皆さんおはようございますd(^_^o)

さあ、今日も最幸な一日を楽しみましょう、!


■今日の言葉■
「言葉」が「意識」を変え
「意識」が「行動」を変え
「行動」が「結果」を変える


今日はハードロックセッションで、
エキサイティングMAXな楽しみ
な一日になりそうですd(^_^o)


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iPhoneからの投稿
成功は諦めた次の日にやってくる☆

諦めない限り、人生には失敗はないんですよね!!!!!

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秋元康氏の心に響く言葉より…


失敗や挫折は、何回でも挽回できます。

運命の法則は、失敗を挽回するチャンスを、何回しかトライできないとは決めてはいない。

何度でもトライできるのです。


たとえば、ある女性は4人の男性と、恋愛をしたとしましょう。

しかし、どの男性とも結婚までいかなかった。

それで、自分は恋愛には向いていないんだなと思ってしまう。


けれども、この女性の答えも次なのです。

4人の男性とつきあってうまくいかなかったとしたら、運命の出会いは5人目なのです。

5人目の相手こそが、神様が用意した人だったのですね。


人間はいつ答えが出るのかわかっていません。

わからないからこそ、何回か失敗が続くと、「次もきっとだめだろうな」とあきらめてしまう。

きっと、神様はあきらめていく人間を見ながら、「次だったのに」と思っていることでしょう。


「次もだめだろう」ではなく、「次こそだいじょうぶ」という考え方をすることです。

次にチャレンジできる人が、成功する人間であり、勝利する人間なのです。

『きっと君は変われるさ』大和書房



「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。

成功するところまで続ければ、それは成功になる」

と、松下幸之助さんは言う。


あと、ほんの何センチか掘れば、そこに宝物が埋まっているのに、その前で力尽きてしまう人は多い。

やっかいなのは、どこまで掘れば宝が出てくるのか、それは神様しかわからないこと。

だから、「これが最後だ」と決めて、チャレンジすることは自分で自分の可能性を摘んでしまっている。


小惑星探査機「はやぶさ」の成功は、プロジェクトに関わった全員が、決してあきらめずに、「もう一歩、もう一歩」と努力をした結果だという。

「もう一歩」の努力は、信じられない奇跡を呼ぶ。

「次こそだいじょうぶ」と、決してあきらめない人には、神様が用意してくれた幸運が待っている。


チャレンジの向こうに奇跡が待っているd(^_^o)


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ワクワク人生楽しみましょうね!


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日頃当たり前にやり過ごしている
ことは、実は凄いありがたいこと
ばかりだったりするんですよね!


かなり深イイ~ですよ☆


夫婦ゲンカをする人は、これは自分の妻だ、これは自分の夫だ、という誤解をしています。

その人は自分の身内で家族であるから、何をいってもいいと思っているのです。


でも、仮に隣のおじさんが毎月給料を運んでくれていると思ったら、文句を言ったりしないでしょう。

「どこのどなたか存じませんが、毎月、毎月私たちの家族が食べられるようにしてくださって、ありがとうございます。

経済的に困らないようにしてくださって、ありがとうございます」

とただ手を合わせて感謝するしかありません。


「たまの土曜日くらいは、子どものキャッチボールの相手をしてよ」

と疲労困ぱいして帰ってきた夫に向かって、こう言ってしまう妻がいるようです。

隣のおじさんだったら感謝しかないのに、自分の夫であると、なぜそんなにイヤみばかりを言ってしまうのでしょうか。


夫の側からすると、どこのどなたかわからないおばさんが、朝知らないうちに現われて、食事をつくってくれる。

朝起きると味噌汁から湯気が立ち上っている、夕方帰ってくると夕食を用意してくれているなんていうことは、有り得ないことです。


他人だったら、手を合わせて感謝するのに、なぜ夫や妻には感謝しないのでしょうか。

それは、家族という名の甘えでしょう。


原点に立ち戻って、というより、原点よりずっと前のほうまで戻って、夫も妻も、「この人は、もともとは他人だ」ということを認識する。

そして、この他人の男性が私に対して、たくさんのことをしてくださることに感謝。

他人の女性が私に対して、たくさんのことをしてくださることに感謝。

『すべてを味方 すべてが味方』三笠書房



夫婦の間だけでなく、会社でも、親しい友人でも、人間関係には、必ず甘えが存在する。

「甘え」とは、慣れてしまって、お礼のひとつも言えず、逆に、毒づいたり、嫌味をいったりすること。


会社では、給料を払っているのだから、言われた仕事をするのは当たり前。

夫が、毎晩、家に帰ってくるのが当たり前。

妻が、食事や洗濯をしてくれるのが当たり前。

友人が、一緒に食事をしてくれ、話を聞いてくれるのが当たり前。


どんな親しい人であっても、元々は「縁もゆかりもない人」なのだ、と思ったとき「甘え」はなくなる。

そして、「当たり前」の出来事は、本当は奇跡のような有りえないこと、と得心したとき、そこに感謝が生まれる。


当たり前の幸せに、心から感謝できる人でありたい。


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