母の遺品整理 | 逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

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昨日は手付かずだった母の遺品整理。
旧桜堤小学校のお別れ会に使える資料はないかと探していて、結果母のものばかりある押入れの中を引っ張り出す。
一間の押入れの上下殆どが母のもので、その中の大部分が写真。
小学校の教員を定年まで勤め、その後は自分の好きな事に費やした。それが子供の頃から好きだった野草の研究と写真撮影。
スライドにした写真が1000枚以上あり、プリントしたものはそれ以上ありそう。野山を歩いて写真を撮るサークルに入って、展示会なども行ったようで、大きな展示用の写真も多数出てきた。...
そんな中見つけたのが母が写真を撮っている姿。これには驚いた。
父が居合を教える為に海外への渡航にもついて行った時の写真も数えられないほど。ニューカレドニアにもフランスにも何度も行っているし、その時の渡航記録も書かれたものもある。綺麗な横文字を書いているのにもビックリ。そう言えば英語もフランス語も勉強してた。そして子供の頃からたしなんでいた謡曲のテープも沢山出てくる。更にビックリしたのが、子供の頃からの武蔵境を年を追って書いていること。大正時代から昭和初期の武蔵境の様子が判る。
母の母(祖母)が母の出がけには「馬に気をつけなさい」と言ったという位、当時は馬や牛が沢山飼われていたらしい。
女学校の桜蔭時代のアルバムや高等師範に通った時代のアルバムまで出てきた。教員時代の給料の支給リストまで出てきた。
写真と合わせて、母の書き残したものを一つにまとめるのが、これからの私のライフワークになりそうだ。