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   Sub Title "One More Time.Back To 近代 Beginning"

 We are Sumer‐Japanese.

(FunnyBomb).

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東京大空襲・本土空爆開始

 ポツダム会議の3年前、東京が史上初めての空襲の洗礼を受けます。

   昭和17年(19424B25爆撃機16機がドーリトル少佐に指揮され、南太平洋に浮かんだ航空母艦ホーネットから飛び立ち1200キロ離れた東京に13機飛来し、焼夷弾を降らせました。屋根すれすれからの爆撃。同時に横浜。

   残る3機は、神戸と名古屋を空爆しました。 

 全機は支那に向かいましたが、1機は燃料不足でソ連のウラジオストックに着陸し、2機は日本に不時着し3人死亡、11人は日本軍に捕らえられました。

   11人の内、3人は戦犯として処刑されました。

   惨劇はまだまだ始まったばかりでした。

 

■Midway(ミッドウェー)海戦

 (戦場:太平洋のほぼ中心、ハワイ諸島の北西、北半球に位置するミッドウェー島(現米国領))。

 昭和17年(194265日開戦、67日終結

 日本軍兵力は約10万人。対する米軍兵力、約3900余人。

 戦死者は日本軍約3千余人。米軍約300余人。

   大本営は、去る昭和174月の東京大空襲が、ミッドウェー島から出撃した航空母艦ホーネットから発艦した爆撃機による攻撃だったと分かり、大本営、日本連合艦隊は敵討ちに出ます。

   ミッドウェーに連合艦隊を急行させますが、偵察活動を軽んじた事が裏目に出て、米軍部隊の発見が遅れた為、米軍戦闘機の突然の飛来に無防備の状態で爆撃され、逆に大損害を出します。

   日本軍は、空母4隻と真珠湾で卓越した才能を発揮したパイロットを数多く失いました。

   日本はこのダメージから二度と立ち上がれませんでした。

   この海戦を転機に、日本軍は制海権、制空権共に米軍に握られ、敗戦の道をひた走る事となります。

 

■Solomon(ソロモン)海戦

(戦場:南半球パプアニューギニアの東側に位置するソロモン諸島(現・英国自治領))。

 第1次ソロモン海戦 昭和17年(194288日、9

 第2次ソロモン海戦 昭和17824

 第3次ソロモン海戦 昭和171112日から15

   戦死者は日本軍が約1900人。米軍が1700余人。

   日本軍は、「米豪遮断作戦」の一環として、フィジー島、サモア島を攻略する「FS作戦」の元にガダルカナル島に飛行場を建設し始めました。

   しかし、これはことごとく米軍に奪取されます。

   これを機に第1次ソロモン海戦が勃発、日本軍は辛くも夜の奇襲攻撃を成功に収めましたが、米軍の輸送船殲滅の作戦を実行していませんでした。

   奇襲に成功したものの、作戦を遂行しなかったのは、明らかに手落ちであり、軍律違反でした。

   総司令官・山本五十六は激怒したと言います。又、大本営は海軍の事実誤認によって、米軍に勝利したと誤解する大きな過ちを侵しました。

 

   2次ソロモン海戦では空母決戦となり、ガ島に建設された米軍飛行場、ヘンダーソン基地を破壊する為、日本軍は空母3隻を出撃させますが、米軍に玉砕され破れ去ります。

   そこで日本軍は、再度飛行場を艦砲射撃すべく第3次ソロモン海戦を敢行しますが、やはり米軍に敗退し、とうとう撤退します。

 

■Guadalcanal(ガダルカナル)島攻防戦

(戦場:南半球パプアニューギニアの東側に位置するソロモン諸島の一つガダルカナル島(現英国自治領))。

   昭和17年(194287日開戦、昭和18年(194327終結。

   日本軍兵力は約33000余人、対する米軍の兵力は約7万人。

   戦死者は日本軍2万人弱。米軍は約1000余人。

   陸軍は、ガダルカナル島に上陸し、地上戦を展開しましたが、海軍の誤報から事実誤認の作戦を立案した大本営作戦を忠実に遂行した結果、日本軍は無残にも全滅します。

 

ガ戦に対する石原莞爾の分析

 昭和17年(19428、米軍がガダルカナル島に上陸し、日本海軍が造営した航空基地を米軍に取られた時、日本海軍は、東條総理によって参謀本部を追放され、現役から引退した石原莞爾元少将に意見を聴きます。

   石原はこう答えました。

   戦争の勝敗は最初から分かっております。我が方の作戦は全てに攻勢の終末点を越えています。戦力は、根拠地と戦場との距離の二乗に反比例するのが原則です。日本の本土では100の力が、島まで行けば10から5の力しかない、ところが、敵は根拠地に近いから我が軍より力が大きいのは当然です。

   持久戦争においては、攻勢の終末点をどこにするかが、最初から確立されていなければなりません。然るに支那事変も今次戦争(日米開戦)も、全くこれを考えていない。

   東條のやっている戦争は、何をやっているのかデタラメで、まるで決戦戦争のやり方であります。攻勢の終末点を越えれば叩かれるのは当然であり、負ける事が分かっている所へ兵を送る馬鹿はありません。

   今時の戦争では、制空権のない所に制海権はありません。制空権既に敵の手中に陥った以上は、即刻ガダルカナル島を撤退すべきです。陸軍もまた同様であります。ソロモン、ビスマルク、ニューギニアの諸島を早急に放棄する事です。そして我が補給線確保上、攻勢の終末線を西はビルマ国境からシンガポール、スマトラなどの戦略資源地帯を中心とし、この防衛線を堅固に構築して、中部はフィリピンの線に退却せしめ、他方本土周辺のサイパン、テニアン、グアムの南洋諸島一切を難攻不落の要塞化する事であります』。

 

ナチス・ドイツ、ソ連赤軍に敗北

 ヒトラーは、第一にユダヤ人を標的にしていましたが、共産主義者も敵視していました。共産主義を考案したマルクスが、ユダヤ人だからです。

 昭和18年(19432、ソ連領内のスターリングラードで、独国軍、ルーマニア、イタリア、ハンガリー、クロアチア軍が、ソ連赤軍と交戦します。

 ナチスドイツは、この戦闘で、ソ連赤軍に完敗を期します。

 このスターリングラード戦を契機に、一時は欧州の殆どと北アフリカの一部を占領していた独国軍は、総崩れとなり連戦連敗を期していきます。

 この大戦で疑問なのは、侵略戦争を始めたと言う理由で、国連から除名措置を受けたソ連が、何故か連合国軍の支援を受けて侵略戦争を続けていた事です。

 最も、その疑問こそ、侵略戦(悪)と防衛戦(正義)、Nationalism(国家主義・悪)とGlobalism(世界主義・正義)などと言う固定観念こそデタラメであり、もっと言えば傲慢で矛盾に満ちた観念だと言う事です。

 何故なら、ソ連が、連合国側だと言う事自体、枢軸国(悪)vs連合国(正義)と言う定義に当てはまらないからです。

 連合国側も侵略戦争をしていたと言う事になるからです。

 挙句に、フィンランドは連合国側のソ連に自国を侵略された事がキッカケで参戦しているにも関わらず、枢軸国扱いです。

 枢軸国(悪)vs連合国(正義)と言う図式はFactではなく、敗者(悪)vs勝者(正義)と言う図式が真実と言う事になります。

 戦時国際法だ、陸戦協定だ、死刑制度だと言いますが、そもそも「許される殺人と許されない殺人」、「許される戦争と許されない戦争」と言う事を規定しようと言う発想そのものがおかしいのです。

 

   ナチスの絶滅収容所別に死者数を纏めた統計では、アウシュビッツが200万人以上、マイダネクで138万人、トレブリンカで80万人、ベルジェツで60万人、ヘルムノで34万人、ソビホルで25万人のユダヤ人が処刑されました。

   因みに、この6箇所の絶滅収容所は、全て独国領現ポーランドに建設されたもので、その施設の本来の使命を果たす事を可能にしたユニットは、やはり『ガス室』でした。

 

To Be Continue

 

乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 

 

出典:vol.1参照

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