この「若手教員読本」は、若手の先生を対象に生徒への関わり方について研修したものをまとめました。従って、文章は語り口調で書かれていますので、読み難いところがあるかもしれませんが、お許しください。内容についてはあくまでも生徒中心の考え方に立って、生徒が日々葛藤しながらも元気に育つような先生の関わりについてお話ししたものです。一般に対症療法といわれる技術論としての子どもへの関わり方というような話ではありません。それは、生徒の自律支援を中心に、生徒に目をかけ、声をかけ、心をかけて子どもを人として育てるための基本を踏まえているからです。
「若手教員読本」の内容は、教員の資質や教員のあり方になりますが、以下「社会の中の学校づくり」について、東京私学の校長・理事長先生にお話しさせていただいた原稿がありますので、それを「はしがき」とさせていただきます。
「今日は、『社会のなかの学校づくりを目指して』というテーマで、お話しさせていただきます。私学のこの10年は、とくに、長引く不況と不透明な社会、それに少子化の動向は回復せず、人の考え方や生活も多様になっています。こうした状況下で、今私学に何が求められているかということになろうかと思いますが、今後の私学のあり方はこの厳しい社会の状勢を十分理解して私学の課題に当たらなければならないと思っています。
ところで、当たり前の質問をしますが、私学は何のために生徒を預かるのでしょうか。私は、浅野学園に40年在職し、この三月校長を退任しましたが、その間、多くの生徒や仲間と葛藤しながら教員生活を送ってきました。生徒育ての葛藤は、常に社会の情勢の変化を反映するものが多かったように思います。社会が変わり親や生徒に変化が見られたらそれを受け止めながら対応しなければならないのです。しかし、私学として変わらぬ指導は、生徒の在籍中にいかに生徒の分からないところ、できないところをできるようにして、社会的に自立させるかという課題でした。生徒が、卒業するときに学校で学んだことを通して社会で自己の能力を発揮し、社会貢献できるように育てること。そして、生徒が自己のやりがい、生きがいを見出し、豊かな生活を送れるよう尽力をすることです。この関わりは、私学に共通した課題だと思います。
最近の私学の課題をみますと、成熟社会の弱点の一つと考えられる人の生きる力の脆弱さが学校社会にも見られると思います。豊かな生活をしていながら、社会人としての条件を育てられていない若者の増加。生徒は知識を学び少しでも難関校への進学が目的という風潮です。生徒にとって大事な時間の管理や生活の段取り力、他者と関わり自己を活かしてもらうための社会的なマナーの問題。さらには、自分で努力をせずに楽をして自己の生き方を模索し、自己の夢を探求しようとしている若者たちの出現です。その結果は、大学生になっても失敗を怖がり正解のない問題に取り組む勇気がない、その上就職にいたっては、会社から企業で活躍し社会貢献できる『人材不足』が指摘され、大学生の就職難という社会問題をも引き起こしているのです。
『人は人によって育てられる』と言われます。人は人との触れ合いで自己を啓発し社会貢献できる人に成長します。私を育ててくれた母校、浅野学園の創設者浅野總一郎翁も今自分にできる事業と社会のための事業を展開しました。社会の動向を見抜く先見性と安田善次郎、渋沢栄一、大隈重信といった多くの人の力に支えられて、明治の夜明けのための新しい事業を展開し、日本の近代化を築いたのです。
冒頭でもお話ししましたように、学校は、中学・高校という多感で葛藤の多い時期の生徒を社会に適応し社会貢献できるような人育て、人づくりに力を入れる必要があるのではないでしょうか。私たち私学人は、建学の精神という自校の生徒育てとしての羅針盤を持っている筈です。生徒の在籍中に、多様化した考えや生活をしている一人ひとりの生徒をどれだけ社会人として成長させられるかが、生徒を預かる私学の責務だと思うのです。その役割の遂行は、生徒への関わり、生徒への関わり方ということになるのではないでしょうか。
私は、縁あって日本赤十字社の事業である青少年のリーダー育成指導を長年担当させてもらっています。参加する生徒は公立、私立の中学・高校生。生徒の在籍する学校の文化も、生徒の性格や考え方も違います。研修は公立、私立の先生方によって多様な内容が用意されていますが、研修の目的は、いかにして人に指図されずに他者との円滑な関わりをして自己表現をし、豊かな生活ができるようなリーダーを育てる研修です。泊り込み合宿をする場合には、男女40人前後の生徒が4泊5日の不便で不自由な生活です。研修の基本は参加者一人ひとりが何に気付き、考え、行動するかという訓練で、講習中は生活の指示やベルは鳴りません。朝掲示されるその日の日程に合わせて自分で生活の段取りを考え、行動しなければならないのです。参加者は同じ食事を食べ、同じ講義を聴いてお互い緊張しながらの生活体験。お互い相手を尊重して各人の葛藤を乗り越えた時に、少しずつ友人関係を深めていくのです。生徒は、教員の関わり方と仲間の小さな親切に支えられて公立、私立の生徒に関係なく成長するのです。
過渡期にある今、私学は人として育てられていない生徒の社会状況をしっかり受け止め、社会人として生徒を育てるための『生活指導』に力を入れるべきであると思います。こう申し上げると、教科指導と人間教育は両立しないというご意見が出てくると思いますが、教科指導の効果を上げるためには、まず生徒の『自律』が必要になりませんか。自分で何かをしようとするときに、それに取り掛かれる生徒は、自分でやるべきことがやれるだけの鍛錬(生活習慣・持続力・集中力・段取り力など)が多いと思います。生活のなかで丁寧に指導されて自律力を高めている生徒は、自ずと学習力が高まる生徒ではないでしょうか。学習力が高まると、自己の将来の目標なども探求しやすく、また実現しやすくなるともいえます。よくクラブ活動や学校行事に積極的に参加し、練習や行事を通して自己の生活意欲を高めている生徒が、自分の志望する難関大学に合格したという例は、いろいろな私学から聴かれることです。