数日前、私の祖母が他界した。

100歳。


母子家庭で育った私にとって

たった一人の祖母。


地元を離れて働き始めても、

休みのときはなるべく会いにいっていた。


体調を崩して入院、

老人ホームでの生活。


もう何年も会話なんてできない状態だった。


モラ夫から逃げることを決意し、

ペットをどうやって実家につれていくか

悩んでいたとき


祖母が体調不良だと連絡が入り、

ペットを連れて実家に戻りそのまま預けた。

祖母の体調は安定した。


その後も何度も祖母の体調は悪化して

私は実家に帰る口実ができ

荷物を運ぶことができた。


でも、祖母は毎回 回復し

安定して生活していた。


ついこの間、仕事が速くおわって

祖母のところへ行き、

「またくるね」って話してきたばかりなのに


仕事が終わって携帯をみると

妹からの電話で祖母が危篤と知る。


そのまま祖母に会いにいったけど

5分間に合わなかった。


どれだけ助けられたか

わからない。


感謝しきれない。


おばあちゃん

ありがとう。


仕事を休んで裁判所へ行ってきた。

今回は私の弁護士は一緒じゃない。
寂しいというのか、心細いというのか・・・

次回調停で子どもを夫に会わせる予定なので
その打ち合わせと親権問題もかねて、私の家や娘の学校、
息子の保育所に裁判所調査官が訪問する日程などを
話し合った。

あとは、裁判所が変わったから、これまでの経緯などを
もう一度子どものことを中心に話した。


・娘に父親と離れて暮らすことをどう説明したのか
・これからどのように生活していくのか
・子どもたちの様子はどうなのか
・どんな教育方針なのか

などなど・・・



私は、息子が大人になってお嫁さんをもらったときに
その人のおなかの中に自分の子どもがいるのに、蹴ろうとするような
大人にはなってもらいたくないと思った。

娘が、会話も何もない食卓の我家を、「これが普通の家族」と話した
瞬間、かわいそうでならないと思った。

相手を思いやる心を持った大人になってもらいたいと心から思い、
子どもの成長を考えたとき、家族として父親の存在は必要ないと
感じた結果、家を出た。

と伝えた。


去年12月9日、夫から必死で逃げてからもう9ヶ月が過ぎた。

調停中、自分の生活を振り返り泣いたことは一度もなかったのに
泣いてしまったぁ。
調停になる前は、話をするたびに泣いてたんだけど・・。

朝9:30から始まった話し合いは12:30までかかった。

裁判所でエレベーターの前に行くと、男の人がいた。
多分、同じ階で下りる。

一緒に乗りたくないと思った。
男の人が怖い。

私、かなり顔色がかわったらしく、調査官の人が
「次のでいきましょう」って声をかけてくれた。

ほっとした。

男性不信。。。

帰りは本屋さんでゆっくり本を眺め、楽器屋さんで楽譜を眺め
久々にゆっくりできた。

8月16日

4回目の調停だった。


今回から管轄がかわり、0からのスタートのような感じ。


裁判所で弁護士と待ち合わせの予定だったんだけど

怖くって

駐車場で会ったらどうしよう・・・とか


結局、違う場所で待ち合わせて一緒に行くことにした。


戸籍上の夫は

まだ無職だった。

去年12月に仕事を辞めてから、まだ働いていない。


実家で親からの援助で生活しているのだろう。


そんな夫の主張は


・離婚はする

・親権は譲らない

・娘と話がしたい。娘の意見を聞きたい。



やっぱり、今回も調停委員に私が促されるかたちになった。


娘は父親に会うことを怖がっている。


それでも、次回調停で子どもたちをつれて行くことを決めた。



それまでに、親権と面接交渉の両方を進めるにあたって


調査官がうちに来たり、娘の学校、息子の保育所へ行く。


不安はあるけど、進むしかない。

6月2日 3回目の調停だった。


4時間かけて札幌の裁判所へ向う。

自宅から1時間半のところに裁判所があるのに・・・


今回は、

私が申し立てた、離婚調停と

夫に申し立てられた、面接交渉の調停


の二つがあったが、メインは面接交渉についてになるだろうと

弁護士と話していた。


調停開始


今回は調停委員2名と調査官1名が入っていた。



「ご主人は、あなたが札幌で調停をしたいと言ったから

 札幌で調停をしているとはなしていますよ」


・・・・・ん?


私も弁護士も 「はぁ?」って感じ。



一通り話しを聞いてから、調停委員に伝える。


「私は夫が札幌を希望したから、夫の気持ちを考慮して

 札幌でこれまで行ってきました。」



すると、一人の調停委員が、


「私のノートにも、ご主人が札幌を希望したと書いています」


と話し始める。




言ってることが違うじゃないかと言うことになり、

もう一度、夫側と調停委員が話し合う。



今度は夫・・・

「俺は札幌で調停をしたい」


といい始める。


んー。

さすがモラ夫。


結局、裁判所よりなだめられ

夫の家から1時間もかからない裁判所で

調停をすることに決まった。



夫は私が家を出た瞬間から、ずっと無職で実家にいる。



今回の調停は4時間かけて行って、30分で終わった。


帰る前に調停委員に


「あなたは今の生活を自信をもって続けなさい」


と言われた。


すごく勇気をもらった。


次回日程は決まっていないけど、

次回からは父親と子どもの面会についての話し合いだ。


家に調査官が来て、生活状況をみるのかもしれない。

試験的に裁判所で父親と子どもを合わせるのかもしれない。


どうなるかわからないけど、

子どもの気持ちを一番に考えたい。

4月から仕事を始めて、

調停のことを考える余裕もないほど

忙しい。


3月から書類提出していた


子供たちを私の扶養に入れる手続き


ついに


完了。


私と子供の保険証ができた。


無職の夫の任意継続の

保険証からさよならできた。



そして、


子ども手当ての手続きもやっとできた。



この2ヶ月、

保険証が届くまでの2ヶ月

長かった・・・。



その間に息子は40度の熱を出し

病院にも通った。



保険証がないから、

いろいろ面倒だった。


でも、これで子どもを病院に

迷いなくつれていける。


少しずつ前に進んでいるかな。