・・・Welcome To The Real Worlds!!!
・・『Zipangu』Is Japanese
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Please Don't Korea❗️
Truth ・・真実は動き始めた
The XX Files ・・・17th .
Future Generation !
真実と闘え・・・
Zipangu Independence Banzai⁉️
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Sub Title "Tabla Lhasa"
■第11話 ヤマトタケルの遠征
多数の妃を召した第12代景行(ケイコウ)天皇には、80人もの子供がいました。
その中で特に目をかけたのが、皇后が生んだ大碓命(オオウス・ノミコト)と小碓命(オウス・ノミコト、後の倭建命(ヤマトタケル・ノミコト))の兄弟です。
ある時、天皇は、開化天皇の孫にあたる美濃の大根王(オオネノミコ)の娘2人が美しいと聞き、妃にする事にしました。
大碓を派遣して迎えに行かせます。
ところが、姉妹を目にした大碓は、自分のものにしたくなりました。
そして、天皇を裏切って2人と結婚し、別の女性達を差し出しました。
天皇は、横取りの事実を知って悩みます。
しかし、大碓を咎めませんでした。
バツが悪い大碓は天皇と顔を合わせなくなりました。
天皇は、大碓の態度を改めさせる為、弟の小碓に諭させる事にしました。
しかし、5日経っても、大碓は食事の席にやって来ませんでした。
天皇は、小碓に「まだ話してないのか」と聞くと、既に教え諭したと言います。
ではどの様にしたのかと尋ねると、夜明け前に兄が厠(カワヤ)に行くのを待ち構え、手足を引きちぎってムシロに包んで投げ捨てたと小碓は答えました。
小碓は、天皇の言葉を復讐せよと言ったと誤解し勝手に制裁を加えたのです。
天皇は、「この子が秘める荒々しさは、危険ではないか。勇猛ではあるが、きっと将来災いを招く」と思いました。
父に忠誠を誓う子と、我が子を疎ましく思う父。
父子の間に気持ちのズレが生じました。
その頃、九州南部では熊曾建(クマソタケル)が朝廷に従わず反抗を続けていました。
天皇陛下は、小碓を遠ざける為、熊曾建の討伐を命じました。
■第12話 ヤマトタケルの九州、出雲征伐
小碓は当時15、6歳でした。
九州へ出発した小碓は、熊曾討伐の前に伊勢の叔母、倭比売命(ヤマトヒメ・ノミコト)の下に立ち寄ります。
叔母・倭比売(ヤマト・ヒメ)は小碓に少女の衣装を預けました。
小碓は、その衣装と剣を持ち九州南部に出発しました。
熊曾建兄弟の屋敷は、軍勢に固められ容易に入ることが出来ません。
機会を伺っていると、屋敷の増築完成を祝う宴が開かれると言います。
小碓は髪を下ろし、叔母から貰った衣装を着て宴に潜入しました。
熊曾建は、小碓を気に入り、そばに置いて酒盛りを始めました。
小碓は、大胆に懐に隠していた剣を抜き、熊曾の兄の方の胸を刺し貫きました。
それを見ていた弟の方があわてふためき、その場から逃げ出します。
小碓は追いかけました。
弟の熊曾は、こう言います。
「大和には我らを超える強者がいた様だ。建の名を献上するから今後は倭建御子(ヤマトタケル・ノミコ)と呼んで敬おう」。
しかし、小碓は弟の熊曾建の体を容赦なく切り裂きました。
こうして九州の熊曾を征伐した小碓は、倭建を名乗り、その足で出雲建(イズモタケル)を倒す為に出雲に向かいました。
倭建は、木刀を作り、それを出雲建に献上します。
木刀では戦えない出雲建があわてている最中に、倭建は一刀両断にして切り倒しました。
こうして朝廷に反抗する勢力を討伐した倭建は、晴れて大和に帰還しました。
■第13話 ヤマトタケルの東国征伐
倭建は、意気揚々として討伐の成功を天皇に報告しました。
ところが、父の景行天皇は称賛の声もかけずただちに東国の平定を厳命します。
倭建は、命令に従い大和を後に出発します。
倭建は、また伊勢の叔母の下を立ち寄ります。倭建は、叔母に弱音を吐きます。
西国を平穏にして帰ってきたのに、兵士も与えず、直ちに東に向かえという父は、私が死ねばいいと思っていると。
叔母、倭比売(ヤマトヒメ)は倭建に草薙剣(クサナギノツルギ)を授けます。
これは、須佐之男命が八俣の大蛇の体内から取り出した聖剣であると説明します。
もしもの事があれば、これも開けよと一つの袋も渡しました。
それらを持って尾張国の美夜受比売(ミヤズヒメ)を訪ね結婚の約束をした後、抵抗する神々や王権に従わない氏族を次々に討っていきます。
倭建は、東海道を東征進軍し、静岡の焼津まで来た時、地元の豪族に騙されて野原で火攻めにあいました。
炎に包まれた倭建は、叔母から貰った袋を開けます、そこには火打ち石が入っていました。
草薙剣で周囲の草を刈り、火打ち石で向い火を付けると、迫る業火の勢いは弱まりました。
窮地を脱した倭建は、豪族を斬りまくり、返討ちにして焼き尽くしました。
房総半島に向かう為、走水の海(浦賀水道)を船で渡ると、海峡の神が嵐を起こしました。
妃の弟橘比売(オトタチバナ・ヒメ)は、神の怒りを鎮(シズ)めようと、荒れ狂う海に身を投げます。
すると、急に海は穏やかになり、船を進める事が出来ました。
1週間後、弟橘比売(オトタチバナ・ヒメ)の櫛(クシ)が海岸に漂着し、倭建は悲しみの中、弟橘比売の墓標を作り、その櫛(クシ)を納めました。
伝承によれば、弟橘比売は、倭建の実質的内妻だったそうです。
そして、ヤマトタケルは自ら妻の捨て身の行動に感謝し、妻の墓標を建てたのでした。
■第14話 ヤマトタケルの死と白鳥伝説
倭建は、酒折宮(サカオリノミヤ)から信濃を越え、尾張の美夜受比売(ミヤズヒメ)の下に帰って来ました。
約束通りに結婚し、今度は伊吹山(イブキヤマ)の神を討伐する為に遠征します。
が、その際、倭建は素手で打ち勝つと虚勢を張り、草薙剣を比売の下に置いていきました。
巨大な白い猪と化し、怒り狂いながら襲いかかる伊吹山の神は、空から雹を降らせます。
倭建は、意識朦朧としながらも、何とか正気を取り戻しました。
倭比売が授けた草薙剣は、伊勢神宮の加護の証しでしたが、虚勢を張って草薙剣の威力を軽んじたタケルは、叔母の元に剣を置いてきています。
剣を所持していなかった倭建の運気は下がっていました。
倭建は、歩くのも困難になる程、急速に肉体が衰えていました。
必死に故郷の大和に戻ります。
しかし、鈴鹿を越え、能煩野(ノボノ)まで来た時、死期を悟りました。
倭建は、辞世の句を詠みます。
「倭は国のまほろば、たたなづく青垣、山隠れる倭しうるはし」。
大和は、国の中で最も秀でている。山々が青垣の様に囲み、何と美しいことか、と言う意味です。
やがて絶命しました。
こうして倭建は、悲劇の英雄となりました。訃報を聞き駆けつけた遺族は、陵を造って嘆き悲しみました。
倭建の魂は、白い鳥になって陵から飛び立ち、留まる事なく空の彼方に飛び去って行きました。
※ヤマトタケルの実在性:倭建の説話は、大和国を現実に平定する為に死した名もなき戦士達を遇する為に、古事記編者が作り上げたおとぎ話なので倭建は架空の人物であると歴史学会では解釈されています。
出典:地図と写真から見える古事記・日本書紀(山本明著)、wikipedia japan、現代語・古事記(竹田恒泰著)
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)