心から応援したいと思う人を応援して

それが私の覚悟不足で失敗した時に

もう一度この作品に向き合いたくなった。


私は何をやらせても上手く出来なくて

得意なことなんかないと今は思うのだけど

ラジオディレクターをやっていた時も

学芸員をやっていた時も

自分は企画を立てるのが得意だと思っていた。

テーマや舞台が1つあれば、10くらいはすぐに企画が出せる。

企画を立てるコツも色々あるけど

大きいのはこれまでの積み重ね。

以前に取り組んだテーマが、次の企画に繋がるのだ。

間違いなく演劇もそういうところがあるだろう。

これまでオトムギから続くテーマがきっとあるのだろう。


「I was today years old」は、これまでのオトムギとちょっと違うってみんな言ってる

どこが違うのかな?

浅田光は「オトムギの団員が全員集まるシーンが無かったから、オトムギの舞台って感じがしなかった」と言ってた。ふむふむ。


初回を見終わって

「こういうの、今回で最後ね」はあんなに綺麗にまとまった作品だったのに、今回のは書きたいことがバラバラに配置されてて一つになってない感じがする、と感じた。


けど。


今まで塩田泰造さんが書いたお話で

面白くなかったことは1度もなくて

きっと、この後面白いと感じるようになるんだろう。という信頼があった。

(前述の池澤夏樹さんの本は「バビロンに行きて歌え」以外は面白いと思えなかった。ていうか、演劇の8割は面白いと思えてない)


今回で最後ね。が、ハリウッド映画のような爽快感だとしたら、

アイワズは、フランス映画のような読後感。

じわじわと身体の中に入ってきて、この作品についてずっと考えてた。


1番違和感を感じたセリフは「お母さんを安心させてあげたかった」「喜ばせてあげられなかったね」というセリフで、

応援する人が、そんなふうに思うだろうか?


私は「応援する人」だから、自分との違和感が作品の違和感だったのか?

その日、推し活仲間に聞いてみた。

「あなたはなんでその人を推してるの?」

1人は「とことん私が幸せだから」と言った。

もう1人は「推しに幸せでいて欲しいから」と言った。

多分私たちは、自分が推したことで、推しを喜ばせてあげられる、喜ぶ顔が見れる、とは思ってないのだ。

「応援する人」は、そんなことはエゴだと思ってる。ただその人が笑顔で健康でいられるように祈ったり課金するだけだ。それが応援する人=ヲタクというものだ。


と、その時は思った。


翌日、BEYOOOOONDSの武道館コンサートがあった。

ひどい貧血で、ライブの大きな音や照明で具合が悪くなることがあったのだけど、その時は

耳栓をすれば、なんとか参加出来た。

音楽の垣根を飛び越えた、日本の音楽シーンを変えるような、素晴らしいコンサートで、何度も涙をぬぐった。

最後のご挨拶。

10代の女の子が、大変な手術をして、それでもパフォーマンスの要にいた最年少の

清野桃々姫ちゃんが第一声、こう言った。

「私は皆さんを守ってあげたい」


大人たちは、大変な手術をした彼女を守ってあげたいと思っているのに、真逆なことを言い出した。

そして彼女はこう続けた。

「生きていれば毎日、辛いことも悲しいこともあるでしょう。でも、BEYOOOOONDSを見に来た時は、楽しく全てを忘れて欲しい」

この言葉を聞いた里吉うたのちゃんは、号泣した。

私達も号泣した。

そんなふうに、私たちのこと、守ってくれていたのか、と。


次に西田汐里ちゃんがご挨拶に立つ。

「私は皆さんを幸せにできてるな、と最近思うんです」

すごい自信だ。でも、確かに私たち、あなた達に幸せにしてもらってる。

「アイドルになって、みんなを幸せにしたい。元気にしたいっていう夢が叶った」

と続けた。最高だ。カッコイイ。BEYOOOOONDS最高。ハロプロ最高。パンパパンパパン♪


(余談だけど、私が心から応援したいと願った近藤良祐くんは、桃々姫ちゃんと同じように、いつもみんなを元気にしてくれる人。自分が辛い時でもいつも笑顔。

有名人になって、被災地に寄付できる人になりたいと、芸能人を目指した。

でもまだ、しおりんのように、自分が夢を与えられる人にはなれていない。夢を叶えて欲しい)


そうか…

私たちは推しに幸せにしてもらってる。

推しに人生を応援してもらってる。

送り手としての応援の仕方がある。


「幸せ応援隊」も、もともと劇団だし、送り手の「応援」なんだ。

私たちヲタクの受け手としての「応援」とは真逆で、能動的なことなんだな。。。

と納得。

納得した上で、2回目の観劇は千秋楽となった。


見終わったあと、もも染めさんと目を合わせた。

「面白かったね…」

何が変わったのか?

いっぱい考えて、それぞれの役の気持ちが入って来たのか?

チームワークが良くなってテンポが上がったのか?


よく分からないけど

私の芝居の見方は変わっていた。


1つは、役者さんの美しい顔をじーっと見ていた。


宇宙ちゃんは、目で演技をしていた。

引きこもりのギラギラした目。

信用おける人に出会って段々と優しい目になっていって、最後はキラキラしてた。

綺麗な瞳で、目が離せなかった。


かんのひとみさんは、口で演技してた。

禍々しい雰囲気を身にまとって

「喜」「怒」「哀」と大きく動くその口元に恐怖と、ユーモアを感じた。


しょーごさんは、身体で演技してた。

なんでこんな役を書いたんだと思って、7キロも太ってやったんだって。

太ったな、まさかストロンガーの時みたいな役作りか、と思ったらそうだった。

「なんでこんな役」って言い方が、まさしく朝妻さんなのだけど


有弘さんは、頭脳で演技してた。

こうしたら面白くなる、を千秋楽ではとことんまで振り切ってて、そういうテクニカルなのできる人、めったにいないからいいよなあって、めちゃくちゃ期待して、期待を裏切らない面白さがあった。


違和感がある、と感じた「喜ばせてあげられなかったねぇ」というセリフは「楽しませてあげられなかったねぇ」に変わっていた。


ほんとに、初回と千秋楽って何が違ったのかな

わかんないけど千秋楽は本当に面白かったんだ

みんな納得したというか


劇中劇も面白かったな



ところでこのポスターを見て

ふらっと見に来た、という人を2人?見かけた


私は

横尾忠則の「腰巻お仙」に似てるなって思った

アングラ演劇のポスターだった。




腰巻お仙は