AMDAネパール子ども病院およびAMDA兵庫の資金集めのために、いつでも時間が取れるように、またいつでもネパールに行けるようにと考えて、2000年4月に始めた、7つの病院渡り歩き作戦。(その記事はこちら )
http://ameblo.jp/brain-int/entry-10007067211.html
徳島、淡路島、加古川、神戸、伊丹、大阪にある7つの違った病院を、非常勤として転々とすることで、1日ずつの休みをつなげれば、一週間の休みがいつでも取れるし、協力企業様などとの面会時間も取れるということで始めた作戦でした。
年間走行距離は4万キロを超え、前の愛車「チェロキー」は、エンジンルームから煙とオイルが噴出して壊れちゃいましたっけ。
その名も、「長距離トラックの運ちゃん医者」? 「医者版フリーター」?
でも、40を越えて厄年を迎え、また早朝ブログのためか、運転中、眠気に襲われることも。当直明けの移動がちょっぴりこたえるようになったのは、歳のせいでしょうねえ。
それと、高麗人参果実搾りの販売の方も、初期立ち上げが何とか落ち着いてきたかなって、思いもあり・・・・・・
それで、協力を頂いていた病院にお願いをして、この7、8月から勤務体制を変えたんですよ。
それで、ある病院の院長先生から、「ボランティアの資金集めのために、いつでも休んでいいから、うちで勤めて欲しい」という有難い話もあり、半常勤として雇われることになりました。
往診は患者様とのお付き合いもあり、また、徳島は同級生のよしみもあり、まだ続けていきますが、これで、移動距離がかなり減りました。体力的には、大分楽になりました。
でも、こんな変則勤務を始めて、もう6年以上にもなるんですねえ。振り返れば、いろいろな事が思い起こされます。
今回、辞めさせていただいた病院の、院長先生はじめ諸先生方、看護師、技師の方々には、本当にお世話になりました。
特に、院長先生は、このボランティアをするための変則勤務を快く引き受けて下さり、6年もよく辛抱して下さいました。ご協力がなければ、これほど資金集めのために奔走できていなかったと思います。本当にありがとうございました。
また、看護師、技師の方々も、僕のボランティア活動を本当に支援して下さり、また高麗人参果実搾りの件でも、新聞のコピーを貼って広報してくれたり、共同購入して下さったりと、本当にお力添えを頂きました。
それで、7月31日は、淡路の病院の最後の日だったのですが、そのエピソードを少し。
最後の日、どうしても手術をしないといけない患者様がいて、その病院での最後の手術をすることに。(まあ、簡単な手術だったんですが。)
それで、手術に付いてくれた看護師さんから、「先生、辞められるんですね!今日まで知らなかったんですよ!」と、名残のお言葉。
それで、冗談交じりに、「実は、野良猫だったんですけど、里親が見つかって、もらわれていくことに成ったんですよ!これで、晴れて飼い猫ですね!」って。
それで、手術の後、最後の外来を終えて帰ろうとすると・・・・・
院内にいた、看護師さん、技師さん、リハビリの方、事務の方がぞろぞろと玄関先に集まっているではないですか!(びっくりしましたが、ブログのネタにと、写真を撮ってみました。)
そして、事務長からお別れの挨拶。そして、花束の贈呈。えーっ!そんな、嬉しいような、恥ずかしいような。
急なことで、ビックリして、頭が真っ白!最後の挨拶なんて考えてないよ!
それで、出てきた言葉は、「実は、野良猫だったんですけど、・・・・・」 後は、ご想像の通り。
僕は、人前が苦手なのよねぇ。特にスピーチ下手でこまります。でも、みんなが笑ってくれたので、まあいいか。
週に1日、2日だけの勤務でしたが、辞めるとなると、やはりさびしいものです。いくつかの病院を辞めたので、さみしさも数倍。こんな思いをする医師も、めずらしいんでしょうね。
これを機に、自己紹介欄もちょっと変えてみましたので、見てみてみー。
でも、ボランティアの資金集めは、これからも頑張っていきますので、まだまだ応援、よろしくお願いいたします。
今日の写真、「もらった花束と、最後となった病院」
スクラップブックも見に来てね!http://scrapbook.ameba.jp/brain-int_book/
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