共謀罪法は強行凶暴採決‼
だが学会選定1年後もヒスイはただの石。
戦争屋命令に忠実だが
自国自都の
意思決定できぬ
東京都知事と首相と政府と。
2016年 9月 24日、
日本鉱物科学会総会
で
7000年前・縄文時代から
道具・装身具として使われていた
ヒスイが国の石に『選定』されはしましたが。
2015年・研磨作成
実物は「ほんのり桜色」です。
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純粋ヒスイは白ぃ色です。
純粋ヒスイ白に鉄が加わり翠色のヒスイとなります。
純粋ヒスイ白にチタンが加わり紫色のヒスイとなります。
純粋ヒスイ白に鉄とチタンが加わり青色のヒスイとなります。
「青ラベ」・「赤ラべ」のヒスイ↓
青味が強いものを「青ラべ」
赤味が強いものを「赤ラべ」
と、呼び、
採鉱愛好家のうちでは特に桜色のものが好まれる・・と。
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翡翠は
5億年前・古生代カンブリア紀に、
海底プレートが
沈み込んだ地下数十キロの場所で
できた奇跡的な宝石です。
世界でも、稀な、
日本列島を横断する大きな地層の溝
フォッサマグナの
西の境目姫川へ
7000年前から誕生する
翡翠と
ダイヤモンドより堅牢(壊れにくい)な翡翠の加工
技術は[日本有史以来の財産]です。
ヒスイが国石制定となることに異論ございません。
凡そ2,500万年前
日本列島を横断する大きな地層の溝フォッサマグナ
が、できました。
フォッサマグナは姫川が西の境目になります。
ここは
糸魚川静岡構造線という活断層の場所です。
↑ちょうどここ↑で
右側の、古い地層北アルプス
と
左側の、新しい地層が、
地球のダイナミックな営み、
ギューギュー押し合ぃおしくらまんじゅう
によって
ヒスイを含んでいるこの古い地層が
山明星の麓に上がってきます。
大量にヒスイが見つかっています。
糸魚川市周辺の翡翠は
縄文時代から奈良時代にかけて
5000年間にわたり、
全国に広まりました。
2017/08/20(日) 23:00~23:30
NHKEテレ1大阪
美の壺・選「日本の国石 ヒスイ」
昨晩の番組内では、
7000年前から5000年の間
石作りの叩き石等の道具や、装身具として
「使われていた翡翠」
が、
1200年前「仏教を伝えるため」に
「翡翠は使われなくなった」消えた!
と、
「フォッサマグナミュージアム」の学芸員? が
説明されていたよぅに当方は記憶していました。
__よって__
5千年間も続いた
日本の翡翠文化が、
古墳時代中期から後半にかけて
消えるよぅに衰退した理由
は、
仏教による中央集権が
始まったためと了承しました。
古墳は紀元三世紀~七世紀までに築造されていますが
その同時期に全国の古墳の上・側へ神社が建てられます。
古墳建造の民族は六世紀ころ、北九州へ渡来。
七世紀には、飛鳥大和へ渡来した仏教国際組織に
この古墳や居住地跡へ仏寺が建てられ、
その後、神社が建てられました。
___と、いぅ歴史の繰り返し・日本___
5千年間も続いた
[日本有史以来の財産]である
道具としての翡翠の加工技術は
石の加工技術として、
新都市大和国家
奈良・平安
へ
新渡来人により移行された
よぅです。
日本のヒスイのみならず、
朱砂、水銀、金・銀・銅のなど
・鉱物資源市場獲得目的の
侵略者たちによる簒奪!
・米・絹の市場独占目的の侵略者たちによる簒奪!
と、
帝位を簒奪されることが
繰り返されている
地震と噴火の王国
4つのプレートの上に
浮かぶ島嶼日本!
維新と声高に叫ぶ
共謀罪法制定の現代
も、
大化の改新時も
明治維新時も
同じ。
外からの帝位簒奪でした。
日本にはヒスイの産地はなく、
遺跡から出るヒスイは大陸から持ち込まれた
ものと昭和初期1938年までも考えられていました。
1938年 、夏前のこと。
↑
糸魚川の偉人・相馬御風《春よ来い作詞》氏
が
昔、糸魚川地方を治めていた奴奈川姫が
ヒスイの勾玉をつけていたので
もしかすると
この地方にヒスイがあるのかもしれない
という話を
知人の鎌上竹雄さんにしたことから
[日本が原産する翡翠]の存在が、
7000年ぶりに明らかになりました。