このブログをメモ代わりに使います。

 

 

 

 

35度超えも当たり前となってしまった今年の夏。

 

おそらくは、まだまだ暑さも翳りを見せないであろう8月23日に、僕は自身2作目となる書籍を出版します。

 

 
 
 

自分的な夏は、"この日を境にスタート"だと言わんばかりに、ワクワクしています。

 
違うな。
 
その準備段階でも、メッチャクチャ楽しいことしてるので、やっぱり夏はもうスタートしてるのかもしれません(「楽しいことが始まる」=「夏が始まる」という一般的な定義のもと、そう表現させてもらってます。どんな準備をしてるかが気になる方は房野8.19の新刊販売促進←を覗いてみてください)。
 
 
当たり前のことですが、2作目を発売できるのは、1作目があったから。
 
今回の本を出せることの"喜びと感謝"の源泉を辿れば、自ずと1冊目が出来るまでの経緯に触れることになります。
 
だからですね。
 
ここにメモしておこうと思うんです。
 
今も、これから先ジジイになったときも、
 
「あの時みんなに助けてもらったから、今のお前はあるんだぞ」
 
ということを忘れないように。
 
「初心忘れるべからず」とはよく言ったもので、そのことを常に意識しておけば、大きく間違った方向に行かない気がするんですよ。今後も。
 
感謝と自戒の念を込めたブログ書いとけばね、見返せるから。

 

 

 

 

処女作『超現代語訳戦国時代』出版することになったとき、




 

「どういう経緯で、この本を出すことになったんですか?」

 

という質問をいっぱい受けました。

 

「ちょっと不思議なんだけど……」

 

というトーンが混ざりまくった、"疑問"に近いインタビュー。

 

特に悪意があったとかじゃないんです。

みんな驚きの方。

 

売れてない芸人が『幻冬舎』という有名な出版社から急に出版。

しかも歴史の本

よくよく聞いてみりゃ、文章も書いたことないし、書籍化を夢見て頑張ってたわけでもない。

 

「えっと……ちょっと説明してもらえますか?

 

ってことになるわけです。やっぱり。

 

こちらとしても「よくぞ聞いてくれました!」という感覚があったので、嬉々として喋ってたんです。

お世話になった方の名前を出せる喜びがあったんで。

 

ただ、さすがに1から10を話すことはできませんよね。

経緯だけで30分も40分も喋った日には、インタビュアーさんが泡吹いて白目の図確定なので。

 

だから、これまでネット記事なんかに載せていただいた、"本ができるまでの経緯"は、けっこう端折ったもの(これ文句じゃありませんよ。取り上げて頂くだけで本当にありがたいんですんから)。

 

逆に、このブログに書こうとしてるのは、経緯の全貌。

 

読んでるみなさんを泡吹いて白目にさせようというものです。

 

 

では、そんなこんなでそろそろ本題へ。

 

 

これは、僕の本、『超現代語訳戦国時代』にまつわる、

 

 

4人の恩人の物語です(こんなトーンでいく予定じゃないのに。完全に振りかぶってしまいました。やってしまってます)。

 
 
 

 

 

 

2016年。一昨年の話。

 

 

長い事(15、16年)芸人をやっていて、売れてない自分。

現時点では食べていけるだけの仕事をもらっているけれど、そんなもんは綱渡り。

長続きしないこともわかっていましたし、長続きをさせてもダメだと思っていました。

 

「何かアクションを起こさないと……」

 

現状で与えられる仕事以外に、"何か"を見つけないと。

新しいアプローチが必要ということだけは確実。

それだけはわかっていたんです。

 

ただ、その"何か"がまったくわからない。

 

 

オレ、仕事になるような趣味持ってたっけ?

頑張って何かの資格でも取るか?

宅……建…?

宅建じゃねぇか。おもしれーけど。

好きなものを磨いてそれを仕事に……。

ゲー……ム…?

やってねぇじゃねーか。仕事に繋げたいばっかりに、無理矢理好きになるのは違う。

なんだ?

なにすりゃいいんだ?

うーーーん………。

 

時間を見つけては自問自答を繰り返すんですが、答えらしい答えなんかは全く出てきません。

上れない螺旋階段をずっとグルグル回ってるような感覚。

上ってないんですから、もはや階段でもありません。

 

ある時なんかは、喫茶店に行って、紙に書き出してみたんです。

自分の”好きなこと”や”得意とするもの”を。

 

読書、漫才、歴史、バレーボール、etc……。

 

それこそ思いつくままにバーーッ!と。

 

ドラマやアニメなんかだとね、

 

「ちょっと待て……。これとこれを組み合わせれば………そうか!これだ!!オレが歩むべき道は、これだったんだ!!」

 

となるんでしょうが、実際の房野は、紙を見つめ……

 

 

「………………だから何?」

 

 

なーんにも見つけられません。

現状の房野史典を再確認して終わり。

 

 

ぼんやりと「どうにかしなきゃな…」と思い始めて1年以上が経過。

元来、楽観主義者の自分も、さすがに”焦り”というものを感じ始めたのが、2015年の秋〜2016年の年明けにかけてだった、と記憶しています。

 

やがて、ちょいと切実な思いは外へと漏れ出します。

 

 

「誰かに…相談したい……」

 

 

 

こんな感情に駆られるようになるわけですね。

 

そうなった場合、大概僕の最初の相談相手は決まってます。

 

 

この時点で16年以上の付き合いになる同期。

 

 

山口トンボです。

 

 
(いつだったか、何の説明もなしに急に送りつけられてきた写真。ちなみに、未だになぜこれを送ってきたかは謎。浜野謙太さんに似てる)
 
 
名古屋吉本の頃からの同期(房野とトンボは名古屋の吉本の芸人でした)。
トンボが芸人から作家に転身しても、変わらない付き合いを続けている親友です。
 
トンボは僕のほぼすべてを知っているし、僕はトンボのほぼすべてを知っています。
 
"ほぼ"って言うのは、若いときトンボの実家に着替えも持たずに連泊したら、僕が帰ったあとトンボのお母さんが家中にファブリーズをかけていた、っていうのをトンボは僕に報告するくらい"ほぼ"です。
 
 
そんな友達に、僕は相談を持ちかけたんです。
 
 
相談って言っても、
「実はオレ…」
的なあらたまった風ではなく、飲みに行く度、
「いやー最近よく考えるんだけどさ…」
みたいに、何気なく切り出すような感じ。
 
僕から幾度となく提示される話題に、グッティ(=トンボ)も一緒になって都度都度考えてくれました。
 
で、ある日の飲み。
 
いつものように、それとなく切り出される話題。
 
 
房野「やっぱり何かやらなきゃな、と思うんだよね」
トンボ「そうだよね」
房野「なんなんだろうなぁ……」
トンボ「具体的にさ、"これ"ってことじゃないんだけど、房野が持ってる中で一番の能力は、物事を噛み砕くことだと思うよ」
房野「噛み砕く?」
トンボ「何かの物事を理解して、それを人に分かりやすく説明したり、伝えたりすることが、お前が持ってる中で、一番の能力だよ」
 
 
そうなん?
 
それが一番の武器なの?
 
確かに、"自分なりの解釈でしゃべる"みたいなことは、これまで何度かやったことがあります。
というか、芸人をやってると、望むと望まないとに関わらずその場面に遭遇することが多い。
 
MCでのゲームコーナーの説明だったり、プレゼンの真似事だったり、フリートーク内での状況説明……などなど。
 
でも、自分の中の一番の能力が"わかりやすく説明する"ことだなんて……少なくとも、僕のことを一番理解してくれているトンボが、そこを評価してくれていたなんて、ちょっとビックリ。
 
ありがたい気持ちとともに、
 
「じゃ、その武器を活かしてみるか」
 
ということが、自分の中で決まりました。
 
 
進むべき方向が決まったら、お次は具体的な取り組みです。
 
房野「なるほど……。そこを活かしていけばいいんだ」
トンボ「うん。そうだと思う」
房野「じゃ、それをどう発信していけばいいんだろう? 形にするには何をやればいいんだ?」
トンボ「うーーん………」
房野&トンボ「そこなんだよなーーー!!」
 
 
ここで一回休憩。
そう簡単にはね、具体的な方法なんて見つからないんです。
 
それでも、やっぱり小豆だるま(トンボ)は、頼りになる存在でした。
 
長い付き合いになりますが、僕はアラフォーそら豆(トンボ)の嗅覚を信じてます。

お返しってわけじゃありませんが、僕が思うひょっとこ(トンボ)の才能は、物事を判断する嗅覚と、愛嬌だと思ってます。


トンボのアドバイスで少しの光が見え、今度は具体的な方法を探す旅だと、決意を新たにしていたら、数日後


簡単に見つかるんです。


いえ、見つけてもらえたんです


これまた長い付き合いの、いつも手を差し伸べてくれる先輩、

キングコング西野さん

の手によって。






つづく。





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