・・・Welcome To The Real Worlds!!!
・・『Zipangu』Is Japanese
Big Picture First.
Please Don't Korea❗️
Long Time Ago・・
長い間、現実は歪められ、
情報は操作されて来た・・
Truth ・・真実は動き始めた
The XX Files ・・・17th .
Future Generation !
真実と闘え・・・
Zipangu Independence Banzai⁉️
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
We Are Sumer Japanese・・
■宗教
神道と、仏教の違いは何でしょうか。
これは「読んで字の如く也」でしょう。
神道は「道」で、仏教は「教」、教えですね。
ここ、明確に違いますね。
支那の「道教」から派生したのが神道ともいわれますが、道教とも違いますね。
神道は、日本独自のものです。
具体論で言えば、神道は「地縁・血縁」等で結ばれた共同体(部落、集落、村等)を守る事を目的に信仰されて来たのに対して、仏教は人々の安心や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されて来たと言う点で大きく相違すると言われています。
神道は「宗教である」。
この定義は、いつ誰が決めたのでしょう。
神道が「宗教だ」という定義は、欧米人の一方的な刷込みや思込み、レトリックだったのではないでしょうか。
当たり前ですが、神道は「神道」と書きます。
神道が宗教なのであれば、神道は「神教」と書くのが道理ではないでしょうか。
飛鳥時代に、仏教が日本に渡来した時、大和朝廷は異教である仏教を「排除」する事なく受容しました。
その為、神社仏閣と言う言葉にも表れる通り、神道と仏教は融合した為(神仏習合)、事をより複雑にしています。
しかし、神教などと言うカテゴリーは実存せず、あるのはやはり「神道」なのです。
つまり神道は、「神教」ではなく、故に厳密な棲み分けとしては「宗教」でもない、所謂、一つの「信仰」ではないでしょうか。
具体的には、土着信仰であり、民俗信仰であり、自然信仰と言うのが本質なのです。
神学的にどうか知りませんが。
だからこそ、海外の宗教、一神教に見られる教祖も、正典(カノン)も、教団も、教義も、布教活動も実在しないのです。
教祖がいないのですから、創始者も実在しません。
強いて言えば、正典はないとされますが、現在の価値観では、記紀が神典や聖典、そして正典に当たると解釈されますが。
しかし、バイブルの様に何百年もの間、何度も書き換えられて来た正典とは一緒にはなりません。
今から1200年以上前に、日本最古の歴史書が発刊されました。
■第40代天武天皇と記紀
記紀・・・
記紀とは、古事記、日本書紀を同時に表す言葉で、2つの史書は奈良時代同時期に完成したものです。完成された順番に従って「記紀」と表記します。
日本人の起源、皇室のルーツであり続ける歴史的第一級資料・・・。
とは言っても、記紀が日本で最初の史書と言うのは本当に真実なのでしょうか。
記紀は、1200年以上前の朝廷(日本政府)が編さんした当時の公文書(古文書)です。
記紀が編さんされる以前から、帝紀(天皇家の系譜)や旧辞(朝廷の伝承や説話)と言う書物が存在したそうです。
しかし、それらは間違った内容が多く記録されていたそうです。
更に、風土記等も各地域で存在しましたが今は、五国(常陸(ヒタチ)、出雲、播磨、肥前(ヒゼン)、豊後(ブンゴ))の風土記が残るのみです。
(※風土記とは、当時の日本で国と言えば上記の様な各々の地方政府を指して国と呼んでいました。
その地方単位で発行記録された書物を風土記と言って、今で言う地方郷土史の様なものです。)
そこで、間違いや誤りを直した正史が必要だと判断した第40代の天武天皇が、稗田阿礼(ヒエダノアレ)に命じて作らせたのが記紀でした。
現存する最古の公的な歴史書です。
但し、実存するのは平安時代以降に作られた写本であって、原本は記紀のどちらとも既に存在しません。
まず、記紀はどちらも同じ天皇の命をうけて編さんされましたが、発刊は8年ずれています。
そのせいか、全く別の物と思われがちですが、そもそもは天武天皇がAD681年3月に出した詔勅により具現化された最古の史書、公的な第一次資料です。
古事記は、712年(和銅5年)に編さんされ神代の時代、天孫降臨に始まり推古天皇統治までの話となっており、発行に至った主な要因は天皇統治の正統性を語る為だったとされています。
対して、720年(養老4年)に編さんされて、全て漢文で記され中朝人にも読む事が可能な日本書紀は、天地開闢から持統天皇統治迄の話で、日本の正史として発行紹介されました。
奈良時代は、まだひら仮名は確立されていませんから、平安時代直前に発行された記紀のどちら共漢字のみで記されていますが、古事記の方は日本読みに配慮し、音訓読みで編さんされています。
例えば、イザナギを日本書紀では漢文表記なので「伊奘諾」と書きます。
しかし、古事記では音訓読みを採用しているので、同じイザナギの事を「伊耶那岐」と書いてイザナギ(キ)と読みます。
更に言えば、漢文表記は「意味」を表す漢字、音訓読みは「大和読みの音」を表す漢字と言う違いがあります。
スサノオであれば、漢文(日本書紀)では「素戔嗚」、音訓読み(古事記)では「須佐之男」となっています。
又、同時期に似通った歴史書をわざわざ作ったのは、音訓読み(万葉仮名表記)で編さんされた古事記は、言ってみれば国内向け、漢文表記で作られた日本書紀は、中朝人向け、当時で言う外国人向けであり実際に遣唐使によって支那にも輸出されています。
当時は、外人といえば中朝人が殆どだったのでしょう。今よりもずっと狭い世界観です。
物語に登場する地名や場所、ゆかりの地は実在する各地の神社や観光スポットなどとなっており、現実にアクセスする事が可能となっています。
又、神道で言われる「八百万の神」と言うのは、正にこの記紀に記録される神代の時代、古事記で言えば第1巻に出てくる大勢の神々を根拠としている場合が殆どです。
乱筆乱文長文を、ここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:地図と写真から見える古事記・日本書紀(山本明著)、wikipedia Japan