駅まで歩く途中で家に最寄りの駅を尋ねられ答えると、シウォンは申し訳なさそうな表情をする。
「キュヒョンさんの家と逆方向だ…。一駅隣町なんだけど大丈夫?」
キュヒョンのアパートも一駅しか違わないのでそんなに苦痛な距離でもないのに、と逆に申し訳ないくらいの表情で笑ってしまった。
「大丈夫ですって」
「それ口癖とかじゃないよね」
「本当に嫌なら言いますから」
「ならよかった」
電車で一駅。
徒歩2分。
ちょっと待て。
なにこれ。
店の前でキュヒョンは顔がにやけるのを止められなかった。
店の建物は見た感じ大した広さはなさそうに見える。
そう。
見えるだけだ。
全面ガラスに木の扉。
その扉を押し開けるとそんなに広くはないエントランスの向こうにまた同じように全面ガラス。
その中は醸造タンク。
エントラスから階段を上がるとそこはタップルームになっていてカウンターとテーブル席。
そして下の階ではタンクが置かれているせいで感じなかった奥行があり、半個室タイプのテーブル席やソファ席などもあった。
「凄いね」
シウォンも人から聞いて一度行ってみたいと思っていたものの機会が無くて初めて来たのだと嬉しそうに笑う。
まだ時間的に客足が疎らなせいで席は好きな場所を選んでいいと言われ、せっかくなら思いっきり楽しみたいとカウンター席を選んだ。
この店で醸造しているクラフトビールだけでなく他の地方の醸造所のクラフトビールも飲めるようだ。
グラスの大きさも3種類から選べるらしい。
そんなに飲めなくても飲み比べはしてみたいという人には一番小さいグラスが、気に入ったビールがあって、それを楽しみたいなら一番大きなグラスがお勧めだと聞いた。
キュヒョンは飲める人間だ。
でもやっぱり色々飲んではみたい。
それはシウォンも同じだったようで二人で真ん中のサイズのグラスを選んで、まずはここで醸造されているIPAをオーダーする。
シウォンはスタウトをオーダーして、目の前で注がれたビールが二人の前のコースターに置かれるとグラスを合わせた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
喉を潤すと二人で大きく息を吐いたタイミングが合い過ぎて笑ってしまった。
「凄く美味しいです」
「うん。美味いね」
カウンターの向こうのマスターが嬉しそうに「ありがとうございます」と微笑んだ。
フードのメニューを開いてキュヒョンはシウォンの顔をまじまじと見つめてしまう。
「何?」
「これもフードペアリングってやつですかね」
「うん。マリアージュとかもいうよね」
絶対こんなのビールに合うに決まってる。
「俺、これ食べてみたい」
「絶対それですよね」
二人で口を揃えて頼んだ「しらすとナッツのピザ」も申し分ない。
いい店を教えてもらった。
また絶対来よう。
4種類目のビールを口にしたところでシウォンが自分のショルダーバックに手をかけた。
「そうだ。キュヒョンさんにこれお願いしようと思って」
ガサガサと何かを探しているシウォンにキュヒョンはずっと思っていてことを口にした。
「シウォンさん、僕のこと呼び捨てでいいですよ?」
「そう?じゃあ遠慮なく。じゃあキュヒョンもさんつけなくていいし、敬語使わなくていいよ?」
「…うーん。敬語はともかく敬称無しはなんか抵抗が」
「なんで?」
「謎の貫禄のせいじゃないですか?」
「なんだよ、それ」
声を出して笑ったシウォンがクリアファイルを取り出してキュヒョンの前に置いた。
それを手に取って透けて見えた用紙の文字を口に出してキュヒョンは盛大に首を傾げる。
「アンケート?」
「そう。何が好きなんだろうとかそういうの探っていくのも楽しいだろうけど、なんか期限とか色々あるみたいだし手っ取り早く知りたいなと思って」
「合理的。というかこれ面白いですね。ネタにしていい?」
「使えるなら使ってくれていいよ」
「シウォンさんペン持ってる?」
「あるよ」
バッグの外ポケットに刺さっていたボールペンを受け取ると、キュヒョンはファイルから取り出した用紙を前に置いて質問に目を通す。
「今じゃなくてもいいのに」
「まぁ、早いに越したこともないでしょ?それに疑問点もすぐ解決出来るじゃない」
「確かに」
質問に答えを書き込んでいるのを覗き込んでいたシウォンが3問目のところで笑った。
「それは今日知った」
「ん?」
「ビール」
「確かにー」
笑いながら記入していると、シウォンがまた気になったらしい答えに質問してくる。
「なんだかロマンティックな答えだなぁ」
「どっちかといえば現実的な気もするけど」
「けど、そういう答えって考え込んだり、作り込みそうな気がするけど現実的にすぐ身近にあるのがロマンティックっていうか…身近に作れるのがロマンティストだよね」
「まぁシナリオ書きなんである程度はロマンティストなのかもしれないけど、これは部屋選びにこだわった副産物なんですよ。間取りにこだわったら予算内の部屋が駅から少し距離がある高台になっちゃったんで」
「へぇ。一回見てみたいな」
「ビールの差し入れ持ってきてくれるならどうぞ」
「有料特等席」
笑いながら残っていたビールを煽ったシウォンがメニュー表をキュヒョンに向ける。
キュヒョンのグラスも丁度空いたところだ。
新しく頼んだ冷たいビールを一口飲んで書き込んだ用紙をクリアファイルに収めるとそれをシウォンに手渡した。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
色々付き合わせて申し訳ない。
そこの言葉は飲み込んでおく。
ビールを飲みながらシウォンの事も色々探っていくと意外にも話すのが楽しくて、結局閉店の時間まで過ごしてしまった。
シウォンのアパートはキュヒョンと逆の方向に一駅だと言って、こちらが電車に乗るのをホームで見届けてから自分も電車に乗ると言い出すものだから「かよわい女の子じゃないのに」と笑ったら「か弱い女の子だったら家の近くまで送るか、タクシーで返すよ」と言われて納得した。
けれどやっぱり自分が電車に乗るのを見届けなくてもよかったんじゃないか?
ドアが閉まって、その向こうで手を振っているシウォンに手を振り返すのも照れくさくて会釈だけすると柔らかい笑顔で見送られた。
なんだかこそばゆい。
別に誰が見ていても全く問題ないのに思わず周りを見渡す。
当然だが誰もこちらを気にするものなどない。
やっぱりこそばゆい感覚だけが残って手に持っていたペットボトルの水を一口飲んで息を吐きだした。
このこそばゆい感覚もふわふわとした感覚も程よく回ったアルコールのせいだろう。
コツンとドアのガラスに当てた額が冷たくて気持ちがいいのはそういう事だ。
「楽しかったな…」
車窓を流れる景色が普段の見慣れた景色に変わると一日が終わった安心感のせいかそんな言葉が零れた。
コンビニに寄っても日付が変わる前には家に着くだろう。
最寄り駅に到着のアナウンスにドアが開く。
わざわざホームで見送ってくれたのだから着いたらメールくらいは入れるべきだろうか?
そんなことを考えながらキュヒョンは改札を潜った。