オートバイ二人乗りの旅 -15ページ目

チリ フィヨルド状の湾や島をフェリーで北上   2006年12月22日から26日   

チリパタゴニアのプエルトナタレスからプエルトモンへ。 フィヨルド状の湾内や島の間をフェリーにて北上。

フェリーはプエルトエデン号。全長113m、全幅19mで定員は200名弱。船はフィヨルド状の湾内や島の間をぬうように進むので、外洋に出た25日の夜以外は、海はまったく平穏。体に感じるのはエンジンからの軽い振動だけ。

我々が取った部屋はドミトリで一人314ドル、学生証を使用、バイク70ドル。食事は朝が8から9時と、昼が12から1時、夜が7から8時。1日に3回。そしてこのフェリーで面白いのは操縦室が解放されていること。

実質45日の船旅。二日目におとぎの国のような プエルトエデン に上陸した以外、変わり行く風情を楽しんだり、部屋で本を読んだり、ロビーでパソコンでの日記をつけたり、のんびりした船旅であった。


鉄ちゃんが出発前日に会いに来てくれ 焼肉で乾杯


  フェリーの出航

おとぎの国のような プエルト・エデン島

プエルトエデン を短い足で颯爽と?歩く安子

フェリーからの風情

くつろぎ 氷河をバックに      日記つけ

  

フェリーのたびを終えて、プエルトモン上陸 

     のんびりした船旅に満足

  パイネ自然国立公園へ   2005年12月18日 水島 治

 パイネ自然国立公園へ

氷河によって削られた、標高3000メートル近い花崗岩の岩峰群、険しい山山、氷河湖、川、滝が生み出す風景とそしてそこに生息する動植物を見に、1216日宿を出発、公園のゲートへ向かった。

初日にトレース・デル・パイネに向かったこともあり、登山に近いトレッキング、途中でバテテしまって、夜の11時近くに宿に戻るという羽目になってしまった。 が、2回目は登山装備でなくても周れるパイネ・グランデ山、パイネの角と呼ばれるクエルノス・デル・パイネの麓、サルト・グランデ、グレイ湖、へのトレッキング。 

「自然の厳しさ、尊厳さ、そしてそこに生息する動植物」 感嘆!! 


公園ゲート前の風景(入園料一人10,000A$)

初日:このときはまだ元気なり!!

トレッキングスタート(初日)

 装備の不安が頭をよぎる(周りの人達は皆登山装備)

不安が的中 トレッキング約1時間半で へたり込む安子(初日)

2日目 グアナコの出迎えを受ける



パイネの角:クエルノス・デル・パイネ



サルト・グランデ(氷河が融けて滝に)





パイネの最高峰:パイネ・グランデ山とクエルノス・デル・パイネ

   短い足のため、ますます小さく見える安子



 パタゴニア先住民の人達      2005年12月17日  水島 治

パタゴニア先住民の人達


プエルト・ナタレスに来たもう一つの目的、

博物館に、「今は絶滅してしまったパタゴニアの先住民の写真が保管されている」 というので、着いて直ぐに行ってきました。 

どの人達も悲しそうな顔をした人達の写真。みるのがつらかった。

「文明人(?)が持ち込んだ疫病」 「迫害」 など 直視しないといけないと、、、!!






  

先住民は私達日本人と祖先を同じくするモンゴロイドの人達、やりきれない気持で一杯になってしまった。 

 ウシュアイアからパイネの街への道       2005年12月13日~14日 水島 治

ウシュアイアからパイネの麓の街プエルトナタレスへ。

1213日、“年内はいてくれるのでしょう”といって、あたたかくしてもらったオーナーの綾子さん(ご主人に先立たれ、お一人で日本から来た若者を迎えてくれている)には悪いと思ったが、何時までも環境の良い山荘にいると気持ちも緩んでくると思い、早朝6時に山荘を後にして3日で走るつもりだった道を15時間超で走って、農家に泊めてもらい翌朝プエルトナタレス到着した。 

出発と同時に雨、そして泥まみれになったダートロード、アルゼンチンからチリへの再入国、マゼラン海峡をフェリーで渡って南米大陸本土へ、渡ったら雨がさらに強くなり其の上強風と寒さ、ガソリンスタンドで安子の顔を見たら唇が紫色で震えていて、これはこれ以上はしることは無理と思い、ナタレスまで後120キロ一寸だったけれど、20件くらいの集落があったところで、”宿がこの辺に無いか?”と聞いた子供が案内してくれた農家にやっと泊めてもらって そして今朝8時出発でやっとこの町につくことが出来た。

この道は少々大変だったけれど、温もりのあるところに長居するよりも「”チャレンジ” ”発見” ”感動” のたび」をしているんだからこれでよかったのだ。

1223日、出発のフェリーに乗るまでの一週間はパイネ巡り。 楽しみなり。


お母さん 綾子さんに見送られて山荘を出発

 お母さん 本当に 本当に ありがとう!! 




泥んこのダート道 やっと抜け出したぞ~ 


南米本土再上陸 


 農家に泊めてもらうことに!!(2230分) 

お母さんにご馳走を作って頂き、食べ過ぎの安子




プエルトナタレス到着 Am9




昨夜は寒くて震えていたのに

着くと直ぐにアイスをなめる安子 大丈夫かよ?


  「 大陸最南端3つの定説と新たな挑戦者の誕生」   2005年11月30日 水島 治

  「 大陸最南端3つの定説と新たな挑戦者の誕生」


大陸最南端として3つの定説があることをこのウシュアイアに来て知った。それは、

大陸最南端としての街:ウシュアイア

世界最長の道17,848キロ“パンナメリカンハイウエーの終点”(現在、パナマとコロンビア間は依然として道が途切れている。)

そして大陸としての“道の終り”。

よ~し ここまできたのだからいってみようと!!


 1130日、道の終りへ

道の終りは、ウシュアイアから3号線を70キロ南に戻り、そして右折、それからベーリング海峡の海岸にでて、そして海峡沿いに南極方面に約90キロいった少し小高い崖の上で、そこで道が途切れていた。そこにはアルゼンチンの海軍の監視場があり、其の後方は、ビーグル海峡であった。

ここまで来る道は荒れたダートで、途中南極からの強風で、地に這いつくばって生えている南極ブナ

“道の終り”に来たことを実感。 感無量!!

129日 パンナメリカンハイウエーの終点へ

アラスカから17、848キロの終点地。

この地は、ティエラ デル フェゴ国立公園の終点で、途中にビーバーの営巣地があり、波静かならラパタイア湾に面した風光明媚なところであった。

アラスカを北の始点と決めてスタートした鍋さん(鍋野進一さん)とともに走行。

鍋野さんは、この地を終点として北・中・南米縦走の旅を完結とした。

鍋さん、“バイクでの長旅、この挑戦と苦労をこれからの実情家へ道へ大いに生かして!!

本当に 本当に ご苦労様でした。

そしてメキシコであって以来、ラパス・ウシュアイアで会い、大変お世話になりました。 ありがとうございました。」

新たな挑戦者の誕生  其の名は 河原肇志さん

「鍋さんのバイクは、来年から社会人として働く前の“自分への挑戦”として南米に来た、フレッシュな若者タダさん(河原肇志さん)が譲り受け、ここを南の始点として南米コロンビアへの縦走の旅に発つことになった。」 



「鍋さん、この旅最後の走り」 




新たな挑戦者河原肇志さん

新たな旅たちを上野山荘の皆様と一緒に見送り




旅立ちの勇姿“24歳の誕生日に上野山荘からパンナメリカンハイウエーへと向かった”


南米縦走の達成を祈る!!


パンナメリカンハイウエーの終点にて

大陸最南端の街 ウシュアイア到着   2005年11月24日 水島 治

大陸最南端ウシュアイア到着 

11月24日、13時22分大陸最南端の町ウシュアイアへ無事に到着。

天気はよくなかったが、向かう方向、南極の方角は明るかった。明日に希望と新しい発見と感動を求めての我々のたびの往路のラストランを飾るのにふさわしい日だ。

凛とした空気の中を走り出だした。

峠を抜けると「ビーグル水道」と呼ばれる海峡に面した街が見えた。これが陸路で行ける南米の、そして世界の南の果て  ウシュアイアだ!!

長かったなあ~ カナダのバンクーバーを2004224日出発して一旦北上し、極北のドウソンシティーを北の出発地とした北米・南米大陸縦走横断のたび、

505日。

メーター63.455キロ、    もかかっちゃった。

厳しことも多かった。が、実におもしろい旅であった。

安子が北米を走っていてヘルニアになり一時帰国して手術したときには、メキシコに戻り、そして南米に来るとは、思ってもいかかった。が、よく頑張と思う。 乾杯 乾杯!!

これからは、日本から遠ざかる旅だったが、ここからは、日本へ向かって走る旅となるのだ。

ウシュアイアに後66キロ もう直ぐだ!!

タンポポの群生の出迎え!!

ウシュアイアの町が見えた!!


 

大陸最南端到着

  1124日 午後122分 ようやく着いた!!

  

来ていたイタリア人の旅行者から祝福を!!



 皆様と記念撮影を!!



  


オートバイ二人乗りの旅  2005年11月22日~11月23日 水島 治 

カラファテから大陸最南端ウシュアイアへの道 

往路のラストランの道、この地域はアルゼンチンとチリの領土が入り乱れており距離は300キロ程度とわずかではあるが両国をでたり、はいったりしなければならない。

そしてこの間でマゼラン海峡を渡ってフェゴ島に上陸、大陸最後の山脈を越えてベーリング海峡へ抜けなければならない。往路最後の道 頑張ろうと気合を入れて挑んだ。

リオカジェゴスから約70キロでアルゼンチン出国 チリ入国。

国境では、われらの若さでのオートバイによるタンデムでの訪問に、日本語のみの対応でも気持ちよく対応をして貰え、国境から約70キロでマゼラン海峡へ。荒れてなし

フェゴ島上陸。

上陸と同時に雨が降り出し強風に。

それでも明日の明るさを信じ、赤土のダートへ。しかし途中での大型トラックの横転、そしてますますひどくなる雨、“給油をしないといけない”と思ったが、だがなし、、、やっとフェゴ島に渡って30キロのところにあった寒村で給油、ここで泊まりたかったがチリペソを持っていなかったこともあり、泊まることが出来ず、更にすすむ。そして更にひどくなる雨、赤土でどろどろになった30センチのわだちの中をひたすら前へ

そしてまたチリとアルゼンチンの国境。またしても我々の若さでのオートバイタンデムでの訪問に感激しての気持ちいい応対を受けの出国 入国の手続きと国境脇にある宿泊施設の紹介。

そして翌日の23日、往路のラストランをむかえた。

4時起床。前夜降った雪で少々凍結していた山脈の道を越えた。


スタート前のトレーニング 喜蓮さんが作ってくれた弁当を食べて

  

  

19カ国目となるチリの国境に到着

 1123日午前820分アルゼンチン出国 

同午前835分チリ入国

  

 

マゼラン海峡のフェリー乗り場到着

   1020分出港


フェゴ島上陸


アルゼンチン再入国

  1123日午後250


一転に雲がわき出てその後土砂降り

  其の後全身泥まみれ

あの山脈を越えれば大陸最南端の街

 ウシュアイアだ 喜ぶ安子




オートバイ二人乗りの旅     2005年11月21日    水島 治

アルゼンチンの日本人宿 其の名も「旅館」


強風のパタゴニアを乗り切るためにトレーニングしたブエノスアイレスの日本旅館(11日間滞在)そして「生きている氷河をみに行くためにいったカラファテのフジ旅館(5日間滞在)。 

アルゼンチンに日本式の“旅館”があるのだ。

どちらもオナーは一緒。ご主人は島藤博さん 奥様は喜蓮さん。どちらも気さくな人で、のんびりさせてもらった。そして作ってもらった“ユッケジャン”の味は今も忘れない。

喜連さんが“往路のラストランだから”といって朝早く起きて作ってくれた弁当に感激!!

島藤さん喜蓮さん ありがとうございました。

フジ旅館 アルゼンチーノ湖を望む

野の花


  

フジ旅館の居間と食堂

  

オーナー  島藤さん 喜蓮さん

  

喜蓮さんに作っていただいた食事 あ~ おいしかった


  

          

          美味しい弁当と野の花と氷河に満足顔の安子

  

日本旅館 :MIRAFLORES 2045 AVCOBO 1700(4924-4144)

FUJI旅館:AVJUAN D PERON 2082(493-025)

http:// www.geocities.jp/nihonryokan.ar





オートバイ二人乗りの旅     11月19日 水島 治

「生きている」モレノ氷河に 感動!!    


フジ旅館のオナー島藤さん喜蓮さんご夫妻と一緒にモレノ氷河へ。

アルヘンティーノ湖に落ちこむ巨大な氷の塊が見えてきた。あれが幅5キロ、長さ30キロ、水面からの高さ約80~100m、先端部分の見えている氷河部分は全体の8分の1で大半は水の中という、そして世界でも極めて活発に「流れている」氷河、ペリト・モレノ氷河だ!

氷河は一番激しいところで1日に2mも移動する、そのために頻繁に崩壊が起きて其の様子はバキという音が当たり一面に響き其の様子はすざましいとのこと。今日は気温が低く雨のためか?みることはできなかった。でもボートで氷河のまん前に行ってその様相から崩壊の様子が創造することが出来た。落ち込んでいる先端部分の氷河が作られたのは約40.000年前のものとか、、、

ゆうだいな光景に大感動!! 

氷の美しいこと。氷が真っ青に見えるのだ。氷河の氷はすごい圧力で固められた極めて透明度の高いものだから、青以外の光を吸収してしまうためらしい。


モレノ氷河への道


「生きている」モレノ氷河 青さには思わず“う~ん” 思わずうなってしまった。


    






オートバイ二人乗りの旅      11月10日~11月17日

4時に起きて走ったパタゴニアの道

アルゼンチン・モトスポーツの会長ホルヘさん、友達鉄ちゃん、土居浦さんなどから“タンデムフルパッキンで強風のパタゴニアを抜けるなら ”5時から6時には起きて午前中に走り終わること“とアドバイスを受け、4時に起きコーヒーを飲んで直ぐに走り始め、2時には走り終えるという日々を過ごした。

11月11日午前7時45分コロラド川を渡り南緯40度を終えてパタゴニアに突入。

途中雨と強風で一日足止めを食ってしまったりしたが、2,680キロを6日間で走破してモレノ氷河の観光の拠点となるカラファテに到着した。 

荒涼としたパンパでの強風、ガソリンの給油、そしてバイクを安全に置ける安宿の確保など ちょっと厳しかったパタゴニアの道ではあったが、サンライズを毎日みての南下、満足のいく、面白い旅であった。

月がまだ空にある 4時に出発    


月がおちて直ぐに太陽が、空が朱に染まっていく其の様には感激!!


南緯40度 コロラド川を渡り

パタゴニアに入る(11月11日7時45分)

荒涼とつづくパンパに群れする牛達

雨から抜け出たトランザルプの勇姿     一時の睡眠

  

ブエノスから2001キロ パンパを抜ける目処が立ち

 笑顔の安子

                記 水島  治