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パンが焼き上がるとうさぎさんがやってくるのだ breadconfiblogのブログ

パンを作る、ただそれだけだけれども、やりたいことやらなければならないことは沢山あります。それをひとつひとつ叶えていこうと思います。本や映画もそのひとつ。うさぎさんを可愛がることは、ボートを漕ぎ出すように僕を押しすすめてくれることなのです。

今でも道をわたって来られる渡辺さんの姿が見えるようです。

 

歳月が経過した今現在にあっても渡辺さんという

お人柄を確かに感じることが出来ます。ある意味当時よりも

もっと確証をもって。

 

小さなハガキにびっしりと、一文字の修正もなく、出来合いの文章では

なく思いを連ねた文字が綴られています。それもキッチリと余白なく。

それは誰にでも出来ることではありません。

 

現代は文字のほとんどをパソコンで打ちます。

手は文字を書くという感触を忘れてしまいます。字は忘れ去られ

手癖のある文字だけを思いとは多少異なろうとも、書こうと

するものだと思います。

 

ですが、渡辺さんの手紙にそのような気配は見受けられません。

まるで作詞家が胸の中に確信をもってひそめておいた言葉や

文字が、淀みなく、躊躇することなくしたためられています。

 

一行や二行ならともかく、これが出来てしまうのだということに

国語の教師としての揺るぎの無さ、強い確信というものを

感じるのです。

 

僕らが決して踏み込むことの出来ない領域、境地という場所

を目の当たりにしてしまうのです。

文字や文章、書くとい行い、それにたいする長い年月のこだわり。

その習慣をまさしく感じるのです。

 

そのことからも今も元気で、現役の教職にあると僕は思っています。

 

かつてのT高校の生徒さんが渡辺さんを語る言葉からも(取材に

来た生徒さんの)フレンドリーであり、また先導者としての敬意を

ひしひしと感じました。

 

それは場所が変わっても、どれだけ月日が経っていたとしても

変わることはないと考えています。

人の中にあるコアな部分は、たとえダイヤモンドのハンマーで

打ち付けてみても、容易に形を変えたりしないと僕は思います。

 

渡辺さんのお便りを拝見しても当時と全く変わりはしない優しさや

繊細さを備えておられる雰囲気を感じることが出来ます。

 

そこに情熱や強い意志が敷き詰められている様子も

たしかな手触りとして伝わってくるのです。

 

こんな先生に生涯一度は習ってみたかったものです。

ですが、「出逢うことが出来た」そのことは僕らにとって

この仕事を続けてきて本当に良かったと強く思う出来事です。

 

あらゆる比喩はその意味合いを失い

きちんと言い表すことが出来る言葉を見つけることが出来ません。

 

今僕らの身に起こっている本当に素敵なできごとを

ただ見つめるよりほかないというのが

正直なところなのです。

 

 

 

 

続きます