黒部の太陽  | 逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

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黒部の太陽毎日新聞編集委員である木本正次の1964年の毎日新聞への連載小説であり、挿絵土井栄が描いた[1]。単行本としての初版は1968年講談社から発行された。
 
1千万人に及ぶ巨大な人間の集団が働いた黒部の谷底。そそり立つコンクリートの岩壁に積み重なった7年の歳月の重さ-。黒部ダムを含む黒部川第四発電所の建設プロジェクト(通称くろよん)は、戦後の経済復興の本格化に伴う電力不足を受け、昭和31年に着手、38年に完成した。高さは186メートルで国内一。昭和39年、毎日新聞に連載された同名の記録小説に、数十枚の加筆を行ったこの作品は、「黒四で苦労した大勢の人たちの、人間の記録を書きたい。この工事で殉職した171人の人々のために、紙碑を立てたい」という著者、木本正次の強い意志によって産み出された。当時の関西電力会長、太田垣士郎は「ぜひ、生きた、血の通った文学の碑を立ててください。殉職者に限らず、黒四で苦労した人たちのために、どうか人間の記録を残してください」と答えたという。
 
 
 
 
この本は 木本正次氏の通夜の席で戴いたものだ
そう 木本正次氏は 私の同級生の父親であり 我が家の直ぐ側に住んでおられた
 
1964年に毎日新聞に連載された小説だが その後 石原プロと三船プロの共同製作とう形で映画化されるのだが 独立プロの製作を喜ばしく思わない邦画会社 特に日活の抵抗を受けて 企画から製作開始まで時間を有した
クランクイン後も 各種の問題が起きる それは上映館の問題で 五社協定を盾に取る日活は 他の邦画4社にも上映配給しないようにと圧力をかけるとともに モデルとなる関西電力にも圧力をかけた しかし関西電力は その圧力をはねのけるとともに 全面協力している これは石原裕次郎自ら 関西電力の協力を得るために乗り込み この映画への熱い気持ちを伝えたと言う
 
 
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昨夜 石原裕次郎亡き後 封印されていた黒部の太陽のテレビ放映があった
今年は木本正次生誕100周年 石原裕次郎没後25年 
そして来年は 石原プロモーション50周年にあたる
「映画は大きなスクリーンで見て貰いたい」との石原裕次郎の遺言もある
それなのに 今なぜテレビ放映かと言うと 3月23日の東京国際フォーラムで行われる全国チャリティー上映会のスタートに合わせての デモの一部と言う事だろう
 
実は 恥ずかしながら映画「黒部の太陽」を見たのは初めてなのだ
何故見なかったかと考えてみたのだが 三番館での映画ばかり見ていた関係で 
ロードショーは滅多に行く事はなく 更には 話題になる映画や混雑する映画館が好きではなかったので行かなかったのだろうと推測する
きっと見よう見ようと思っているうちに 公開が終わっていたのだろう
 
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豪華キャストの映画だが やはり三船さんの存在感は抜群だった
辰巳柳太郎 滝沢修 柳永二郎 宇野重吉 志村喬 佐野周二 岡田英二
二谷英明 高峰三枝子 樫山文枝 日色ともゑ そして石原裕次郎
 
1枚目の映画写真三船さんの左側 はちまき姿覗いているのが 大浜詩郎ちゃん
3枚目では こんなアップのシーンもあった
生きていてくれたら 国際フォーラムで一緒に見れるのにと 残念に思う
日活映画で脇役として活躍した 武藤章生さんが裕ちゃんの右側にいるし
今でも活躍する 榎木兵衛さんも 元気に登場してくる
今回の放送は 特別版であるため 今後上映されるものとは少し違う
 
今週は 23日24日と二日続けて上映会に行ってくる 追加上映が決まったと言っても全て完売 3階席が少しだけ当日発売されるようだ
完全版を見るのが楽しみでならない