自分から見て祖父に当たるくらいの年齢差がある。
色々な事業に手を出し成功した大地主でもある。
だからこそ仕事の依頼は毎日のように来るようだ。
今回は引越しの手伝いだった。
猫に囲まれている夢を見ていた私を叩き起したのは隣に住んでいる弟だった。
用件は「自分は行けないけど仕事手伝ってほしいって」というものだった。
弟が行けないという時点で断れば良かったのだが、うつ病患者に必要なのは「適当に引き受ける」ことだと自覚していたため何も考えず承諾した。
仕事をくれたおじいさんとその息子、そして依頼人のおじさん、更に厳ついおじさんとその息子、というメンバーだった。
引越しなのだからそれなりに人数がいて当たり前だとその時に気付いた。
胸が苦しくなった。吐き気がした。
それでも荷物をひたすら運んでいればいい。
そう思いながらも私はちょくちょく声を発していた。指示を仰いだり、逆に提案をしたり、お世辞笑いや社交辞令トークも。
普段引きこもりの自分には引越し作業は過酷だった。司会が狭くなり意識が安定しない。足元は覚束ず、手に力が入らない。
それでも続ける以外に選択肢はなかった。
ふと見ると休憩している人がいた。みんな上手く休憩を挟んでいるのだ。でも自分にはそれが出来ない。「何もすることがない時間」なんて存在しないからだ。
荷物を積み終わる頃にはもう力尽きていた。
朝から動き始め、お昼を過ぎても空腹感はない。
ただ気持ち悪かった。罪悪感も酷かった。
自分はこれでお金をもらえてしまう。
「お金はいらないから帰らせてください」と言いたいと何度考えたか。そんなこと言えるはずもない。当たり前だ。
お昼をご馳走してもらった。俺の奢りだ!みんな同じもの食え!というタイプの依頼人だった。もちろんありがたい。でも迷惑でもあった。
店に入っても吐き気は収まらない。混んでいる店内も、同じテーブル席に座った他人も、耳から入ってくる様々な音も、全てが不快感を与えてきた。両腕が細かく痙攣を始めた。平静を装えば震えは止まった。けれど辛かった。ただただ辛かった。
食事の味は覚えていない。けれど「とても美味しかったです!ご馳走様でした!」と笑顔で言えていたと思う。依頼人も嬉しそうにしていた。良かった。
新居に到着し荷物を下ろし始める。
冷蔵庫を下ろす時、自分は指示をされた。
「そっち通って持って」
だから答えた。通れません、と。
けれど言ってすぐに気付いた。相手の言いたいことに気付いた。だからすぐに動いた。
しかし、遅かった。
「回って行きゃいいだろうが!」
怒鳴り声が響いた。
そうじゃないんですよ。あなたの頭の中で考えている下ろし方と私が考えている下ろし方は違うんですよ。だから「そっち通って持って」じゃ違う意味に聞こえるんですよ。
結局回り込んだところで冷蔵庫を持つ隙間などない。そもそもどう下ろすつもりか未だに分からない。持ったか!?と聞かれ、はい、と答えた。思っていた下ろし方とは違った。そんな下ろし方、この状況で出来るはずがないと気付いていたのは自分だけだったのだろう。それは仕方がない。言葉が足りないのも仕方がない。相手にはその選択肢しかなかったのだから。怒鳴るのも仕方がない。頭に血が上りやすいのだろう。それにこの暑さと重さ。余裕がなくなるのも無理はない。
分かるか。全て仕方がないんだよ。
でも、自分のした事はそれじゃ済まされないんだよ。聞かなかった自分が悪い。想定出来なかった自分が悪い。返事に言葉が足りなかった自分が悪い。怒鳴らせた自分が悪い。
全てが自分のせい。もう挽回は出来ない。
怒鳴った事実は変わらない。怒鳴られた事実は変わらない。どれだけ取り返そうとしても挽回なんて出来ない。それでも頑張った。頑張ったと自分で言えるくらい頑張った。笑顔で元気に休むことなく作業を続けた。頭を使いながら体を動かした。自分がどうすればいいと思うかじゃない。相手はどうしたいと思っているのか。どう動いて欲しいと思っているのか。それをすべての相手に対して思考し続けた。
疲れた。仕事が終わって解散になった。疲れた。
何度「お疲れ様でした」と言っただろう。これで最後だ。きっともう二度と会うこともない。お互いに名前も知らないまま。お疲れ様でした。それは自分に言っていたんだと思う。お疲れ様でした。
そして、日当をもらった。その時にやっぱりと気付かされた。お金に対して執着がない。だから、お金を貰っても達成感がない。自分はなんのために手伝ったのだろうか。それはお金をもらうためなんかではなかった。社会復帰のためだった。
でもダメだ。こんなことじゃダメだ。
頭がぐわんぐわんと揺れている。
引越しの手伝いがひどく昔のことのように思える。
体は動かない。心は落ち着いてきた。
落ち着いて、安心しながら、死にたいという思いが浮かんでくる。
良かった。もう辛いことはしばらくないだろう。良かった。死のう。
そんな、理解されないであろう思考回路は私に限ったことではない。きっと、うつ病の人は共感してくれるだろう。
本当に辛いことの真っ只中では自殺する余裕もない。全てが終わって一人になって思うのだ。死にたい。死のう、と。
なんでこんな思いをしなきゃいけないのか。
そんなことを考えても責める相手は自分しかいない。だから考えない。
けれど受け止めたところで辛いことには変わりがない。
全ては自己責任だ。だからもう関わらないでくれ。