先人のお話

先人のお話

私が聞いた昭和史、戦争体験談をお伝えします。

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平成29年11月19日に京都霊山護國神社で大野徳兵衛元海軍上飛曹(上等飛行兵曹)の講演会その4です。

 

今回は大野さんが神風特別攻撃隊に指名され、当日を迎えたお話を書かせてもらいます。

 

大野さんは南方で航空基地に配属されます。

 

基地は定員が120名のところに130名が配置されます。

 

定員がオーバーしていることもあり、食堂、風呂、特に寝室もすし詰め状態で皆が不満を漏らしました。

 

しかし、連隊長は「すぐに問題は解決するから心配するな。」と語りました。

 

その理由はあまりにも冷酷な現実でした。

 

基地から出撃の度に、未帰還機、戦死者が出ることもあり、毎日毎日、人が減っていったのです。

 

最終的には30人という兵員になり、食堂も風呂も、寝室も広すぎるくらい広くなったのでした。

 

そして、転属先の新たな飛行基地では遂に特攻隊に指名されるのです。

 

しかし、この時の大野さんが語られた、心境というのは以外なものでした。

 

・私は覚悟は決まっていました、普通に1日を過ごし、特攻の前日も良く眠れましたよ。

 

そのようにおっしゃられました。

 

そして特攻の当日、最後の訓示を受けます。

 

いつもは上官は台の上に立ち、我々に訓示するわけですがその日は台から降りて訓示をしました。

 

「諸君等はこれから特攻作戦を敢行し、神様になるひとたちである、その神様になる人たちに対し、台の上から物を言うことはできない。」

 

そのように語ったそうです。

 

その時、大野さんはついに特攻をするんだという実感を強く感じたそうです。

 

そして飛行機が整備され、いよいよ特攻を2時間前に控えたその時です。

 

米軍の航空機による攻撃を受けることになるのです。

 

米軍の奇襲攻撃に、反撃体制や航空機に避難をしている余裕はありませんでした、500キロ爆弾を積んだ特攻機は次々と誘爆。

 

特攻機はほぼ全滅し、飛行場はほぼ破壊しつくされたのです。

 

当然、特攻作戦は中止、待機していた大野さんは出撃2時間前に命を取り留めたのでした。

 

本当に奇跡のような出来事、本当に九死に一生とはこのことである、壮絶かつ貴重な体験をお話して頂けました。

 

今回はここまでお話しをさせてもらいます。まだ続きがありますので、次の機会に書かせて頂きます。

 

艦上爆撃機「彗星」一一型(大野さんが搭乗されていたそうです)