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The purpose of this is a display of my opinion and concreting it.
ブログでは主に、新聞や鑑賞した作品について書きます。

Tittle: ブサメンにとっての恐ろしい帰結 ~壁ドン編~ 前振りlong ver. 

 Tを定義しようとしている言葉とする。その言葉を含む想像を観察可能な現象の命題に関連させる規則は「すべてのTは…である」という形をしていて、[…]には観察可能な現象の命題が入る。従って、Tを説明しようとすれば、すべて目に見える現象に還元されるということになるわけだが、Tが”愛”の場合を考えてみる。

「すべての愛は…である」

 […]には観察可能な命題、例えば、高級なプレゼントをくれる、常に連絡をしてくれる、道路側を歩くとかそのような事柄が入る。例えば、”思ってくれている”は適さない、観察不可能であるからである。それは主観にすぎない。
 むしろ、そのような幻想を抱けることが”愛”であるのかもしれないが、それは置いておく。
 さて、[…]には無限に事柄が当てはめられると想像されるが、そもそも、その当てはめる行為自体にも、なにかに支えれている事態がある。
 ”キスをしてくれる”という観察可能な現象の場合、これをTと関連する現象として認めることはできる。しかし、違った場合もある。
 キャバ嬢がキスをしてくれる場合、それは、お金のため、ないしはやけくそである(いや、むしろ、だからこそ、そこに愛を見出せるとも言える、いあやむしろ私はそう思いたい、だってキャバ嬢だってキスをする絶対的な必要性はないからである)。または、口臭いことを自覚した奴からのキス、愛に見せかけた嫌がらせである。性病の場合もあるかもしれない。
 受動/能動については、考慮していないのであしからず。
 このようにTに関連づけて観察を行うということ自体が何かしらに支えられているようである。それがなければ、”愛”は”愛”たり得ない。
 従って、やはり、”愛”とはTのように定義されるべきものではなく、”むしろ、そのような幻想を抱けること事態が”愛”である”らしい。
 壁ドンも、明らかに変態な男がやれば、ただの脅迫行為である。やはり、そのような幻想を可能にする程度に受け入れてもらえる程度でなければ許されない行為であるようだ。

 ここで恐ろしい帰結が私たちを待っている。
 壁ドンをサプライズだと解釈すれば、サプライズ行為はイケメンのための特権行為であるということになってしまうのである。
 ということはである、サプライズや告発の演出で不細工のハンデを埋めることができるという私たち不細工の唯一の希望も逆効果でしかないということである。不細工のサプライズは逆効果。普通にしてたらイケメンにも勝てない、だけど、サプライズなどの演出もイケメンしか使っちゃだめって、どうしたらいいんだよ、いいんだよ、である。

cf.ニックネームさん頑張れ バナナマンのバナナムーンGOLD 告白論争PART2 2014.7.11




https://www.youtube.com/watch?v=z2L91-MYz4w