ゴッホが自らの命を絶ってから120年。
「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える
肖像画を描いてみたい」という言葉を残していますが、
みごとにその想いかなったりでしょうか。
国立新美術館は多くの人であふれていました。
展示では、画家になった27歳から没37歳までの作品が
順を追って飾られていましたが、その時々で影響をうけた
画家の作品やテオへの手紙も展示してあり、
はたまた、アルルの寝室の復元まで!とても充実した構成でした。
手紙はとっても興味があったので、実際のゴッホの筆跡や
手紙にも描かれた緻密なデッサンをみることができて
ゴッホの理想が高く繊細でちょっと神経質なパーソナリティも
感じたように思います。
ミレーに影響を受けていた時期からドラクロワの色彩理論を学び、
人物構図を学び、日本の浮世絵に感銘を受け、モンティセリからは厚塗りを、
ゴーギャンから感情を絵画で表現することを学び、と
常にそれぞれの特性や理論を明確にとらえながら、
自分自身の中で再構築して作品に落とし込まれているのがわかります。
耳切り事件や自殺に至るまでのエピソードなどからも「狂気の画家」なんて
いわれたりもしていますが、約1000通の手紙の一部を読むだけでも
ゴッホはとても緻密で明朗な方だったのかな、と。
ただ、本当に自らの生命と理性を絵画に注ぎ込んだようには感じます。
浮世絵の強烈な色彩や大胆な構図、奇抜なトリミングに影響を受け
自らもコレクションしていたようですが、絵を通しての日本の精神・文化
についてもあこがれ、想いを馳せていたようです。
「日本の芸術について勉強していると、
疑いもなく賢者にして哲学者という知的な人間に出会う。
この人はなにをして時を過しているのだろうか。
地球と月の距離を研究しているのか。いや、ちがう。
彼は一本の草の芽を研究しているのだ。
しかし、この草の芽は、彼にすべての植物を、そうして四季を、
壮大な風景を描きださせ、ついには、いろいろな動物、
それから人間の姿を描き出させるようになる。彼はこうして生涯を送るが、
人生はすべてを描くにはあまりに短い。
ねぇ、これこそはほんとうの宗教というものではないか。
これら日本人がわれわれに教えてくれる、こんなにも単純で、
まるで自身が花であるかのように自然のなかに生きることこそ」
(弟テオ宛の手紙 1888年、アルル)
アルルで芸術家のユートピアを目指していたゴッホ、
日本を評価し、憧れての動きだったんですね。
「日本人が、稲妻のように素早くデッサンするのは、
その神経がわれわれよりも繊細で、感情が素朴であるからだ、
僕は日本人が何をやっても極めて正確に行うのを凄まじく思う。
それは決して退屈な感じを与えず、
決して大急ぎでやったようにも見えない。
彼らは息をするのと同じくらい簡単で、狂いのない二、三本の線で
同じように楽々と人物を描いてしまう。
まるでチョッキのボタンをはずすかのようだ。」
(弟テオ宛の手紙 1888年、アルル)
ちなみに、ドラクロワの色彩理論では
黄色とその補色にあたる紫の対比関係を知り、
色は単純ならず、色と色の関係が微妙な効果を生むことを知った
とともに、多くの作品にその色彩の配色が刻みこまれているのがわかります。
「君は理解してくれるだろうか。音楽で慰めの言葉を語ることができるように、
同じように、ただ色彩を配置するだけで詩を語ることができるということを」
(妹ウィレミーン宛の手紙 1888年、アルル)
絵はみるたびに受ける感銘が違いますが、
また次回を楽しみにしています。



