人間の距離


実家に帰った日


今日は旦那の実家に帰った日

2ヶ月ぶりにお泊まりです。
私は精一杯しているつもりだったけど
向こうの気持ちがどんどん離れていくのがわかる。
私はこれ以上何を変わればいいのだろう
もう病気のせいだなんて何も思って貰えない。
人として否定されているんだな



とりあえず睡眠薬を飲んで寝ることにします


今日こそ寝れるといいな







こんばんわ(*´ω`*)
今回は前回のブログで初めて頂いた
コメントについての返信に
させて頂きたいと思います。

イイネもとても嬉しいですが
コメントまで下さりありがとうございます✨

まず、コメントについて
そのままコピペさせて頂きます(՞ . .՞)

初めまして。境界性パーソナリティー障害は本人も相手も両方が辛く悲しいことが多々ありますね。僕も別れた彼女がそうでした。彼女は気づいてないですがHSP(ハイリーセンシティブパーソン)だと思うと自分の症状をスマホで探してました。0か100か、小さなことで癇癪を起こして前の彼氏がどうのこうのひたすら何時間も起こってるとこがありました。旅行や出先では楽しく行動していてもちょっとしたことで無視が続いたり(あとで聞くとイライラしてどうしてもしゃべられなくなる)してました。職場も転々としてトラブルがあれば小さなことでも辞めてしまうって、感じでした。別れて9か月ですが戻ってきてほしいと思ってます

この方がゆってくださる通り
境界線パーソナリティー障害(BPD)
本当に本人以上に周りの人が辛くなってしまいます。
そんな彼女さんを支えてきたこの方は
精一杯辛い思いもされたと思います。

私も物事を0か100かで考える人間なので
彼女さんの気持ちがなんとなく
わかる気がします。
自分がやりたくてなりたくて
してしまっている訳ではなく、
脳の異常なのです。

ハイリー・センシティブ・パーソン
(HSP)
というのは私自身初めて聞いたので
簡単ではありますが調べてみました。

少し調べて見ただけの情報なので
間違っていたらごめんなさい。

HSPとは
「生まれつき感受力が人より強く、
人一倍敏感な気質がある人」
しかし病気ではないらしいです。
生まれつきの性質の問題のことで
5人に1人がかかえているらしいです。

しかしうつ病を発症してしまうことも
多いと言われているらしいです。
もしかするとですが
彼女さんもうつ病を発症してしまっていたのかも
しれませんね。。。

私も病名は違いますが少しのことで
さっきまで何事も無かったのに
急に気分が下がってしまうことがあります。

今は旦那にはそれをできる限り
見せないようには生活をして生きています。
私が旦那と一緒に生活をしていくには
これしか方法がなかったのです。
これについてはまた詳しく話させていただきます。
でも私の知らないところで
顔に出てしまっていたり相手は
実は気づいているのかもしれません。
そのため一緒にいても
謎の沈黙があったり
相手の表情が変わってしまうこともあります。

私も前の仕事を続けることが出来なくなり
1ヶ月ほどニートの状態です。
やりたいことも何も無く
淡々とした時間が流れています。

でも私は仕事は今すぐにしなくていいと
言って貰えています。
だからこそ他に向き合わないといけない
強くならないといけないことがあると思い
それと毎日戦っています。

精神障害、精神疾患と聞くと
本人が1番キツいと思われると思います。
多くの人がそうだとは思います。
しかし私の場合は支えてくれようとしている
旦那が1番辛い思いをしているのです。
それは私だけではなく
彼には大切なものが沢山あるからなのです。
その中で障害のある私を見るなんて
辛すぎるんです。
家の場合ではありますが
旦那も追い込まれてしまって
潰れてしまいました。
他の人の前ではあまり見せませんが
今でも昔の旦那ではありません。
距離がある状態です。
それでも私は彼を受け入れようと
彼ができないところは私が補っていこうと
思っています。

大きいことを言っても
まだまだ上手にできず
苦しめてしまうことばかりですがね…

なのできっとコメント主さんも
詳しい状況はわかりませんが
いっぱい辛い思いをして格闘をして
別れるという結論を出したのだと思います。

そんな彼女のことを
もう一度もどって来て欲しいとおもうのであれば
ぜひ私は伝えてあげて見てほしいと思います。
彼女さんともコメント主さんとの
話をしたことはありませんが
もしかしたら彼女さんは今でも
あなたの事を待っているかもしれません。

言葉にしないと
伝わらないことって生きて行く中で
たくさんあるんです。
私は言葉にしないと伝わらないことの方が
圧倒的に多いと思っています。

少しでもコメント主さんの
気持ちの力になれますように。。。

コメントありがとうございました✨




 

こんにちわ

ゆうです♡


​離婚届を突きつけられた



 

今日は時間もあり病気の症状も少し安定しているので

二本目のブログになります。

 

前回のブログで

私のBPDの症状によって

「離婚届をとってくるわ」

と言われてしまった話の続きになります。

 

この一言は私が一番恐れていたものです。

こうならないために私は頑張ってきたのに

結局近くで支えてくれる人の大変さに気づかずに

ここまで相手を追い込んでしまっていたのです。

 

その日私はひたすら

「どうにかしてそばに居させてください」

と言い続けていました。

どうしても旦那を失いたくなかったのです。

そこで旦那から出た言葉はこうでした。

「俺はもう変わるつもりもない」

「お前といるとすべてを失ってしまう」

「俺一人では無理だから俺の実家にいなさい」

とにかく苦しい一日でした。

 

そしてそれでもどうにかと話した結果

「一週間、距離をあけてほしい」

「その間にお前がかわれ」

というものでした。

 

でも一週間後、旦那が本当に帰ってくるなんて

誰にもわからない状況でした。

旦那でさえも戻るつもりはなかったと言っています。

 

私もとりあえず戻るとうそを言われていて

もう戻ってこないんだろうなって思っていました。

 

最初の二日くらいは

どうしても我慢ができずに泣きながら

電話を掛けた日もありました。

そのたびにそんなことをされたら、

「もっと冷める」

「もう帰らない」

と言われました。

 

どこにも助けを求めることもできずに

ただ時間がたつのを耐え抜くしかなかったのです。

でも今まで一人で生きたことが

10年近くなかった私は

一人の夜が、誰も帰ってこない家が

とてつもなく怖くてたまらなかったです。

 

「私は誰にも必要とされていないんだ」

「私なんかいなくなったほうがいいんだ」

 

何度も消えてしまいたくなりました。

世の中の時間が止まっているような

感覚になりました。

 

でも旦那と一つだけ

約束したことがありました。

もう二度と自殺行為や自傷行為はしない。

 

私はいつのタイミングからか

死にたいという気持ちが薄くなっていたのです。

死ぬということに対して

怖いと思うようになっていたのです。

どこかで旦那は帰ってきてくれるはずだから

その子機また私に傷が増えてしまっていたら

今度こそもう会えない人になってしまうと

思っていました。

 

だからどんなに泣いてもつらくても消えてくても…

自傷行為だけは一週間我慢していました。

 

本当はこの病気の治療法としては

死ぬかもしれない人間を入院もさせないで

一人で一週間も家に置いていくのは

間違いだといわれています。

しかし病人を支えているのも、人間です。

その人にだって限界は来ます。

私の旦那はもういっぱいいっぱいだったんのです。

今同じ状況で苦しんでいる病人の人、

またそれを一番近くで支えている人に

向けて言いたいです。


本当にBPDというのは自殺者も多い病気で

自傷行為や自殺行為

またODなどにより本人は死にたくなかったとしても

死んでしまうケースだってあるんです。


私がされたことは「粗治療」のようなものです。

私が根元が強い人間だったから

できたことだと思います。


本当は少し距離をあけたくなったとしても

病院に入院をさせてからにしてあげてください。

人間死んでしまたら、

もうどうあがいたって戻っては来ません。

あなたの大切な人をそこまで追い込みたいですか?

病人の人も病院に入院するのは

ものすごく怖いことだと思います。

でも、そこまでしてあなたを

守ってくれようとしている人を

追い込みたいですか?


みんなあなたのことが嫌いで

入院させようとしているんじゃないんです。

人にはできる限界があります。

そこを迎えたとき、あなたを守るために

入院という決断をとるのです。

 

必ず迎えは来てくれます。

あなたのことを嫌いになったり

考えるのが嫌になったわけ

ではありませんよ。

それだけは忘れないで…

 

話が少し熱くなってしまいましたが

私にとってはこの一週間があって

自分とたくさん向き合えました。

決して皆さんの参考になる話ではありませんが

たとえば今までやりたいこともなかった私が

その間にこのブログを開設することも決めました。

しかし病気は完全には治っていません。

苦しいこともまだたくさんあるし

昼間は一人で家にいることが

できるようにはなりましたが

まだ夜、旦那は帰ってくるかわからない

そんな恐怖の中で一人でいることはできないです。

 

でもここまで私の気持ちが変わり始めた

プラスのことについて次回は

書かせていただきたいと思っています。

 

今回も長々と読んでくださり、

ありがとうございます♡

 

 

 

 

2022年 7月 15日(土曜日)



BPDになんてなりたくなかった


BPDとして最も恐れていた事態




 

 

 

おはようございます。

 

なかなか、まだ更新できていませんが

こんな私のブログを、見てくれたり

イイネをくださってほんとにありがとうございます♡

 

こんなブログがどこかに必要とされ始めていることが

人生でなかった経験なのでとてもうれしく思います。

 

今回は前回お話しした

BPDの症状の一つである

・自分の感情を抑えることができない・

・人を怒れせてしまったり、傷つけてしまう・

 

このようなことのせいで

壊れてしまった関係についてお話しします。

 

私の場合は唯一、BPDの症状である

理想化とこき下ろし

については旦那の前では

見せたことがありませんでした。

その部分を見せてしまうことにより、

私たちの関係が壊れてしまうからだと自分の中で

どこかわかっていたのです。

 

理想化とこき下ろしとは

やむを得ない計画の変更や、

限られた期間の別離に対しても

見せてられる恐怖や怒りと強く体験し、

パニックに陥ったり

相手にひどく理不尽に激怒してしまったり

することです。

その基準は不安定で激しいものです。

例えばですが、自分の恋人ないし

週に一回から二回あった人に対してでも

自分の面倒を見てくれる人だと理解し長い時間一緒に過ごしてくれるように要求します。

しかし、相手が自分の面倒を見てくれない

一緒にいてくれないと感じれば

理想化からこき下ろしへと一気に

豹変してしまいます。

このように相手に対して見方を、

突然かつ極端に変化させてしまうのです。

 

わかりやすく言えば

私の場合は人間を好きか嫌いか、自分の味方か敵か、0か100で判断してしまいます。

 

その100好きで一緒にいたいと思う相手が

私の場合は旦那でした。

ほかに頼れる人もいなくて、

実際旦那はできる限りをかけて

私の面倒を見てくれていました。

 

正直とても恥ずかしい話ですが、

息子に会うのが怖くなってしまった私は

旦那が息子や実家のことにかかわるのさえも

嫌になっていて我慢させていました。

 

旦那もそんな私をほおっておくと

自殺してしまうかもしれないという恐怖から

私が嫌がることは見せない、しないと

いう生活を一か月続けてくれました。

 

そんなある日お互いに限界が来たのです。

その日の私は学校のことで

ずっとスマホを触っていたり

なんだか様子の違う旦那に対して

イライラしていました。

そんな日にお互いお酒に逃げてしまったのです。

 

「あなたは最低だ」 

「一緒になんてならなければよかった」

「あなたと一緒に居れないのなら私はもう死にたい」

「殺してほしい」

旦那に対して、暴言暴力を繰り返してしまったのです。

私は極度のつらいことがあると

お酒を飲んでいてもいなくても

記憶をなくなくしてしまうことがあります。

その時のこともよく覚えてはいません。

会話はのちに旦那から聞いたことの一部です。

 

そんな私に対して向こうは

完全に冷めきってしまいました。

次の日起きると

「もうこの家には戻ってこない」

「離婚届をとってくる」

と言われました。

 

自分が一番してはいけないことを制御できずに

最悪な事態を迎えてしまったのです。

 

その旦那の強い意志からどうなっていくのかは

また次のブログで書かせてください。

 

今日も私のブログを読んでくださり

ありがとうございます。

まだまだ、わかりにくい文章ですが

誰かの心に届いてくれていると嬉しいです。

 

 

今日も私のブログを読んでくださり

ありがとうございます。

まだまだ、わかりにくい文章ですが

誰かの心に届いてくれていると嬉しいです。

 

 


境界線パーソナリティー障害と診断を受けた女性の話


 

 

境界性パーソナリティー障害は、障害自体は

病気ではないという記事を見つけました。

社会的に問題を起こしたとき、はじめて障害になるらしいです。

 

私の場合は前回お話しした見捨てられ不安

中学生くらいからあった気がします。

一人になるのが怖い、知らないところで

自分の悪口を言われている気がする、自分には信用できる人や

心を許せる人がいない・・・

 

それが原因で危ない事件にまきこまれたこともありました。

 

そんな中で私の病気が出てしまったのが結婚がきっかけの一つでした。

 

私は旦那に対しての見捨てられ不安が大きく、

一人でいることが怖くて仕方がなかったです。

家にも一人でいることができない状態までになっていました。

 

でも我が家は一般家庭とは少し違って

旦那は私の15歳年上で、中学生の息子がいます。

シングルファザーだったのです。

私はシングルファザーと結婚するということを簡単に考えすぎていました。

奥さんになれると思っていたし、母親になれるとおもっていました。

実家にも一緒に帰って、三人で一緒に住むところまで話も進んでいました。

私がしっかりしないといけないと思って頑張りすぎてしまったのです。

そうしないと旦那に好きでいてもらえない、捨てられてしまうと思っていたのです。

 

でもそんな無理は長く続くはずがなかったです。

全部私が無理をしてしまっていたことで全部を壊してしまったのです。

私はそれにすら気づけなかったのです。

相手の実家に行くことも怖くなり旦那に実家に話をされることも受けてけられなって

そんな時に初めて病院を受診しました。

そこで受けた診断が前回お話ししたBPDでした。

 

初めのころは名にかあるとすぐに自傷行為をしてしまったり

自殺行為までしたこともありました。

旦那はそんな私を心配してくれて何よりも私のことを優先してくれていました。

仕事も私をできる限り連れていってくれたり

私が薬をODしてしまって意識朦朧になってしまったり電話をしたことが原因で

仕事を休ませてしまった日もありました。

 

ODとは

オーバードーズと言います。

特定の市販薬や病院でもらった薬を過剰摂取してしまうことを意味します。

高揚感があったり疲労感を取り除いたりするものですが

当時の私は死にたいという気持ちでいろんな薬を同時にODしてしまっていました。

 

そんな状況の私をほっとけなかった旦那は

いろんなことを犠牲にしてくれていました。

家族で住むこともあきらめさせてしまって

今は二人で実家から少し離れたところに暮らしています。

 

そんな状況で起こってしまった

BPDの病気の症状である

・感情を抑えることができない・

・人を怒らせてしまってり、傷つけてしまう・

といことをしてしまい、二人の関係が大きく変わってしまいました。

 

それについて、このつぎのブログで

書かせていただきたいと思います。

 

自分の中でも整理をしながら書いているので

わかりにくい部分も多いと思いますが

こんな私でも周りの人に支えられて何とか生きています。

少しでもこの病気のことについて知ってもらえたり

今生きていくのがつらい人に何かが届けばうれしいです。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます♡