連絡も取ったりして、やりとりが続いたりして
会いたいと思って、好きになりそうになって
でもそうすると思い出すようにして頭の中に現れる
「自分なんかを好きになってくれるはずがない」
好きだと言ってくれても、会いたいと言ってくれても
もちろん嬉しいけど、不安になる
会うにはもちろんお金が掛かる。
交通費とか飲食代。自分にはそれだけでも大きな負担になる。
でも会いたい。会えるのは月に1人が限度だろう。
やっぱりお金がなければ出会うことも出来ない。
なら働かなければ。
働いて、死にたくなって、お金を貰って、罪悪感で溢れて、それで、それで、そこまでして会いたいのかな。
そこまでしてひとりが嫌なのかな。
そもそも違うよ。働いて、お金を貰っても、それは自分が使うわけじゃない。そりゃそうだろう。
未だに世話をしてくれている母親に渡すべきだろう。少なくとも今と同じ額を。そうしたら、やはり月20万は欲しい。半分を母親に渡して、残りから貯金をいくらかして、多分一人暮らしをするだろうから、そうしないと母親に当たってしまうだろうから、残りで生活して、その後の残りで遊ぶ。でも、時間は、そんな時間はあるのだろうか。そして、そんなお金はあるのだろうか。
やっぱり考えてもダメなんだ。考えるからダメなんだ。考えないで踏み出してしまえばいい。
そうだよ。それが正しいよ。
だけど、怖いんだよ。目の前ですら見えないのに、一歩踏み出す先に道などないかもしれないのに、そこで一歩踏み出す勇気をどれだけの人が持っているというのか。それも、道が無く落ちた経験がある人が、もう一度踏み出し、また落ちて、それが浅い穴だとしても、偶然だともう一度歩き出すなんて、本当に出来ると思っているのだろうか。
険しい道を歩く人はその険しさが見えているのだろう。だからこそ、その歩き方を模索出来る。見えていなければ、いや、見えなくても歩き方を模索するのかもしれないな。
前が見えないのはきっと目を開けてないから。
それだけなんだろう。
目を開けた時に見える景色を僕は知りたくないのかもしれない。
目を閉じているその閉塞感に僕は浸っているのかもしれない。
手を引いてくれるあなたは僕の何を好きになってくれたんですか。
年齢ですか。体重ですか。顔ですか。性格ですか。
僕はどこを好きになってもらいたいんだろう。
時間が経てば変わる年齢や、日々増減する体重や、数回見れば飽きるこの顔や、良く見えるよう着飾った性格が、本当に僕だと言えるのか。
そういう自分もそういう部分で人を好きになるのだから偉そうに言えやしないけど。
言いたいことや思ってることを文章に出来る人はそんなに多くないのだとナイモンやっていると感じる。
その文章で伝わると思っているのか。はたまた伝えるつもりがないのか。そういうことを受け取る側が読み取らないといけないのだろうか。
分かりやすいように、伝わるように、誤解がないようにと、考えながら書いている僕には、その努力をする価値もないのかな、と考えても仕方ないのではないか。
考えすぎとかではないんだよ。事実そうなんだよ。
人は誰しも自分が一番可愛いのだと言うけれど、その場所に他人を置いてしまうから、そんな僕と同じだけ僕のことを考えてくれる人なんているはずもないんだよ。
だから、諦めてさ。諦めてさ。期待してさ。諦めてさ。
そうやって、自分が自分の中に部屋作って鍵かけて、その開け方を探しながら別の錠をつけるんだ。答えを探して、でも出たくはない。外に出る方法を模索しながら、出ずに済む方法を探っている。
出られるわけないよね。入ってこれる人もいないよね。
一人は寂しくて、もう一人の自分を作った。
人格なんて作れなくて、複製を作った。
自分は優しかった。他人に優しく自分に厳しい。そんな自分を自分は好きだ。自分を超える誰かは現れない。
どんどん孤独になっていく。
恋愛なんてしてはいけないのかもしれない。
傷付くのは自分じゃなく相手だろうから。