それが恒常的であるなら尚更のこと。
だから自分は誰かを愛したいと思う。
誰もが出来ないなら尚更。
誰かに好きと言われたら当然嬉しい。
けれど悲しくもなる。
それは続かないものだから。
いつかはなくなるものだから。
けれどそれでも今好きなことは変わりないと、そう思うのが当たり前。
だから、その想いに出来る限り向き合う。
それがあなたの幸せになるのなら。
それが俺の傲慢だとしても。
相手の気持ちが本物かどうかの見極めは結局のところ自分が勝手に決めている。
見捨てる想いもあれば守る想いもある。
守れる力などないのに。
誰かのために生きたいというわがままのために。
今年の春から友達と半同棲することになった。
一人暮らしを始める友達の家に入り浸るだけなのだけれど。
友達は泣いて喜んでいた。
嬉し泣きだと言う友達に自分は申し訳なさを感じていた。
俺はそんなんじゃない。
好きだという気持ちに甘んじているだけ。
その気持ちに便乗しているだけ。
好きになってあげられるわけでもないのに。
洗濯と掃除くらいはやると伝えた。
けれどそれは愛情ではなく義務。
それを君はきっと分かっている。
だからその涙は嬉し泣きではないんだと、君自身は気付いているだろうか。
俺は本当に生きていていいのだろうか。
俺は本当に誰かのためになれているのだろうか。
何かを消費するだけの人生ならば、いっそのこと終わらせるべきなのでは。