空に瞬く小さな輝きも、大地を照らす大きな輝きも、どちらも画面に映されたものに過ぎない。
自転周期や公転周期などは存在せず、一日、一年という概念を成り立たせるために便宜的に存在しているものとされている。
遥か上空では特定の条件を満たすと視覚に異常をきたすようになる。平面上に表示されたものを奥行きのあるもののように感じてしまう。それを技術として存在を認識してもなお、上記の特定条件下においては疑いを抱かず受け入れてしまう。
それによって人々は自分達の住む星の外には宇宙が広がっていると思い込んだ。
その現象を体験したものは例外なく脳に障害が残るが、その星の医学では発見すらされていない。
自分の見た「地球の外側」をとても素晴らしいものであると認識し、それにより疑念を抱かせない。
それは記録映像になっても影響力を残し、人々に大きな疑念を抱かせないように処理している。
その世界の住人の根底にある支えとして神の存在を認識させた。
神は見えないが確かに存在するという意識を全ての人間に与えた。
それは、住人の精神安定剤の役割を果たすと同時に、自分が神であるということを知らしめるためでもある。
神、つまりは世界の創造主は更に大きな「世界」の一住人に過ぎない。生物はある特異点を越える知能を持った時、神となる。神となるのはその時点でその世界に存在している全ての人間が対象となり、その瞬間から三大欲求を失う。
神となった時点で世界創造の方法を知ることが出来、例外なくそれぞれの神が世界創造を行う。
作られた世界の数を計測することは事実上不可能である。
それは自分自身が何代目の世界にいるのかを知る術がないためである。
また、神の創造した世界の住人が神になった瞬間にその世界を創造した神はその世界を認識することが不可能になる。
それが世界創造の最終地点であるが、その後の神の行動は明らかになっていない。
新しい神を作ること。その目的だけを理解していて、実際にそれを行えた神がいるのかは誰も知らない。
目的を達成した瞬間に存在が消されてしまうのではないかとされているが、何故消されてしまうのかは分かっていない。
世界の命の数は常に一定であり、世界の始まりには生物が存在しなかったという常識は、設定にほかならない。生物は死の瞬間、別の生物へと生まれ変わる。
しかし、神にはその法則が当てはまらない。
死んだ神はどこへ行くのか。そもそも神に死は存在するのか。
神は全知全能である、というのはあくまで創造した世界の中でのみ言えることである。
そのため、神々にも分からないことは多く存在する。数え切れない程の世界が存在する中で自分の管理する世界のことしか分からない、と言ってしまえば、無知と等しいとも言えるだろう。
世界の全容を暴く方法は現時点では存在せず、しかし、それを明らかにしようとする動きもない。
自分の世界が持てる、それで全ての欲求は満たされてしまうのだ。
稀に神が自分の創造した世界に堕ちることがある。
その際、記憶と能力を喪失するが、全てというわけではなく、特別な能力や記憶を持ったまま人間へと堕ちる場合がある。
恐らくは記憶処理をする何者かの知らない領域の知識や能力を所有していたためではないかと思われる。
堕ちる理由については好奇心としか説明がつかない。自分の管理する世界に自分が入ってみたいという願望から来るのではないかと言われている。記憶や能力を失っては意味がないと思われるかもしれないが、そもそも我々に意味などないのだ。
神はなんら特別ではない。特別視してくれるのは自分の管理する世界の住人だけ。動機としては有り得なくはない。
神が堕ちることがあるというのは周知の事実であるが、その方法については分かっていない。堕ちた神自身も理解しないまま堕ちたのかもしれない。条件があるのだろうが、それを知ることは出来ないのだろう。
神が堕ちた世界に新たな神は生まれない。神のいない世界は誰にも認識されない。
我々は誰に教わったわけでもなくそういった確認の取れない知識を持っている。
それが偽りだと言う者はいないし、疑うことにも意味は無いように思う。
世界はそう出来ている。
それを我々は目の前で見てしまっている。
創造した世界に存在する基本的な法則について理解はしていても管理はしていない。
この世界はそう出来た。神ですらその程度の認識しかしていない。
だからこそ、今の世界を疑っても無駄なのだ。神の神ですらその理由を知らないのだから。
世界はそう出来ている。