好きな歌に、ビリージョエルの「オネスティ」というモノがある。

少々長いがお付き合い頂きたい。

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君は「優しさ」を求めているの?
それなら、見つけるのは、そう難しくはない
生きていくのに必要なだけの愛なら、それで得られるさ

でももし、「誠実」を求めるのだったら、話は違う
それを手に入れるのは、いつもとっても大変なこと
盲目になって生きていくほうが、まだましかもしれない

「誠実さ」- なんて寂しい言葉だろうね
だれもがあまり「不誠実」な、世の中では
「誠実であること」なんて、ほとんど必要とされない
そうしてそれこそが、僕が君にもっとも求めているものなのに

僕が胸の内をさらけだせば
同情してくれる人はすぐに見つかる
でも、外側だけきれいな顔をして


きれいな嘘をつくような人はいらないんだ
僕が欲しいのは、「信じる」ことができる相手なんだ

「正直さ」- 空しい言葉だね
だれもがいまでは「不誠実」になってしまって、
「誠実かどうか」なんて、誰も問題にしないけれど、
僕が君に求めていることのほとんどが、これに尽きるんだよ

恋人を見つけることはできる
友だちだって
心の平安を得ることもできる
そうして結局、ひどく惨めな終わり方をしてしまうんだ


誰だって、僕に、「慰めてあげるわ」っていう約束を繰りかえすことはできる
そんなこと、よく知ってるさ

僕がひどく落ち込んでしまったとき
あまり心配してくれなくっていいんだ
そういうとき、僕はなにも求めてはいないから
でも、もし僕が「誠実さ」を求めたとき
僕はいったい他にどこに向かえばいい?

僕が頼りにできるのは君しかいないのに

「誠実さ」- なんて孤独を感じさせる言葉だろう
誰もが「不誠実」になってしまった世の中では
「誠実」 そんな言葉、もはやほとんど耳にしない
でも、それこそ僕が君に求めているものなんだ

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赤字で示した部分が、全て俺の価値観と同じである。

報道から欲しいモノもまた、同じく「誠実」

被害者に寄るのは、まだ許せる。


が、被害者に、同情することだけは絶対に許せない。


だからこそ、ドラマの放映には反対である。

事件に対して、「誠実」に向き合っているとは思えない。

被害者の気持ちを無視し、手紙を送りつけたのは

「視聴者」に対して「誠実」なのかもしれないが…


感情は、記憶をすり替える。

ある時は美化し、ある時は醜悪に…


その時、その場所で、何を思ったのか?

ソレを知りたければ、その瞬間に、

インタビューをしなくてはならない。

だから、その行為は、否定する要素はない。


そう、俺は考える。視聴者の立場から。


しかし、ドラマの内容に、同情が入り込むのなら

別に、「その瞬間の言葉」を聞こうとする価値はない。

どこまでも、「純粋」な事故の凄惨さを語り

何が、必要で、何が、不必要なのかを語るつもりなら


俺は、その行為さえ、「流石プロだ」と賛辞したい。

が、結果として、恐らく「同情」が多大に入るだろう。

だからこそ、「気に入らない」と俺は言う。


脱線事故に無関係の俺が、

ドラマに対する反対意見を述べる時、

「被害者」の気持ちに立って考えてはならない。

あくまでも、「第三者」を貫くことで、


「関係者」に対する、「誠実」さを示した記事にした。


しかしながら、一部の方には理解頂けなかった。

そして、理解されなかったことを、記事にされた。

色眼鏡で、あの記事を見られないためには、

下らない「不幸自慢」をするより他無かった。


誰であろうと、ネタにする。

どんなことであろうとネタにする。

そこに、語るべき論点があるのなら

喜んでネタにし、書き上げる。


無神経だと言われても、ソレが俺の理だと

ソレを証明するためには、自分自身の体験が手っ取り早い。


そして、反対意見を、皆に知らしめるため、

「アクセス乞食」と言われても、宣伝行為をする。

それが、俺のやり方だ。


下らない記事を書いたのかも知れない。

が、俺はそうは思わない。

考えさせる内容にしたつもりである。

消すつもりはない。何度でも読み返して貰いたい。


俺の意見を伝えるためには

「アクセス数」を稼がねばならない。

見るだけで終わる人も、そうでない人もいるだろう。

俺は、真剣に記事にしたつもりである。


「プロ」という立場ではないが、

こうした文章を残すことは、

「プロ」意識がなければならないと思う。


しっかりと、論じるのであれば、どんな反対意見であろうと

自分の中に一端取り込み、何を伝えたいのか、理解しようと勉めたい。

そして、誤りであるなら、その部分を消すことなく差し込みを入れる。

そうすることで、自分の間違いを指摘し、世間に晒し上げる。


ソレが、このブログの姿勢である。


「プロ」はどんな汚い仕事でも、

自分の「理」に反することがなければやり通す。

だからこそ、フジTVのドラマ化は止まることはないだろう。

しかし、視聴者の立場は、変えることが出来るだろう。


そういった意味合いからの反対記事。

どう見て取れるのかは、読者様の器次第である…

できれば、感想をお聞かせ頂きたい…


P.S.

この一連の記事だけは、差し込むつもりは有りません。

俺の、スタンスの表明であるのに、誤った認識だったと言う必要はない

他人にとって100%正しいかどうかは、この記事には関係がない。

現在の俺にとって100%正しいと思えるスタンスを表明したまでである


この一連の記事が、俺の「プロ根性」たる姿勢である。


~完~