年内に書いてしまいたい。

気持ちの整理なんてできないけれど、なんとなくそうしておきたい。

 

あの日の事、の続き。

再び、大学病院への搬送が決まった

(後から思う事、やっぱり田舎って嫌だわ、都内の病院すぐだったら助かったのかな、という正直な気持ち)

 

お昼にお腹の痛みを感じ始めて、2時間後に産院へ到着し、更に1時間後にこの病院へついて1時間苦しんで

そして、さぁオペだ切ってくれという寸前に「ここでは、できません」と。

・・・・

再びの救急車。県をまたいでる。

驚いたのは、2回目大学病院行きの救急車にもそれまで数時間滞在した中央病院のドクターが乗り込んだこと。

(後で母に言われた、最初の産院の先生が救急車乗ってくれたから、この患者ちゃんと見届けなきゃて病院でも同じ対応したのかしら、って。どーだかね)


高速で揺られる間、悶絶。

揺れの振動が身体に響いて更に痛かった。

あと何分?(で到着=手術=眠れる)?だけ繰り返し繰り返し聞いた。


高速乗って1時間

やっと大学病院へ到着、もう日没。

痛くて死んでしまう、

という状態の自分に大学病院の医師が告げたのは、

手術はせず、分娩で頑張ってもらいますから、と。

 

夫、最初は驚いていた

だって、それまで、山ほど本当に山のような書類、緊急時の諸々を了承しますの類の書類にサインをしまくっていたから。

しかも2つの病院でそれぞれ。

だから当然、切ると思い込んでた。

けれど、説明を受けて、頷いてた。


彼は納得、というか理解していた様子。

あとは自分をひたすら励ましていた。

 

担当医は教授。たまたまその時間に滞在だった。ラッキーだった

のか・・?! まぁそうだろうか。

自分はその教授ドクターに即座に断った。

分娩は無理です、お昼から今まで頑張って、昨日も熟睡できてない、もう体力は無いから無理です

切ってください、と。

それでも、ダメ、と。

 

分娩を試みて、ダメなら切開するから、と。

切ったら出血が止まらなくなる可能性が大きかったらしい、その胎盤剥離という疾患、病

常位胎盤早期剥離 が正式名

自分の状況と、血液の状態と、赤ちゃんの状態と、諸々を総合的に判断して、彼はそう言った。

もう無理だったから抵抗しまくったけれど、ドクターはじめ医療グループも、もうその流れで動いていた。

涙が出てたのは、悲しみでなくて痛みで。

 

(あとから思う事、一人目とかでこういう痛みやら、こわい経験をされた方や、身内にそういう人がいると、次回から、もしくは最初から、

慎重に慎重にいろいろ考えて準備やるんだろうけれど、自分にはそこまでの経験が無かったから、迂闊だった。幸か不幸か。

出産は命がけ、というのは、そうね、と。4回の妊娠、3回の出産で思う事)

 

ドクターの言葉

「前回の出産は何時間だったの?」

6,7時間くらいかな

もう、敬語なんて使う余裕は一切なくなり・・・

 

「じゃ、それを目標にがんばりましょう」

え・・・・ムリ

もう一度、明確にNOを示した。

でも、聞き入れてはもらえなかった

奈落の底に突き落とされたような、そんな気持ち

(あとから思う事、退院時や産後しばらくは、やっぱり切ってくれたら、と思っていた。痛みの記憶が生生しく鮮明で

もう気がおかしくなる程だったから。

数か月後、保険適用の諸々でも疾患は勿論認められたけれど、医療保険の支払いの適用とかも

”手術”でなく、あくまで”分娩”だったから、ものすごく減額されて、あんな痛みに耐えたのに。

そんなら切って、うん十万もらった方がよかったじゃん、くらいに思っていた。

でも、今これを書いて思う事は

今でも悲しい気持ちが、結構な頻度で蘇るのに、もしもお腹に傷が大きくあったら、死ぬまで毎日いやでも

その気持ちと向き合っていくことになるのかな、ならばこれでよかったのかな、当時は思えなかったけど、と)

 

分娩室はうすら寒い悲しい殺風景な感じだった。

大学病院の分娩室が明るい感じでないのは、こういう患者が多いからだとあとから聞かされて納得した。田舎ではね。

納得した。

 

その殺風景な分娩室で、がんばった。

いたくていたくて、悲しくて、出てこなくて、叫んでた

「がんばったって、赤ちゃんどうせ死んでるんでしょ、切ってよ」という言葉が

喉元寸前まで出てた、何度も何度も。

でもこれは言わずに堪えた。

 

ごめんね、赤ちゃん。

そうして産まれた子は、うえのこにうりふたつ。全くおなじ顔してた。

そらそうだ、卵子提供。同じときの卵。双子だったんだもんね

 

ごめんね、赤ちゃん。

 

ごめんね。

ごめんね

 

気持ちの整理なんてできていない

できていないけれど、生きていかなくちゃ

 

できればもう一度、と今でも思ってる

気持ちの整理なんてできていない

でも、こういう気持ちで生きている、がんばってる人が世の中にごまんといるに違いない。

この時代に産まれたことにせめて、感謝しないといけないんだろうな

親の時代、祖母の時代なら確実に死んでたね、自分は。


大変な人、はすぐそこにいる、ここにも、あそこにも。そこここに。

見えないだけ、それまでに自分にはみえなかっただけ

 

少しだけ優しくなれたかな

 

赤ちゃんを抱っこしてる人にはついつい目がいってしまう、

いいな、とおもう。

自分にこどもがいてさえも、そう。

妊婦さんをみても、いいなと思う、

それ以上に、どうかどうか、お大事に、無理しないで、

ご無事に、と思う。

 

年の瀬

今年は厄年だったのか?しらべるのはやめておこ

 

なんとなく辛く、ひとりだと

簡易仏壇に真正面から拝むことなかなかできないけれど、

 

進もう

 

一歩一歩また一歩