雨の中。
TOCOTOに俺とテレビと車イス、後ろの義兄の車に義兄と姉と親父。
遠回りをして、実家が見える緩やかな上り坂をゆっくり走る。
親父の目には映らないのだろうげど。
もう二度とあの家に戻れる事は無い。
この街にも。
川を渡って施設に着いて、相変わらず「(ビール)一杯飲ませてくれ。あとタバコくれ」
同居で介護出来るわけではないし、するつもりも無い。
けれどこの施設と言う場所は『毎日を淡々と過ごしながら死ぬのを待つ所』で、それは家族にはとてもありがたいのだけど、
こうなる前に『自ずからの』選択肢は無かったんだろうか?
だから人間、生産性が無くなったらお終いなんだよ。