bounoteのブログ

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一個人の気儘な趣味『火縄銃』『古式砲術』『農平民と火縄銃』
郷土の祭り『馬の塔と警固祭』『棒の手』を主な題材としたブログです。

 

私の過去の投稿を引用(2019.6.28)

中村主馬之助(永禄5年~元和2年)は高知佐川城(高田郡佐川町)・中村城(四万十市丸の内)の城主であった中村越前守信義が祖父であり、その子中村越前守彦一郎が父親であった。代々長宗我部に仕える家臣であったものの、長宗我部盛親の改易を期に父彦一郎とは行動を共にせず、土佐に残り山内一豊の命を受け久礼の庄屋として生涯を生き家を残している。(なお長宗我部盛親は関ケ原にて西軍に属し敗戦、大阪の陣でも豊臣方として参戦し滅んだ。のち山内一豊が土佐を収める。主馬之助の父彦一郎は大坂冬の陣にて戦死)

『長宗我部盛親軍記 加賀康之 PHP文庫』参照

そんな中村主馬之助は摂州堺に弐百弐拾丁の軍用火縄銃(稲富流仕様)を発注している。

 

そして今回220丁のうちの3挺目が私の手元に届き整備をすることになりました。(画像右側登録証の銃で十三とあるが五十三の間違いである)

今回の整備で困難を極めたのが、槊杖穴の一番奥に槊杖の錆び付いた先端金具だけが取り残されたままで、これを取り出す手間にかなりの時間を費やすことになってしまいました。

又銃身内には何年前のものなのか?残火薬までもが装填されたまま初出しの火縄銃にあるあるな事なのですが、今回弾丸は未装填であった。

カラクリ部品は全て制作時第のオリジナルであるが、火蓋については十六の番付なので、その時代整備手入れの際に取り違えたと思われます。

下の画像が槊杖穴に取り残されていた先端金具

後はいつものように銃床の洗濯とカラクリ部品の汚れ落とし及び磨き・金具を使わないで槊杖の新調・分解掃除完了後組み立てとカラクリ調整をしてひとまず完了

実際に発砲使用できるのは10月の祭礼か11月の名古屋城の演武時になると思います。

400年以上前に中村主馬之助が注文し220丁製作されたであろう

内の3丁の整備に関わり再生できたことに何か縁を感じてしまう自分がいます。

今回の火縄銃については全長:108.5cm 銃身長:75.0cm 

口径:1.4cm

銘文:中村主馬之助弐百弐拾丁内 野田市兵永(衛)作 五十三(登録証は十三とあるが五十三が正しい)

昭和51年7月14日岡山県にて登録済