記紀(Kiki)5 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・・Welcome To The Real Worlds!!! 

・・『ZipanguIs Japanese 

Big Picture First. 

   Please Don't Korea❗️

   Truth ・・真実は動き始めた

The XX Files ・・・17th .

Future Generation !

真実と闘え・・・

Zipangu Independence Banzai⁉️

   Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️

   We Are Sumer Japanese・・

   Sub Title "Tabla Lhasa"

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7 海佐知毘古(ウミサチビコ)山佐知毘古(ヤマサチビコ)

   佐久夜比売と邇邇芸命の間に生まれた3人の息子達、その兄、火照命(海佐知毘古)の大切な釣針をなくした火遠理命(山佐知毘古)は、塩椎神(シオツチ・ノカミ)の計らいで海神(カイシン)の国に行きます。

   そこで海神の娘の豊玉毘売(トヨタマビメ)と結婚し、三年間過ごした後、兄の釣針を取り戻して帰って来ました。

   懐妊したヒメの為に、火遠理(ホオリ)は産屋を作ります。

   屋根は鵜の羽根で葺(フ)きました。

   産屋に入る豊玉毘売から「私は異郷の者なので、本国の姿に返ってお産をします。絶対に出産を見ないでほしい」と言われました。 

   が、火遠理は覗いてしまいます。

   そこで巨大なワニに姿を変えて、のたうつヒメを目にしました。

   ヒメは、正体を見られた事を恥じて、生まれた子を置いて海神国に去っていきます。

   その子は鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ・ノミコト)と言われます。

   豊玉毘売は、子が心配で、海神国から妹の玉依毘売(タマヨリビメ)を遣わします。

   玉依毘売は、甥の鵜葺草合葺不合を育て、やがて成長した鵜葺草合葺不合は、育ての親、玉依毘売と結ばれ4人の子が出来ました。

   それが、五瀬命(イツセ・ノミコト)、稲氷命(イナヒ・ノミコト)、御毛沼命(ミケヌ・ノミコト)、若御毛沼命(ワカミケヌ・ノミコト)で、末弟の若御毛沼命は、神倭伊波礼毘古命(カムヤマト・イワレビコ・ノミコト)と言う別名があり、後に、この子が初代天皇の神武天皇となる人です。

 

神社について

   全国には約8万以上の神社があります。

   因みに、神社合祀令により統合される前の神社数は、およそ20万社と言われます。

   神社の区分けは社号(シャゴウ)と呼ばれます。

   これは、神社の称号の様なもので以下の4種類となります。

❶神宮(ジングウ)

   天皇や皇室の祖先神を祭神とする規模の大きい神社。主に熱田神宮、石上神宮、鹿島神宮、香取神宮、平安神宮などがあります。

❷宮(グウ)

   皇室にまつわる人物や人間神等を祭神にする神社。主に香椎宮(カシイグウ)、聖母宮、北野天満宮、日光東照宮などがあります。

   特に天満宮、東照宮と付く神社は人間(人間神)を神として祀っている神社となります。

❸大社(タイシャ)

   今までは出雲大社のみの称号でしたが、明治以降、規模や格が高い神社には使われる様になりました。

   主に出雲大社、諏訪大社、春日大社、熊野本宮大社などがあります。

❹社(ヤシロ)

   大きな神社から祭神を勧請(カンジョウ)した小規模の神社。主に祇園社、稲荷社、天神社、八幡社などがあります。

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8 神武東征

   神倭伊波礼毘古命(カムヤマト・イワレビコ・ノミコト)は、天下を治める為に東を目指し、日向(ヒムカ)を出発しました。

   船で豊予海峡(ホウヨ)を北上して北九州に向かい、瀬戸内海を経て大阪に出ます。

   そこには最大の敵、那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の軍勢が待ち構えていました。

   この戦いで神倭伊波礼毘古は兄・五瀬命を亡くしました。

   一行は神々の加護を受けて、熊野から上陸し大和に向かいます。

   この大移動の事を神武東征と言います。

   次々と表れる敵を倒し、邇芸速日命(ニギハヤノミコト)が帰順する事で大和の平定を終えます。

   橿原(カシハラ)に宮を建て、神倭伊波礼毘古は統治を始めます。

   ここに初代天皇、神武天皇が誕生します。

   皇后は、奈良三輪山の神、大物主(オオモノヌシ)の娘、伊須気余理比売(イスケヨリ・ヒメ)です。

 

建国記念日211日は国民の祝日、建国記念日ですが、これは日本書紀にある神武天皇が即位された日を根拠としています。

   これは、ヤマト王権から大和王朝、朝廷から現在の皇室に至る迄、連続した一本の時間軸で繋がっている事の証しと言う事も出来ます。

 

9 決史八代

   天皇家の初代となった神武天皇が137歳で亡くなると、子供達の間で皇位の座をめぐって争いが巻き起こりました。

   権力をほしいままにする、義兄の多芸志美美命(タギシミミ・ノミコト)に暗殺されそうになった神沼河耳命(カムヌナカワミミ・ノミコト)は、逆に義兄を討って後継者の地位を手にしました。

   神沼河耳は宮を設けて即位し、第2代綏靖(スイセイ)天皇になりました。

   綏靖天皇の後は、子の安寧(アンネイ)天皇が継ぎます。

   以降、父から子へと王位は譲られていき、威徳(イトク)天皇、孝昭(コウショウ)天皇、孝安(コウアン)天皇、孝霊(コウレイ)天皇、孝元(コウゲン)天皇、開化(カイカ)天皇と代を重ねていきました。

 

欠史と実在した最古の天皇:欠史と言うのは、記紀のどちらにも綏靖天皇から続く開化天皇までの八人の天皇に関する具体的なディテールや統治内容の記録がない事を表す言葉です。

   この具体的記録がないと言う事実を、歴史学会は実在しなかった架空の天皇だったからと言う結論で一致しています。

   もっと言えば、推古天皇の頃に仕組まれた「創作だからなのだ」とも。

   初代神武天皇にも言えますが、八代の中には、寿命が137歳だったとする天皇が2人も含まれます。

   確かな実在が確認されている最古の天皇は、第10代の崇神(スジン)天皇までと言われています。

 

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10 崇神天皇の王権確立

   10代崇神(スジン)天皇の時代、疫病が流行って国民の多くが亡くなりました。

   ある夜、天皇の夢枕に大物主神(オオモノヌシノカミ)が現れて、自分の祟りだと言います。

   そして子孫にきちんと祀って貰えば、国内は平穏になるとお告げがありました。

   天皇は大物主神の末裔を探して祭主にし、三輪山に大物主を祀らせます。

   さらに天上界や、地上界の神を丁重に祀る事で疫病も収まり、国内は落ち着きを取り戻しました。

   又、崇神天皇は、各地に将軍を派遣して、従わない人々を服属させていきます。

   叔父が企てた陰謀も鎮圧します。

   天下泰平に導き、国民は栄えました。

 

To Be Continue

 

 

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出典:地図と写真から見える古事記・日本書紀(山本明著)、wikipedia japan、現代語・古事記(竹田恒泰著)

 

乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)