四国歩き遍路 巡礼日記

四国歩き遍路 巡礼日記

四国88か所の巡礼に旅立ちました。
楽しかったこと。大変だったこと。
たくさんのお接待をいただいたこと。
心に残っていることを、言葉で残します。

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11月28日

 

朝5時半に宿を出て、6時からの勤行に出席するため、高野山奥の院に向かいます。真っ暗闇の中、一人で奥の院を進みます。灯篭に光が灯り、何百年も前の苔むした古いお墓が並び、いつどこで幽霊が出てきてもおかしくない雰囲気に、来るんじゃなかった・・・と後悔します。織田信長や豊臣家の墓、明智光秀の供養塔などがあり、日本中のどこにも幽霊がいなくても、ここには絶対いる!!!と思わせる場所。今まで幽霊を見たことはなかったけれど、今ここで見えるようになってしまうかも!?と思うほど、肝試し状態です。

 

暗すぎて道案内も見えないまま何とか奥の院に到着し、勤行の始まりを待ちます。朝いちばんで到着して待っている間、知らずに入ってはいけない場所に入っており、お坊さんから注意を受けます。その注意の仕方が「僧侶以外は入ってはいけません」ではなく、「僧侶だけが入れる場所です」と言われ、なんとなく気遣いを感じます。

 

勤行には、同宿の外国人が数名参加しており、言葉がわからないながらに真剣な様子。日本の文化を尊重してくれている姿がうれしい。

 

宿に戻り、PCを借りて今日の大阪からの深夜バスを予約し、出発します。

昨晩自宅に電話したところ、「インフルエンザで家族全滅なので、しばらく帰ってこないで。2、3日京都でも旅してて」との想定外の言葉を聞きましたが、目標達成した後に旅し続けているのもしんどくなってきたので、帰ります。もちろん家も心配です。

 

金剛峯寺に500円払って入ったものの、どこで参拝するのか(般若心経をあげるのか)わかりません。わかったのは、金剛峯寺は観光用?のお寺で、お経は奥の院であげるらしいということ。先ほど行ったばかりの奥の院に、お経をあげるために向かいます。

 

奥の院の参道を進んでいると、朝の勤行で一緒になった同宿のアメリカ人Sethに出会います。Sethは2週間の休暇で日本に来ており、禅や瞑想に興味があり、京都や熊野古道を歩いて高野山に来たとのこと。彼のスピリットにはものすごく日本的なものを感じ、彼がアメリカ人であることが不自然に感じるほど。私のお遍路話もして、話が尽きないながらも、また連絡しあうことし、お別れします。

 

高野山奥の院は、早朝に来たときはあまりに雰囲気が濃厚すぎて飲み込まれてしまいましたが、太陽が昇り、我に返って感じてみると、やはり特別な場所であることを感じます。たくさんのエネルギーが集まってきて、昇華されている。四国88か所のどこのお寺とも違う、異次元との大きな出入り口になっているようなイメージがします。お経をあげていると、どこかに吸い込まれていきそうな感じ。

 

お参りを終え、金剛峯寺近くからバスに乗り、高野山駅に向かいます。バスの中で、以前お遍路をしたことのある方に話しかけられます。一人で心静かにお遍路最後の時間を過ごしたかったので、ちょっと面倒くさいと思った(ごめんなさい)のですが、話すと、お互いの自宅が歩ける距離にあることがわかります。すごい確率の偶然に驚きつつ、握手してお別れします。こういう細かい天の配材が、面白い。

 

電車でなんば駅まで出て、梅田駅までイルミネーションを眺めながら歩きます。深夜バスを待っていると、「お遍路さんですか?」と声をかけていただきます。結願したことを伝えると、「おめでとうございます」との言葉と笑顔。嬉しいです!ありがとうございました!

 

今日の(お遍路的な)歩行距離、ゼロ。

11月27日

 

小雨降る中、朝6時前に宿を出て、鴨島駅から徳島駅まで電車に乗り、朝8時台に出発する徳島港行きのバスに乗ります。

徳島港から高野山までの船と電車が2000円のお得なチケットを購入し、船に乗り込みます。

 

菅笠を持って乗っていると、お母さん、娘さん、お孫さんの3人連れが話しかけてくれます。お母さんが車遍路で88か所を打ち終わって高野山に行くのに、娘さんお孫さんが着いていくとのこと。

お母さんの国際的な武勇伝をいろいろ伺っていると、「高野山まで車に乗っていかない?」と声をかけていただきます。こういうご縁が楽しい。ありがたく、乗せて頂きます!

四国とは雰囲気の違う(工場や建物が多い)和歌山の道を抜け、小雨降る高野山の紅葉も楽しみ、高野山金剛峰寺前に到着。ありがとうございました!

 

金剛峯寺前から街はずれの宿に向かって歩きます。途中ツーリストインフォメーションで高野山の地図とパンフレットをもらい、どこにいるのかを把握。歩き遍路を始めたときは、高野山に行くことは頭になかった(良く知らなかった)ので、全くノープランの高野山行きです。

 

通り過ぎる人が、外国人も日本人も明らかに観光客で、一人で菅笠をかぶる自分にアウェー感を感じます。四国では、大きい街以外では通り過ぎる人ほとんどと挨拶を交わしていたのですが、ここでは観光客同士スルー。高野山はお遍路さんにとってホームなはずなのですが、なんとなく寂しい。

 

宿につき、バックパックを置き、再度街にでます。今日はあまり時間がないので、お寺に参拝はせず、街だけ歩いてみます。おしゃれなカフェやお土産屋さんがあり、高野山は観光地なことを強く感じます。と同時に、お遍路の最後に来る雰囲気でもないとの感じを受け、少しがっかり。いえ、行くところに行けば、深い高野山があると思うのですが、そこには今日はたどり着きませんでした。

 

宿に戻り、同宿の外国人の旅行者とおしゃべりしますが、四国で出会ってきた遍路道を歩く外国人とは、距離感が違います。歩き遍路の外国人とは会った瞬間から仲間意識が芽生えていましたが、ここでは単に旅行者同士。当たり前ですが、共有するものが違います。今朝出てきたばかりなのに、四国のことを懐かしく思いだすと同時に、これから戻っていく東京の生活環境を思いだし、少しだけブルーな気分に。

 

宿で出されたカレーを美味しく頂き、明朝6時からの勤行に備えて早めに寝ます。

 

今日の(お遍路的な)歩行距離、ゼロ。

お遍路を歩き終え、張り詰めていたものがなくなったためか、疲れが一気にでます。徳島の後、高野山に行こうと思っていましたが、徳島で2日ほど休むことに。

3日目には復活したものの、高野山の宿が予約できず、元気なまま徳島で足止め。その足止めされた日に、徳島駅近くの第17番井戸寺から第18番恩山寺までを歩くことに決めます。最初に来たときは疲れすぎて歩けず、バスに乗った区間。足止めされたおかげで、そこを歩けるスケジュールになりました。こういうタイミングの良さ、さすが!

 

11月26日

 

3日間お世話になった宿を出て、バスで第18番恩山寺に向かいます。今日は恩山寺から逆向きに第17番井戸寺まで歩きます。

徳島駅のバス停で恩山寺行きのバスを待っていると、お遍路姿の女性3人と出会います。聞くと、母子3人で区切り打ちで回っているとのこと。お母さんが何度も歩き遍路されたことがあり、これまでの私の道のりをねぎらってくださいます。ありがとうございます。

 

恩山寺のバス停でお別れし、井戸寺に向かって歩きだします。見覚えのある道。

途中で感じの良いパン屋さんを見つけ、入ると、わざわざ椅子を出していただき、店内で食べさせてくださいました。ありがとうございました!

 

パン屋さんを出て歩きだすと、向かいのラーメン屋さんから呼び止められ、飴を大量に頂きます。ありがとうございました!

 

さらに歩いていると、自転車が止まり、陰陽師と名乗る方(?)から手作りのお守りを頂きます。手作りのお守りというのはちょっと頂きにくいなと思いつつ、断ることはできず、頂きます。ありがとうございました!

 

この日のルートはほとんど車道だったため、楽勝くらいに思っていましたが、最後に、眉山を抜ける地蔵越の山道がありました。しかも、山道に入ると、どこで道を間違ったかわからないのですが、お遍路サインだけでなく、道自体がなくなってしまい、山の中でさまよいます。来た道を戻ろうとしますが、どこを歩いてきたのかわからなくなり、戻ることができません。自動車の通る音はかすかに聞こえるのですが、どこに向かえば車道に出るのかもわかりません。

山で迷ったと感じたのはこれが初めて。もし山から出られなかったらどうしよう、今日私がここを通ることを誰も知らない、携帯電話は圏外、非常食はあるけれど寒すぎて夜は凍え死んでしまう等々の不安がふくらみます。最後の最後でこれか、とお遍路が修行であることを思います。心の中で観音様に助けを求めながら、どこに向かって歩いたのかわからないながらに歩いていると、小川沿いに道をみつけます。よかった、助かった、観音様ありがとうございます!心の底からほっとします。

 

地蔵越を越えて、見覚えのある道を歩きながら井戸寺に到着。これで、徳島は全部歩きました。最初に井戸寺に来た時のことを思います。あの時は前後にお遍路仲間も歩いていたけれど、今は一人。

 

今日はDay2に泊まった鴨島駅近くのチャンネルカンに宿を取り、PCを借りて高野山の情報収集をします。ガラケーだけ持って何の事前情報もなしに行くには、高野山は盛りだくさん過ぎ。明日は徳島港から船に乗って和歌山まで行き、高野山の外れにあるゲストハウスKOKUUに宿泊します。

 

今日の歩行距離17キロくらい。