「溺愛してくれる人がいる」事を
妄想で味わってたら
感情?がお腹・みぞおちの辺りの
下の方から湧いた気がした。
「いいね、ソレやろう」とか
「ソレでいいよ」の
自分に向けた安心感って軽いのか
上の方で感じる気がするけど、
誰か他者からの安心感って
重心が低い感じの気がした。
コレって、
自分1人の愛って究極
「死ぬ選択肢があってもいいよ」
「自分で決めたなら、
いつでも宇宙に戻ってもいいよ」
ってぐらい
自分の選択を受け入れているから
ふわふわして軽いのかも。
その反対に
誰か人やモノを含めた愛って
「地球に生きて、味わいたい」から
重く、重心の低い、
地に足がついた安心感なんかも
そんな気がする