ノーマン・ロックウェル | 逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

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今日は 我慢していた扁桃腺が ことのほか酷くなって 仕事を早退して医者に行った
 
私が通う耳鼻科 腕は良いのだろう いつでも混んでいるのだが 医者が愛想が無い
 
だから行くのも憂鬱なのだが 診たてが確かだから 仕方なくこの病院へ行く
 
愛想が無いと言うよりも ある時は喧嘩腰のようなやり取りになるから 今日も憂鬱
 
案の定 特に私の事は嫌いなのだろう 会話も成立しないで終了
 
それでも『ありがとうございました』と礼を言って診察室を出る(笑)
 
3種類の薬を5日分処方されて終わり
 
 
今はどこでもそうだが 処方箋を持って 病院のそばにある薬局に行く
 
競争も激しいから 薬局の体裁も凄く良いし 無料のお茶などもある
 
ウーロン茶 緑茶 玄米茶 ほうじ茶  こんなにお茶の種類をおいている薬局は はじめてだ
 
お茶を飲みながら 自分の薬の出来るのを待つ
 
 
おや!
 
ふと壁を見ると 大好きなノーマン・ロックウェルの画が飾られている
 
久しぶりに大きなロックウェルを見た
 
彼の作品の中でも有名な画で 家出した少年とポリスマン
 
きっとハンバーガーでも食べさせるところだろう
 
 
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実は我が家にも 何枚かのロックウェルの画がある
 
そして 私が一番好きなのが 上の写真の画
 
オイルステインの木の台座に この画が貼られていて タペストリーになっている
 
今から30数年前 シアーズローバック社と提携していた勤め先の会社に
 
シアーズ・ショップが出来て そこで数枚買った
 
今でも 我が家の今の一角に 横一列に飾られている
 
小さなタペストリーだから 最初 ライオンの存在に気が付かなかった(笑)
 
気付いたのは 何回かの引越しの時で それ以来 特に大事なものの一つになった
 
とてもお気に入りと言う事
 
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ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell、1894年2月3日 - 1978年11月8日)は、アメリカの画家、イラストレーター。軽いタッチでアメリカの市民生活を描き、アメリカで幅広い大衆的人気をもつ。
ニューヨークで生まれ、美術学校を出てから、アメリカ・ボーイスカウト協会の雑誌などに絵を書き始める。ボーイスカウト運動に対して多大な貢献を果たしたことに対して、後に、世界で十数人しか与えられていない功労賞(シルバー・バッファロー章)が贈られている。
彼の絵は1916年から1963年にかけて『サタデー・イーブニング・ポスト』紙の表紙を飾ったが、とりわけ1940年代から1950年代のものが人気がある。彼の絵は商業主義的で一部の近代美術批評家からはまじめな画家とは扱われず、イラストレーターと呼ばれることもあるが、アメリカの市民生活の哀歓を巧みに描き、アメリカ人の心を捉えているため、最もアメリカ的な画家のひとりともいえる。
ユーモラスな作品が多い一方、後期の代表作「The Problem We All Live With ([1])」 では、人種差別的な悪戯書きがなされトマトが投げつけられた壁の前を、連邦保安官に守られながら通学する幼い黒人少女の姿(公民権運動の一環として、白人の学校に通おうとする場面)を描いており、社会性の強い、激しい一面も見せた。
多作であり、生涯に2000を超える作品を描いたが、1943年に彼のスタジオで起きた火事で多くの作品が焼失し、残った作品もほとんどが美術館の恒久的所蔵品となっている。また、彼に作品を依頼して表紙などに使った雑誌で、完全な状態で残っているものは極めて少ないため、発見されると数千ドルの値が付く事もある。2006年には、1954年の作品である『息子の旅立ち』が1542万USドル(当時のレートで約17.8億円)で落札された。アイゼンハワーやジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソンなど政治家の肖像を描いたこともある。Wikipedia