二人の命日 | 逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

人気ブログランキングにほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へ  目 ランキングに参加しています。一日1回クリックお願いします。



今日7月17日は昭和の大スター 石原裕次郎と市川雷蔵の命日

大好きな二人の俳優が 同じ日が命日と言う事が 何か不思議な気がしてならない


$ボスザウルスの隠れ家        Bosszaurus



$ボスザウルスの隠れ家        Bosszaurus



毎年 この日が来るのを指折り数える

それは待遠しいと言う事ではなく 気がかりな日が近づいていると思うのだ

その理由のひとつに 前日の7月16日の息子の誕生日がある

二人の大スターとは関係のない話だが 結婚して8年半 出来ないと思っていた子供が出来た

その日の喜びは一生忘れる事は出来ない 

生まれて直ぐ 赤電話に走り 父と母に報告した事を 未だに鮮明に覚えている

裕次郎が亡くなった時 それが息子の誕生日の翌日と言うのが 不思議な縁に思えていた

特に因果関係があるわけではないが その日から7月17日は特別の日になった



映画を見始めた頃 特別に石原裕次郎が好きだった訳ではない

ただ好きな吉永小百合の映画を見に行くと そこには必ず石原裕次郎の映画が付いてきた

だから最初 裕次郎映画は小百合映画の添え物として私は見ていたのだ

そして気がつくと どっぷりと石原裕次郎にはまっていた

とは言っても 全盛期大活躍していた頃の若い裕次郎映画を見るのは それから少ししてからである

リアルタイムに見始めるのが 「太平洋ひとりぼっち」「赤いハンカチ」の頃で昭和38年39年

丁度映画を見始めた 高校一年のとき



地元の映画館は三番館と呼ばれる三本立ての映画館

毎週新しい映画を上映するのが封切館で 専属の映画会社が決まっている

日活をはじめ 東宝 大映 松竹 東映の五社 

それらを見る為には電車に乗り 吉祥寺へ 当然新しい映画は値段が高い

二本立て250円は 高校生の私には高嶺の花 古い映画が地元に来るのを待つ そうすれば180円

封切館で上映される映画を「封切」と呼び 新しい洋画が上映されると「ロードショー」と呼んだ

封切やロードショーの公開が終わると 次にまわる映画館がある それが二番館

二番館は比較的新しい映画を 封切やロードショーより安く見れる

そして半年もした頃に 三番館と呼ばれる私が行きつけの「境劇場」に回ってくるのだ



三番館では 映画会社の制約がないから 映画館側で映画をセレクトする

フィルムが次々と映画館を回る 地域でバッテティングしないように 調整していたのだろう

「境劇場」は日活が主体だったが 大映 東宝 松竹 東映 それに洋画も上映した

例えばこんな調子

「座頭市鉄火旅」(大映)「陸軍中野学校竜三号指令」(大映)「嵐を呼ぶ男」(日活)

嵐を呼び男はリメイクの渡哲也版で 勝新太郎 市川雷蔵の主演映画


こんな時もある

「哀愁の夜」(日活)「わが愛を星に祈りて」(大映)「何処へ」(東宝)

舟木一夫 高田美和 加山雄三が各々主演の映画である

そんな訳で 勝新太郎や市川雷蔵の映画も 好きも嫌いもなく見る様になった

雷蔵映画は「忍びの者」「陸軍中野学校」「眠狂四郎」が上映されている頃である




そんな背景の中 徐々に裕次郎 雷蔵 二人の映画を見る機会が増えた

市川雷蔵生涯出演本数159本  石原裕次郎 107本(多少違うかもしれない)

雷蔵映画に関しては録画で約100本持っている 裕次郎映画も50本は越えたはず

大好きな二人の大スター それにしても同じ命日とは奇遇である

写真は スチールではないものを探してみた(わが保存ファイルから)

市川雷蔵は 「弁天小僧」の刺青を入れている写真

石原裕次郎は 「あいつと私」の製作インタビューであろう




二人には大きな共通点がある

不振の日活映画を建て直して 日活と言う会社を引っ張っていった石原裕次郎

泥まみれになった大映を 最後まで一人で背負った市川雷蔵

日本の映画界をそれぞれが支えていた訳だ

市川雷蔵は 時代劇が多く 殆ど京都での撮影だったと思うが 現代劇のときは東京

勿論石原裕次郎は東京の日活撮影所

どちらの撮影所も 東洋のハリウッドと呼ばれた調布市にある

お互い逢って飲んだと言うような話は聞かないが 接近遭遇は繰り返していただろう

市川雷蔵1931年生まれ 享年37歳

石原裕次郎1934年生まれ 享年52歳

巨星たちの死は いかにも早過ぎる



*市川雷蔵の名は 歌舞伎の名跡なので 最近では「8代目市川雷蔵」と呼ぶようになっている