ぼうくんの日々修行

ぼうくんの日々修行

少年サッカー&バス釣り&麻雀の日々修行な
毎日を書いていきたいと~。

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少年サッカー指導者を18年
自分がサッカーをしていたのもあり
息子にも幼稚園の頃からサッカーを。

そして、スポ少に指導者として。
息子が卒団し娘もサッカーへ

その間、近隣チームと合併し100人以上マンモスチームに

マンモスチームのコーチから監督へ

子供達全員の名前を覚えるのが一番大変

チームに入り13年、娘が卒団と共に退団した矢先に甥っ子双子がサッカーをしたいと言い、3年でもあったので技術的に遅れもあるのと、気持ちも熱かったので自分が育成する事に。

甥っ子の地元チームで学年を担当することを条件でコーチとして入団

結果も必要とするチームで、厳しくも指導した。そして子供達がサッカーで中学・高校に繋がる基礎スキルとスキル以外のルックアップや思考などを重点に。

そして、チームの目標とする予選を勝ち上がり県大会に出場

甥っ子は、滋賀県NO1のクラブのセレクションにも合格し、この学年は全国ベスト8まで勝ち上がった。

高校もサッカー推薦入学で。

これで自分のサッカーへの安堵と一抹の寂しさを持ちながら終止符を。

今思うと、本当にやり残した事はなかったのかな?

もっとこれを指導しとくべきだったのかと思う

双子の甥っ子も、今年県トレ選手に選ばれ、コロナ禍がなければ国体選手になっていた。

指導者として、全国高校サッカーで全国に行く選手か国体選手になってくれればと思っていた。

その目標もある意味達成した。

次は孫が出来たら、指導者として戻れたら✨

自分自身にお疲れ様と。

楽しい嬉しい思い出も選手達と共にしてきた。

その反面、犠牲にしてきたものの代償も大きかった。

サッカーばかりで家庭を省みず、ほったらかしにしてきた。

もう取り返しはつかないけど、後悔はない。
大変ご無沙汰しております。

少しずつですが、ブログを再開していきます。

今回だけは長文になります。

まずジュニアサッカーから

昔から知っておられる方は、ご存知だと思いますが捕捉で。

まず、息子が所属していたチームに指導者として所属
息子が5年の頃に、隣地区のチームと合併。
息子が6年の頃は娘の1年生も担当
娘が4年生の時に学年担当とチーム監督
を兼任。
子供の人数は80人を越え大人数に。
幼稚園にキッズ活動や知り合いコーチを頼りカップ戦・トレマを増やし、招待してもらった試合・トレマで初めてお会いするチームには必ず名刺交換をし試合をさせてもらう。京都・大阪チームはグラウンドがないので遠方でも喜んで参加してもらえた。保護者には負担が少ないよう練習には当番廃止。
お父さん指導者を増やし、コーチ陣の負担軽減と分散。

代表・監督がトップチームを育成するのではなく担当学年指導者が低学年から持ち上がり。代表・監督は捕捉や助言や修正をコーチに伝える。

元々、合併する前の両チームにはカップ戦はなくトレマすらほとんどなかった。
年に数回のトレマしかない。

選手・保護者のモチベーションが上がるはすもないので、合併と同時に試合や交流改革をする。
自分が会議や協会行事などに積極的に参加し、チームを認識して知名度を持ってもらう事が、後々のチームには必要と。
翌年監督に就任。

娘の学年が卒団するころには、チームの礎は出来たのと、燃え尽き症候群になっていた。

女の子を受け入れやすい環境・多動性障害や身体に障害のある子供でもサッカーを楽しんでもらえるように講習などにも参加し幅広い子供が、サッカーできる環境をと。

各学年担当指導者は2名以上にする。
低学年か三年までにお父さんコーチを探してお願いする。

自身の経験からお父さんコーチも最初からコーチでもない。
幾ら自身がサッカーをやっていても、指導者としては、初心者🔰
指導者も子供と一緒に成長し勉強し、一緒に目標や夢に向かってもらう。
そうすることで、自身の子供以外の子供が自身の子供と同じようになる。

選手であり、子供である。
躾的なことも、垣根なく注意出来る。

そして、卒団を期に自身も退団。
この退団も色々あって退団した面もある。もうサッカーと携わることはないと思っていたが、双子の甥っ子がサッカーをやりたいと三年生の夏前に言ってきた。妹から身体が悪くて当番にも行けないし、サッカーならおれに見て欲しいと子供達が夢を持っているとのこと。

子供のことだから、いつ気が変わるかわからないが徐々に見て本当にサッカーの上を目指すならトコトン付き合う。
甥っ子達は隣の市に住んでいて、通う小学校のスポーツ少年団に入団したいとのこと。
まあ~このチームは今まで色んな事がありブロックでも有名で厄介なチーム。
代表とは話はしたことのないが、面識だけはお互いある。

入団のお願いと指導者として入団をお願いしにいく。
担当学年は甥っ子の学年。
その学年には担当指導者はいなく、掛け持ちの指導者しかいない。
拒まれる理由はないが、ワンマンで悪名も高い代表だが、おれにとっては何の問題もないしサッカーには関係ない。
何かあれば受けて立つし臆しない。

そして、担当学年の子供達11人。
お父さんコーチも2名引き入れた。
選手達の意識は高く、競争意識もたかい。上を目指す選手も多く指導者もそれに応えるようにする。
初めは、前チームから交流があったチームにトレマをお願いし選手のスキルなどを確認する。4試合全部大量失点の大敗。何を指導者されてきたのか?
基本と基礎が出来ない。
負けるのは仕方ないが、内容や個人のスキルは酷いし2年生レベル

そこから、毎日基礎・基本練習をメイン
会社の帰りにグラウンドにいき、自習練習を指導。チーム練習日には、集合時間を早め体力向上目的でランキング。

子供達が夢を目標を持っているからこそ、指導者も真剣に向き合う。
そして、6年の時には最初にトレマした4チームにもいつも勝利するチームにまで成長し、目標である県大会に出場。

11人中、6人はトレセンまでいけるようになり、チーム中8人はクラブチームへ合格。甥っ子二人はジュニアユース滋賀県最強チームにセレクションで合格。
ほぼトレセンメンバー150人の中の36人に選出されて、ジュニアユースで頑張っている。滋賀県では向かうところ敵なし。新人戦も優勝し上のリーグなど。

二人は、辛くてキツくてをよく耐えた。
上手くなりたい強くなりたいと、吐こうが泣こうが甥っ子だという気持ちを捨て厳しく指導した。
チーム内でなく、個人練習・自習練習で厳しく指導。人の何倍も練習させた。
自身の夢に向かったから辛抱できたと。

甥っ子達のチームは、依然としてゴタゴタは続き、卒団と同時に退団。

以前監督をしていとチームも、自身が抜けて2年後にゴタゴタしクーデターがあったみたい。
その時に抜けた指導者と共にスクールを始める。

抜けた四人の指導者は、意識や考え方などは共有していて、前チームでも協力してもらい礎を作った。

スクールも三年になり、小学校~中学生・高校生が練習休みに参加してもらってる。今では30人ぐらい。

チームの主旨は明確にした。
上を目指す選手のスキル向上と
練習不足分を補う。
特出すべき点を集中し練習。
エキスパートコースのようなコース

保護者が土日は仕事でスポーツをしたくても出来ない。
スポーツ少年団のように、過度に練習参加難しい。
塾や他の習い事を兼任している。
スポーツ少年団に参加しているが、スキル向上目的
などのカジュアル的なコース

子供の人数に対し指導者の人数が充実しているのと、指導者全員が10年以上指導者経験があり自身の子供が高校生以上で所属していない。
高校生以上は、相手役で練習に参加。

指導者は、トレセンコーチ経験やD級指導者・3級審判・4級審判保持
なので、向き合い方も明確で、子供の意識も明確なのでやりやすい。

これからは、スクールでボチボチやっていきます。

趣味の麻雀と釣りにも時間を使う。

得たことも多かったが、無くしたことも多かった。


2月始めにイベントに参加
自身のライフ時間を多く持てそう。

Mリーガーの魚谷侑未プロとの2ショット
やはり、Mリーガー半端ないって。
強すぎる‼️





最近、足の膝に限界を感じる。
膝の靭帯を2回も損傷していて、一度は中学生の時とに24の時の2回。

同じ左膝で、ほぼ同じ箇所。

昔は冬になると、痛くなりサポーターの中に金具が入ったのを付けていた。
最近は一年中痛くなる時がある。

サッカーをしていても痛くなる。
小さい子供との練習やゲームでは大丈夫だけど6年とかになると走るのと蹴るのが痛い。6年とするとパスでもロングを使わないといけない。

少しカーブかけてパスやシュートすると膝に負担がくるから痛みもある。
レフリーの資格を返上したのも、膝の事もあったから。

そろそろ膝も限界かもな。

日常生活に支障をきたすまで、酷使する事はしないけど、いつまでも子供たちとボールを追っかけていたい。