私は数話だけ見て、嫌悪感に近い何かを感じて観るのをやめた。
母親は最終話まで見たらしい。その感想が、「なんでこんなドラマを作ったのか」だった。最終話で実際のゲイやレズビアンの方がインタビューを受けるようなシーンが映されたらしく、それの意図も分からなかったようだった。
私がゲイであることは母親も知っている。
けれど、ゲイがどういうものなのかを母親は知らない。
男なのに男を好きになる人のことでしょ?
一言で表すならそれで何も間違ってはいないのだけれど、なら、異性愛者は、女を好きになる男、や、男を好きになる女、と表現されるのだろう。そうだけど、そうなんだけど、というその感覚が分かるだろうか。
最終話まで見なかった私がこのドラマの意味を語るのはおかしいのだけれど、偽装の夫婦を演じなければならないことに疑問を持つきっかけになるのではないかと思う。というか、疑問を持ってほしい。
誰かを愛することは自由なんかではなくて、当たり前なんかではなくて、身近な人間にさえ自分を偽らなければならない。幸せを共有することも出来ない。
それは、特殊だから仕方ないのか。
普通じゃないから仕方ないのか。
きっと、母親は私のことを理解出来ないのだろう。
理解したいとも思っていないのだろう。