大人でも子供でもない愛に飢えた人々の悲痛な叫びと生き様。

 親からの愛に飢えた人や、愛した人に騙された人。親から暴行を受けた人。

 様々な愛に飢えた人々が時間とともに変わりながら生きていく姿とそれでも変らない気持ち。

●あらすじ○

 中学生の時に澪奈は義理の父親に暴力をふるわれていた。ある日を境に、さらなる心の傷の受け、支えようとする芯地も同じように傷ついた。

 時が過ぎ、高校生になった二人。二人を支えてくれる周りの人々をも共鳴させ、似たもの同士の若者達、芯地・澪奈・朱音・愛華・千恵・美咲・晃壱らが乾いた心を寄せ合い生きていく話……。





 小説で登場する国名・都道府県以外の名称は全て架空のものです。この小説は実体験を基にしたフィクションです。

「まあね。……てか、何、千恵テンパってんの?」 そう言い、愛美はゲラゲラ笑いながら、千恵を指差した。すると千恵は「ここ、あんましファミレスみたいに騒いだら駄目な気がしたんだよ」 と恥ずかしそうに言い、愛美の指を退けた。

「ウケる! 千恵。いつからそんな真面目君になったの?」

「うるさいなあ。静かにしなよ」

「あああー!」

 愛美はわざと大きな声を出して、その後にゲラゲラ笑い出した。近くの席で食事をする数人が派手な髪色をした若者を怪訝そうな表情で見た。またある人は突然奇声を発した彼女を見て、恐怖さえ感じた。
 そんな周囲の空気を感じ取った千恵は愛美に静かにするように催促するが、愛美はそんな千恵の真面目な行動に更に加速していった。

 それを見かねた千恵は「もう少し静かにしないと帰るよ」 と愛美を睨んだ。愛美の表情が一瞬強張った。

「怖いー! 千恵ちゃん」 愛美はおどけた様子でそう言うが、千恵の強い目線に徐々に減速していった。愛美は千恵の眼力が苦手だった。何か懐かしくもあり、どこか見透かされているかのような感覚に陥るのだ。
 愛美の大きな目が徐々に小さくなり、何かを紛らわすように高い鼻が空気を吸う音がする。やや薄い唇を少し尖らせた。鼻をすするような動作をしながら、目の力が抜けていく光景は千恵にとってはお馴染みだった。親に怒られた小さな子供のように困惑した表情になりながらも、その状態に陥っていることを何かで誤魔化したいのだ。そしていじけたように唇をやや尖らせる。

 千恵が愛美と出会ったのは中学生の頃だった。愛美は裕福な家に育ち、一人っ子だった為か甘やかされ、殆ど親に怒られることが無かった。故に中学校では手に負えない誰もやらないであろう事を平気でやってしまうのだ。校内の壁にスプレーで落書きをしても悪気も無く、親は呼び出されるが、我が子を責めはしなかった。

 愛美と千恵が仲良くなり始めた頃に、『二人とも大好きだけど……、愛されているのかは、わかんない』 と、愛美が千恵に両親に怒られないのは自分のことを愛してないからなのでは? といった内容の相談をしたことがあったくらいだ。愛美の“怒られたい”という願望により起こった事件も多々あったが……、それについてはまた何時か綴ることにしよう。

 千恵は現在、目の前にいる愛美と過去の思い出にいる愛美とをくらべて、少し微笑んだ。大分成長したからだ。顔も成長して大人らしくなった。鼻も芯地と同様に羨ましいくらい高くなった。父親に腕時計をプレゼントするなど以前は考えられなかった。

 千恵は愛美からも見て取れるくらいに明らかな微笑みを浮かべた。対して、愛美は満面の笑みを返した。

「何考えてたの? 千恵」 愛美は笑いながらそう訪ねる。

「何も。ただいじけてると可愛いなあって」

「やっぱり。やっぱりー。そうだよね」 自画自賛する愛美を千恵は笑いながら半分呆れ顔で眺めていた。

「いじけ顔ねえ、親にも効果ありなんだよ」 愛美はそう言い加えた。千恵の曖昧な相槌にたいして更に「怒られたらこれでしょ」と、笑いながら言い加えた。

「怒られるっていいでしょ?」
「よくはないよ……。でも、まあ、千恵のお陰でね、うん」

 二人にとっては続きがわかる遣り取りを恥ずかしそうにに途中で言うのをやめた。千恵は安堵の表情で照れ隠しにただ笑う愛美を見つめていた。「ありがと。千恵」 千恵は恥ずかしそうに頷いた。 



 注文した料理が全てテーブルの上に並び、他愛も無い話をしながら、千恵は美味しい料理に舌鼓を打っていた。愛美は何回か、このレストランに来たことがあるので、千恵ほどは料理に感動をしなかった。幸せそうに食べ、話す千恵に、ただ笑顔で応対していた。

 千恵の話題も尽き、会話が疎らになった頃、愛美は聞いておきたかった話題を口にした。

「千恵……」

「うん?」 神妙な面持ちをした愛美を不思議そうに眺めた。

「芯地は元気?」

 暫しの沈黙。千恵は口から言葉を発する代わりに食べ物をゆっくり噛み締め時間を稼いだ。食感がなくなるまで噛み砕いた。流石に逃げ出すことは出来ないので溶けてなくなりそうな食べ物を静かに飲み込んだ。

「元気だよ」 振り絞るようにそう言い笑みをつくるが愛美からは些か態とらしい声色に聞こえたのだろう。

「どーだか」 怪訝そうな表情でそう言い、スープをスプーンにすくい口に運んだ。

「まぁ……、よくわかんない」

 千恵は昨夜の芯地と今朝の芯地の姿を思い浮かべながら軽いため息をついた。


 アパートを眺めながら、過去の光景が彼女の頭を過ぎった。あれは丁度一年前だった。微弱な雨の降る、灰色の空の下、二階建ての小さなこのアパートの一室から泣きながら千恵が出てきた光景だ。危なげな足取りで階段を降りてくる千恵が心配で彼女は階段の下まで行き、降りきった千恵を慰めた記憶がある。まだ此処に住んでいるんだ、と彼女は改めて感じた。

 そんな事を考えていながら、アパートを眺めていると二階の左端の扉が開いた。一年前とは違う、程よく冷たい風がふく晴天の空の下、何が楽しいのか、一年前とは違い笑顔の千恵が出てきた。軽快な足取りで階段を駆け下り、彼女の乗る、黒いバンの助手席のドアを開け座った。スウェット生地の灰色のPコートを脱ぎ、後部座席に投げた。

「ごめん愛美。ちょい遅くなった」 シートベルトをしめながら千恵はそう言った。

「いいよ。てか、何か楽しいことあったの?」

 愛美(まなみ)はそう微笑みながら返事をし、音楽の音量を下げた。

「別に、無いよ。愛美とデートだから嬉しいけど」

「ほおー」

 照れ笑いをしながら、大きな声でそう返事をした。そして車を発進させた。車内に広がるお決まりのアロマの香りを楽しみながら、音楽を感じながら、運転を行う。この場にくる時よりも、隣に千恵が乗っているために、丁寧に運転をこなし、時折、隣に座る千恵の様子を窺う。

 千恵は窓から外を眺めていた。様々な風景の色が瞬時に視界に飛び込んでくる。その様子はまるで移り変わる絵のような、移り変わる人の気持ちのようなものである。住宅街を抜け出すと、景色の流れが遅くなり、歩く人々や、建築物、対向車線の運転手の顔でさえ見て取れる。千恵は見慣れた風景が違って見えた。殺伐としていた頃は感じなかった風景の表情、人々の表情、友人の有り難さ。昔と何一つ変わらない風景が全く違う世界に見える。

「てか、千恵さ、聞いてよ」
「うん?」

 いつもの切り出し方で愛美が話を始めた。千恵はハンドルを握る愛美の横顔を見る。

「昨日さ、おっさんの誕生日だったんだけどさ、何かさ、適当に腕時計プレゼントしてあげたら泣いたんだけどー」 

「いい話じゃん、お父さん嬉しかったんじゃない?」 笑いながら話す愛美にそう千恵は言い返した。

「でさ、ピンクの皮の腕時計だったから、おっさんさ『若い男ならつけれるかもしれないけど、俺はおじさんだからなあ』とか言ったんだよー」

「確かにおじさんでピンクの時計してる人あんま見たことない」

「でもさ、可愛いと思ったから買ったんだって言ったら、腕時計つけて出かけたよ」

「娘がプレゼントくれたらつけるでしょー」

「でもさ、滅茶苦茶似合わない、よね」 愛美の脳裏にはお洒落に無頓着な服装をしたやや太った父親の姿が過ぎる。

「確かに、あのお父さんじゃね」

 二人はほぼ同時にふき出すように笑い出した。車内には二人の笑い声が響き渡った。時折、話しては笑いながら、愛美の指定した目的地へと向かって行った。



 車を走らせること一時間。都内某所のレストラン『CONSTANT』に到着した。

 駐車場は、ほぼ空きが無く、建物から一番遠い場所の一カ所のみが空いていた為にそこに停車した。レストランは洋風の建物で、橙がかった茶色の外壁は煉瓦のようだが、実際は偽物だ。丸い窓の外枠には、黒い波打つような青銅の装飾が施されている。入り口のドアの上の、楕円形の茶色の看板に黒い文字で『洋食レストランCONSTANT』と英語部分は筆記体で書かれている。

 周囲は大通りから奥に入った場所である為に、車通りはあまり多くはない。周りに店は無く、孤立したような場所、一見目立たない場所だが、静かな面持ちのこの空間は常に人気があり、客足が絶えることは無い。所謂、知る人ぞ知る名店というものだ。

 二人は店内に入り、ホールスタッフの案内で窓際の席についた。柔らかい薄い橙色の光をふらせる照明が落ち着いた店内を演出する。客の年齢層は二人にくらべるとやや高く、三十代から、といった感じだ。金銭的に余裕の出てくる世代が主な客層だ。
 白いテーブルクロスのひかれた円形のテーブルに肘をつき、頬杖をつきながら千恵は辺りをきょろきょろと見渡した。「場違いかな……」 千恵は思わずそうこぼし、苦笑いをした。

 愛美も辺りを見渡しながら、千恵の言葉に何度か頷くが、全く気にしない様子で椅子の背もたれにどっしりと背中を預けた。
「若者、お断りとかないし、気にしないー」

 そう言いながら、テーブルの上に置かれたメニュー表を開いた。千恵もつられるようにメニュー表を開き、目を大きくしながら苦笑いをした。

「ファミレスより、滅茶苦茶高いし」
「大丈夫ー」
「愛美は大丈夫でも、私大丈夫じゃないし」
「実は、おっさんにさあ、友達と遊び行くっていったら金くれたんだよねー」 愛美は上機嫌そうにさらに加えた。「だから、千恵のぶんも払ってあげる」

「え! マジで? さすが、愛美のお父さん」 千恵はやや大きな声を出したことに恥ずかしくなり周囲を見渡すが、周りの客は気にしていない様子だ。