送別会ラッシュも終わり、残り1週間を切る。感慨深い。。以下、全く纏まりのない雑文。
ブラジルに来る前に、幾つか目標を定めたが、それに対する2年間の成果は、、、
1.仕事
仕事では、現地法人でゴリゴリ営業する予定であったが、途中組織の方針の関係で本社出先に変わったので、目標も変えた。
ブラジル向け貿易が始まったので、実務で社内の誰よりも実務に詳しくなると目標を設定した。商社にいながら貿易は初めてだったので分からないことだらけだったが、色々勉強をしてキャッチアップをした。先輩の偉大さを知った。
1年半の実務で学んだことを濃縮し無駄を徹底的に省き要点だけを絞ってレポートを書いた。合計43ページになった。完成度に満足している。
他方、投資案件の発掘では本部ポートフォリオに基づき、様々な業界を研究した。為になったのは、投資案件発掘・実行のプロセスである。全くのゼロから効率的に公開情報から業界情報を収集し、纏める。その後、ブラジル人相手に拙いポル語ではあるが、事業説明を行い、投資・事業的をディスカッションする。日本側を巻き込む。そのプロセス。
惜しむらくは、投資実行が出来なかったことである。引き続き検討中ではあるが、まだまだ。
また、自分の能力の足りなさも露呈することとなった。業界の専門性がないと具体的に案件が中々進めない。自分のキャリアを色々考えもさせられた。
2.語学
ポル語は満足行くレベルまで上達しなかった。ビジネス上のMTGをポル語で行なうことは可能であるが、表現のディテールや、相手側の話すスピードや専門的な内容になると、中々付いていくのが難しい。また、自分の表現もワンパタンで稚拙。
反省点としては、①初め(2ヶ月位)は徹底的に教材を絞ること、②ある程度上達したら、語彙力が勝負になるので、ゴリゴリ暗記すること、使って身に付けること、③家庭教師の復習を確りおこなうこと(色々やりぱなしで終わらないこと) という3点が徹底出来なかったことである。
但し、④RLSW全体のスキルを効率よく上達させる学習スケジュールの体系化、⑤自分はWritingが苦手な傾向があること、⑥適当でも話していれば、語彙のインプットを行なえばそのうちぺらぺらと話せるようになること(表現は稚拙だが、明らかに英語より話せる)、⑦原典(新聞・TV・雑誌・広告など)に当たり、生の情報で勉強することが、「使える」語学上達の秘訣であること、などを学んだ。
今後は上記を上手く整理して、英語の再勉強が必要。1年以内に、TOEFL105とTOEIC950をクリアする。
3.プライベート
日本にいるときは本を読みすぎていたので、ブラジルではヤメて遊ぼうと思っていたのだが、逆に更に本を読んだ。読まなければ、というより、読みたくてしょうがない、という感じになり週末ゴリゴリ読んだ。引越しの荷物を数えたら、ダンボール7箱くらいで、200数超を日本から取り寄せて読んだことになる。但し、内容に就いては思い出せないものも多し。
分類すると、文学、哲学、芸術、純教養系、ビジネス書、日本の歴史。22歳ごろまでは全く本を読んでいなかったが、どういう訳かムショウに読みたくなって。
アタマの中にあった問題意識は、「日本とは、日本人とは。世界の一流とはどういう水準か。大まかな芸術史と歴史の相関関係、その横軸の中でどういった哲学・思想が生まれ、影響を及ぼしたか、自分はどう今後キャリアを積んでいくか。教養とは。真善美とはなにか。」といったものが混在した問題意識である気がする。別に意識したわけではないが、必然とそういった問題意識が生まれたのだと思われる。逆に、スペシフィックな問題意識は無い。特に、偉大としか言いようの無い偉大な尊敬出来る日本の先人が沢山居ること、その点を意識すると、もうテキトーに毎日を過ごせないことなどを学んだ。
ようやっと30歳になりある程度アタマの中に各分野の大まかな地図みたいなものが出来つつある。もやもやは引き続きあり。但し、世の中に確かなものは存在しないということだけは分かった。自分の感覚でも、すぐ消えてしまうもの。
後は、休暇が多かったので、沢山旅行に行った。国内では、フェルナンドジノローニャ、サンルイス、バヘリーニャス、サルバドール、ブルメナウ。海外では、チリ(サンチアゴ)、ペルー(リマ、クスコ)、アルゼンチン(ブエノスアイレス)、メキシコ(メキシコシティ)、アメリカ(サンフランシスコ)、フランス(パリ)、イタリア(ローマ、フィレンツェ)、スペイン(バルセロナ、マドリッド)、ポルトガル(リスボン、シントラ)、ギリシア(アテネ)。純粋に旅行を楽しんだ。今後も、もっと様々な地域を訪問したい。最近は、東欧に興味ある。
ブラジル人からは、本当に色々学んだ。特に個性を大事にし、自分の好きな様に好きなことをすること、人生楽しむこと、家族を大事にすること、など。
また、自分が日本人であることを強く自覚した。日本のよい部分、悪い部分もよく見えた。