんな「愛さがし」はしなくてもいいことになるでしょう。世界に愛を知覚する原因は、知覚者自身の愛。相手の条件は無関係です。ということで、結局こういうところに落ち着く 私は神の子として祝福されている。 私は満足しており、 平安に満ち、愛にあふれ、 満たされている。 I am blessed as a Son of God I am happy, peaceful, loving and contented. ACIMワークブック編 レッスン40 日本語は筆者 しかし、悲しいかな…「私は神の子として祝福されている」のは、自分を直接見てもわからないこれがACIMの理論の根底にあります。上にも書きましたが、私たちは「自分自身が愛そのものである」という事実を認識できない状態なのです。だから、それを他者に知覚しなければならない。しかも自分自身の中の障害を取り除くことによって。この障害は「自我」と呼ばれ、その訂正がACIMの大きなテーマです。「愛を与えなさい」ACIMがそのように言うとき、それは相手に「愛してるよ」と言いなさい相手にわかるような愛情表現をしなさいその意味だけにとどまりません。 それも大事です!自分自身の中の、愛を覆い隠している障害を取り消す(=訂正する)意志をもつ。むしろこちらの方に重点があります。 これがACIMの難しさなのですが…最後にひとつ。愛を与えるときの「ガイド(指南役)」を、自分で請け負わないようにしましょう。具体的にどんな愛をどこに与えるかについてのガイドは、ACIMで「聖霊」と呼ばれる私たち自身の知恵ー正しい心が担います。この「聖霊」について自分好みのイメージをもちたくなる誘惑は大きいので、それを避けるためにもぜひACIMのテキストを読んでください。そして、ワークブックをやってください。それだけですが、それで十分だと思います。 愛を与えなさい。 そうすれば愛があなたのもとにやってくる。 なぜなら愛は、愛自身に惹きつけられるからである。 攻撃するなら、愛は隠されたままになる。 愛は平安の中でしか生きられないからだ。 Offer it and it will come to you, because it is drawn to itself. But offer attack and love will remain hidden, for it can live only in peace. テキスト12章Ⅷ1:6-7 日本語訳は筆者 どうぞよいお年を!