結局のところ、
道具は重要なんだなと思った。
それはサーフボードであり、
ウェットスーツのことである。
なぜそう思ったかというと、
「道具は関係ない」
と思ったから。
初心者こそ、
どんな道具を使っても
対して差はない。
そして道具の差も、
さほど感じない。
熟練になれば、
道具の差も感じるし、
名前だけの道具のお粗末さも感じる。
道具を作者名の影響を受けず、
本質を見抜ける力が備わった実感が
あるからこそ、
その感覚でボードを吟味する。
ある程度の機能を備えてるボードが
大半なのだ。
機械で作れる時代なんだから
当たり前!!
今まで一体どれだけのタイプの
ボードに乗ったんだろう?
常時家には40本あり、
そのうちの10本は毎年入れ代わる。
それだけ沢山のボードがあれば、
それをネタに珍しい板とシェイパーの
オリジナルボードと海で
交換したりして、また沢山のボードに
乗る体験ができる。
スキップ・フライは確かにいい。
でも、どれでもいいわけじゃない。
ドナルド・タカヤマは、
機械的に作ってても、
ボードの機能のレベルは
最高だと思う。
アル・メリックも同じく、
平均値が非常に高い。
しかし、
アンダーソンが削るハルは
あまり知られてないが、
最高だと思う。
そんな私の外せないボードは
エポキシ。
ワックスが塗りにくいけど。
ボードの硬さにちょっと違和感を
感じるけど。
色がダサいけど。
シェイパーのマスターシェイプと
同じモノが量産されるのは凄い!!
エポキシという工業商品という
イメージが嫌いな人も多いだろう。
でもモノはいい。
しかし、マスターシェイプの質が
一番大事!!
エポキシはブランドが重要なんだな。
そしてエポキシは頑丈です。
ガンガン使って、
傷も気にならない。
ボードにレスペクトすらなくなっちゃうかもしれない。
だからこそ、
本当の意味で愛着もわくもんだ。
iPhoneからの投稿
今週末派メモリアルデーで
月曜が祝日のために3連休でした。
この3日間は色々あった。
土曜は仕事やプライベートの
ストレスで完全に引きこもり、
1日を無駄にした。
日曜は前回のブログで書いたとおり、
大麻でぶっ飛び、
色んな事を考えることができた。
忘れないようにメモを取っていて
本当に良かった。
そして今日は
家を掃除して、洗濯して、
風呂も便所も完璧に磨いた。
やっぱり人間は行動やね。
そして夕方からサーフィン。
この連休は風が強くて波の
コンディションは最悪だった。
波がどうであれ、
とにかく海に入りたかった。
海に入ると、気分がリセットされる。
何気なしに車を走らせ
風に影響をあまり受けないポイントに
到着した。
この場所の裏には
アメリカに初めてヨガを伝えたヨギが
作ったお寺のような建物がある。
数年前、彼の本を読み漁り、
自分の心の視界が広がった気がした。
あの頃は神の存在を近くに感じていた。
最近は完全に遠ざかってた。
1回本を読んだだけで教えが自分のものになった気さえしていた。
でも、本当は忘れていた。
サーフポイントは
やはり波のコンディションは
あまり良いものではなかったが、
何も考えずにとっとと着替えて
早速海に入った。
しかし海に入ってみると、
結構乗れた。
波にあまり期待していなかったのが
良かったのか、ガツガツせずに
ゆったりとリラックスサーフィン
ができた。
そして夕暮れ時、
完全に風が止まり、
水面がグラッシ~になった。
それからもう数本・・・。
幸せをヒシヒシと感じた。
昔からそうだ。
どんなに嫌なことがあっても、
どんなに落ち込んでも、
そしてどんなにお金がなくっても、
海は心をリセットしてくれる。
今日は格別だった。
ふとあの寺を見ると、
夕日が反射して輝いていた。
なんか泣きそうになった。
サーフィンは素晴らしい。
人生の中心になってしまう人もいるけど、それもいいんじゃないかな?
と思ってしまうほど。
別にサーフィンだけがいいんじゃないと思う。自然に触れ合うことが大事なんだろうと思う。
大丈夫。
俺の悩みなんか大したことじゃない。
また海にくればいいから。
月曜が祝日のために3連休でした。
この3日間は色々あった。
土曜は仕事やプライベートの
ストレスで完全に引きこもり、
1日を無駄にした。
日曜は前回のブログで書いたとおり、
大麻でぶっ飛び、
色んな事を考えることができた。
忘れないようにメモを取っていて
本当に良かった。
そして今日は
家を掃除して、洗濯して、
風呂も便所も完璧に磨いた。
やっぱり人間は行動やね。
そして夕方からサーフィン。
この連休は風が強くて波の
コンディションは最悪だった。
波がどうであれ、
とにかく海に入りたかった。
海に入ると、気分がリセットされる。
何気なしに車を走らせ
風に影響をあまり受けないポイントに
到着した。
この場所の裏には
アメリカに初めてヨガを伝えたヨギが
作ったお寺のような建物がある。
数年前、彼の本を読み漁り、
自分の心の視界が広がった気がした。
あの頃は神の存在を近くに感じていた。
最近は完全に遠ざかってた。
1回本を読んだだけで教えが自分のものになった気さえしていた。
でも、本当は忘れていた。
サーフポイントは
やはり波のコンディションは
あまり良いものではなかったが、
何も考えずにとっとと着替えて
早速海に入った。
しかし海に入ってみると、
結構乗れた。
波にあまり期待していなかったのが
良かったのか、ガツガツせずに
ゆったりとリラックスサーフィン
ができた。
そして夕暮れ時、
完全に風が止まり、
水面がグラッシ~になった。
それからもう数本・・・。
幸せをヒシヒシと感じた。
昔からそうだ。
どんなに嫌なことがあっても、
どんなに落ち込んでも、
そしてどんなにお金がなくっても、
海は心をリセットしてくれる。
今日は格別だった。
ふとあの寺を見ると、
夕日が反射して輝いていた。
なんか泣きそうになった。
サーフィンは素晴らしい。
人生の中心になってしまう人もいるけど、それもいいんじゃないかな?
と思ってしまうほど。
別にサーフィンだけがいいんじゃないと思う。自然に触れ合うことが大事なんだろうと思う。
大丈夫。
俺の悩みなんか大したことじゃない。
また海にくればいいから。
大麻などドラッグを摂取した際に、
体と心が分離した感覚になる。
しかし、これはドラッグを常用していると、その分離する感覚はあまり感じられなくなり、五感の変化に酔いしれてしまいがちだ。
しかし、この分離する感覚のみが
重要だと感じた。
そういう意味では、
悟りに辿り着くまでの
瞑想を通して心身離脱まで持って行く
ことの近道のようにも感じる。
しかし、
それは本当に危険な近道だ。
真理を悟る方向への道があるとする。
クスリでもある程度その方向に
進むことは可能だと思う。
しかし、本当の真理への入り口は
非常に小さくて見えにくい。
その周りには、真理の入り口の
何倍、何千倍も大きな違う入り口が
大きく口を開けて誘っている。
「欲望」の入り口だ。
簡単にいえば、
ぶっ飛んで何か行動することで
通常とは違う刺激を感じることに
快楽を感じること。
ぶっ飛んで、
映画を見る。
セックスする。
グルグル目が回ることを楽しむ。
やたらと飲む食べる。
などなど、
これら感覚の快楽を感じる
入り口がクスリには非常に多い。
そしてそれら快楽の誘惑は、
和たちが考える3次元的な入り口ではなく、真理を包み込んでいたり、
真理の入り口の中にまた現れたり、
非常に複雑にこれらの入り口は
絡み合っていると感じた。
真理の入り口を見つけた!
と思っても、そのまま硬い意思を持たずに思考に流されていると、
気付けば「欲望」に思考を持って行かれていたりもする。
シャーマンを考えて欲しい。
祈祷やお経、苦行でそのような
精神状態に持って行く人もいるが、
中南米では薬草やキノコを使って
その領域に入る人達がいるが、
常用していない。
そして恐らくその入口の入り方を
しっかりと教わっているんだろう。
今回私は手紙を書いた。
大麻から覚めたら見るも恥ずかしい
手紙になるのか確かめたかったから。
今、手紙を読んでみて、
恥ずかしいことは書いていなかった。
今自分が抱えている悩み事やストレスについて的確なアドバイスが書いてある。
しかし、
今まで書いているクスリの危険性は
この手紙に書いてあったことだ。
今回はとても勉強になった。
自分がすべきことも分かったし、
悩みも小さくなった。
そういう意味では
先輩にも感謝したい。
そしてタイトルにある
クスリで真理を悟れるか?
ということについては、
今回大麻であったが、
可能性はゼロではないという結論だ。
しかし、世の中でこのような
当麻の使用方法が維持できるとは思えない。例えば心理学のカウンセリングにも使えるだろうが、患者が大麻に依存する可能性は非常に高いと思う。
現在米国でも大麻は合法ではない。
しかし蔓延している現状から考えると、依存性は高いはずだ。
タバコよりも中毒性がないのは嘘だ。
酒や他のクスリと同じで、
自分に合えば、誰でも中毒になる。
大麻は吸うと気分が悪くなるが、
お酒は気持ち良くなる人は、
アルコール中毒になりやすいのと同じで、ようは何がマッチするかだと思う。
大麻もトビから覚めたら体の倦怠感や
どれに伴う労働意欲の低下など、
コントロールできる人もいれば、
出来ずに沈んでいく人もいる。
かくいう私も、
良い気づきになったと思いながら、
あの感覚的快感を、今度は真理の
道を探さず、初めっから誘惑の入口に直行して快感を貪りたいという欲求も先日1回吸っただけで、湧いてきている。
文明が進みすぎたんだな。
快感を増幅する欲求の道具になってしまった。
村で一人のシャーマンしか
それを使えず、掟を破ったら死罪!
こういうスタイルでしか使えないのかもしれません。
あのぶっ飛び以降、
ずっと頭にある言葉が残ってる。
何がベストか?
ベストのベースは何なのか?
恐らく全ての考え、行動のベースとなるものは、宇宙を含めたこの世の中なんだろう。
それをベースに
ベストを考える。
発言
行動
食べ物
欲のコントロール
常にベストを考えようと思う。
そういう意味では、
今回の大麻経験は私にはプラスになったように思える。
しかし、欲に弱い自分を知ってるから
もう大麻は吸わない方がいい。
それがベストだ。
体と心が分離した感覚になる。
しかし、これはドラッグを常用していると、その分離する感覚はあまり感じられなくなり、五感の変化に酔いしれてしまいがちだ。
しかし、この分離する感覚のみが
重要だと感じた。
そういう意味では、
悟りに辿り着くまでの
瞑想を通して心身離脱まで持って行く
ことの近道のようにも感じる。
しかし、
それは本当に危険な近道だ。
真理を悟る方向への道があるとする。
クスリでもある程度その方向に
進むことは可能だと思う。
しかし、本当の真理への入り口は
非常に小さくて見えにくい。
その周りには、真理の入り口の
何倍、何千倍も大きな違う入り口が
大きく口を開けて誘っている。
「欲望」の入り口だ。
簡単にいえば、
ぶっ飛んで何か行動することで
通常とは違う刺激を感じることに
快楽を感じること。
ぶっ飛んで、
映画を見る。
セックスする。
グルグル目が回ることを楽しむ。
やたらと飲む食べる。
などなど、
これら感覚の快楽を感じる
入り口がクスリには非常に多い。
そしてそれら快楽の誘惑は、
和たちが考える3次元的な入り口ではなく、真理を包み込んでいたり、
真理の入り口の中にまた現れたり、
非常に複雑にこれらの入り口は
絡み合っていると感じた。
真理の入り口を見つけた!
と思っても、そのまま硬い意思を持たずに思考に流されていると、
気付けば「欲望」に思考を持って行かれていたりもする。
シャーマンを考えて欲しい。
祈祷やお経、苦行でそのような
精神状態に持って行く人もいるが、
中南米では薬草やキノコを使って
その領域に入る人達がいるが、
常用していない。
そして恐らくその入口の入り方を
しっかりと教わっているんだろう。
今回私は手紙を書いた。
大麻から覚めたら見るも恥ずかしい
手紙になるのか確かめたかったから。
今、手紙を読んでみて、
恥ずかしいことは書いていなかった。
今自分が抱えている悩み事やストレスについて的確なアドバイスが書いてある。
しかし、
今まで書いているクスリの危険性は
この手紙に書いてあったことだ。
今回はとても勉強になった。
自分がすべきことも分かったし、
悩みも小さくなった。
そういう意味では
先輩にも感謝したい。
そしてタイトルにある
クスリで真理を悟れるか?
ということについては、
今回大麻であったが、
可能性はゼロではないという結論だ。
しかし、世の中でこのような
当麻の使用方法が維持できるとは思えない。例えば心理学のカウンセリングにも使えるだろうが、患者が大麻に依存する可能性は非常に高いと思う。
現在米国でも大麻は合法ではない。
しかし蔓延している現状から考えると、依存性は高いはずだ。
タバコよりも中毒性がないのは嘘だ。
酒や他のクスリと同じで、
自分に合えば、誰でも中毒になる。
大麻は吸うと気分が悪くなるが、
お酒は気持ち良くなる人は、
アルコール中毒になりやすいのと同じで、ようは何がマッチするかだと思う。
大麻もトビから覚めたら体の倦怠感や
どれに伴う労働意欲の低下など、
コントロールできる人もいれば、
出来ずに沈んでいく人もいる。
かくいう私も、
良い気づきになったと思いながら、
あの感覚的快感を、今度は真理の
道を探さず、初めっから誘惑の入口に直行して快感を貪りたいという欲求も先日1回吸っただけで、湧いてきている。
文明が進みすぎたんだな。
快感を増幅する欲求の道具になってしまった。
村で一人のシャーマンしか
それを使えず、掟を破ったら死罪!
こういうスタイルでしか使えないのかもしれません。
あのぶっ飛び以降、
ずっと頭にある言葉が残ってる。
何がベストか?
ベストのベースは何なのか?
恐らく全ての考え、行動のベースとなるものは、宇宙を含めたこの世の中なんだろう。
それをベースに
ベストを考える。
発言
行動
食べ物
欲のコントロール
常にベストを考えようと思う。
そういう意味では、
今回の大麻経験は私にはプラスになったように思える。
しかし、欲に弱い自分を知ってるから
もう大麻は吸わない方がいい。
それがベストだ。