照葉樹林帯の里地・里山を豊かに覆う緑とそこへと続いて行く小径。遠くに
観える青い山々まで続くかの様な田畑のうねり。その中を縫って流れる里川・
小川の清流のせせらぎ。そんな良質で四季折々に色や形を変えて行く自然の全
てが幼い頃の僕らの遊び場だった。それらの原風景の中の木々からの木漏れ日
や季節による草の生え具合や野の花の可憐さ等それらの風景が容易かつ細やか
に蘇って来る。私は、そこで日々、心身共に癒やされながらも鍛えられながら
育って行った。そんな中に、私にとってのノスタルジック昭和 --- ”昭和”
の記憶があるのだ。それらの想い出の風景は今も尚、胸を熱くさせてくれる。
楽しくて楽しくて、心身共に元気で健康で明るくて屈託のかけらもない。そん
な輝く様な想い出が私を確実に成長させてくれた。そして、それからの人生に
おいて、おおよそ何者にも負けない不屈の心を育んでくれたと自負している。
今となって振り返るそんな記憶のページは正にふるさと今だ忘れ難き宝石の
様な輝きを放っているのだ。
私は、西暦1954年=昭和29年の生まれである。63年間続いた”昭和”のほぼま
っただ中に今生(今回の人生の生)を受けた。”昭和”とは、どんな時代であっ
たのか!?を思い振り返る年齢(とし)となった様だ。もしかしたら、”昭和”
の時代を振り返ることは一つの責務かも知れない等ともエラソーに思えても来た。
振り返るにその時代は、私自身にとっても日本の近代史上でも長期間続いた特
筆すべき時代であった様に思われる。それらは甚だしく変化に飛んだ波瀾万丈に
して著しき経済成長と科学技術力(テクノロジー)の飛躍的な発展の時代でもあ
った。取り分け、”昭和の時代”は、その前の”大正、明治”の時代を直接的に
知らないからであろうにしても。また私にとっての”昭和”は、”青春の昭和”
でもある。私は専門家・学者的に、”昭和の時代”を分析・検証しよう等と思っ
ているわけではない。タイトルの如くに、ノスタルジック(郷愁をそそる)”昭和”
なのである。人は多く、己の人生の記憶の中に”ノスタルジア(郷愁)”を求め
て心の安堵を感じているように思う。”古き良き時代、昭和”を辿る私にとって
は、ノスタルジック(郷愁)・ツーリズム(体験型の旅)でもあるのだ。
昭和20年(1945年)に第二次世界大戦が終わり、その約10年後あたりからの私
が幼少から小中高の時代を送った昭和30~40年代の日本は、人口が1億人を越え
(1966年)、東京オリンピックの開催(1964年)や大阪万国博覧会の開催(1969年)
等々と共に日本国民の生活水準が急激に向上し国内総生産(GDP)が世界のトップ
クラスに躍り出始めた時代でもあった。
時の流れと共にどんどん遠ざかって行く”ノスタルジック昭和”は、実は私に
とっては決して遠ざかってはいないのだ。これらを辿る記憶の旅はいつも新鮮そ
のものである。何にも代え難いほどにすばらしい宝物なのだ。
2020(令和2)年5月18日
小川の清流のせせらぎ。そんな良質で四季折々に色や形を変えて行く自然の全
てが幼い頃の僕らの遊び場だった。それらの原風景の中の木々からの木漏れ日
や季節による草の生え具合や野の花の可憐さ等それらの風景が容易かつ細やか
に蘇って来る。私は、そこで日々、心身共に癒やされながらも鍛えられながら
育って行った。そんな中に、私にとってのノスタルジック昭和 --- ”昭和”
の記憶があるのだ。それらの想い出の風景は今も尚、胸を熱くさせてくれる。
楽しくて楽しくて、心身共に元気で健康で明るくて屈託のかけらもない。そん
な輝く様な想い出が私を確実に成長させてくれた。そして、それからの人生に
おいて、おおよそ何者にも負けない不屈の心を育んでくれたと自負している。
今となって振り返るそんな記憶のページは正にふるさと今だ忘れ難き宝石の
様な輝きを放っているのだ。
私は、西暦1954年=昭和29年の生まれである。63年間続いた”昭和”のほぼま
っただ中に今生(今回の人生の生)を受けた。”昭和”とは、どんな時代であっ
たのか!?を思い振り返る年齢(とし)となった様だ。もしかしたら、”昭和”
の時代を振り返ることは一つの責務かも知れない等ともエラソーに思えても来た。
振り返るにその時代は、私自身にとっても日本の近代史上でも長期間続いた特
筆すべき時代であった様に思われる。それらは甚だしく変化に飛んだ波瀾万丈に
して著しき経済成長と科学技術力(テクノロジー)の飛躍的な発展の時代でもあ
った。取り分け、”昭和の時代”は、その前の”大正、明治”の時代を直接的に
知らないからであろうにしても。また私にとっての”昭和”は、”青春の昭和”
でもある。私は専門家・学者的に、”昭和の時代”を分析・検証しよう等と思っ
ているわけではない。タイトルの如くに、ノスタルジック(郷愁をそそる)”昭和”
なのである。人は多く、己の人生の記憶の中に”ノスタルジア(郷愁)”を求め
て心の安堵を感じているように思う。”古き良き時代、昭和”を辿る私にとって
は、ノスタルジック(郷愁)・ツーリズム(体験型の旅)でもあるのだ。
昭和20年(1945年)に第二次世界大戦が終わり、その約10年後あたりからの私
が幼少から小中高の時代を送った昭和30~40年代の日本は、人口が1億人を越え
(1966年)、東京オリンピックの開催(1964年)や大阪万国博覧会の開催(1969年)
等々と共に日本国民の生活水準が急激に向上し国内総生産(GDP)が世界のトップ
クラスに躍り出始めた時代でもあった。
時の流れと共にどんどん遠ざかって行く”ノスタルジック昭和”は、実は私に
とっては決して遠ざかってはいないのだ。これらを辿る記憶の旅はいつも新鮮そ
のものである。何にも代え難いほどにすばらしい宝物なのだ。
2020(令和2)年5月18日
山口久臣(やまぐちひさおみ)Yamaguchi Hisaomi
自然学校プロデューサー&ツーリズム・プロデューサー
一般社団法人アイ・オー・イー代表理事
【事務所】〒861-8039熊本市東区長嶺南2丁目5-31
TEL.096-387-6922 FAX.096-387-7139 (HP)090-1369-6360
E-mail:bossat_markioe-j.com(山口専用)
URL:http://www.ioe-j.com
阿蘇エコツーリズム協会副会長 阿蘇火山博物館客員学芸員
認定NPO法人地球市民の会理事長 九州自然歩道フォーラム副代表
九州自然学校協議会代表
九州ツーリズムコンソーシアム(一社)ムラたび九州理事
大災害救援&支援ボランティア・ネットワーク「RQ九州」代表
(特活)日本エコツーリズムセンター理事
(特活)くまもと未来ネット理事 (一財)くまもとSDGs推進財団評議員
博物館学芸員 環境省・環境カウンセラー 防災士
認定NPO法人地球市民の会理事長 九州自然歩道フォーラム副代表
九州自然学校協議会代表
九州ツーリズムコンソーシアム(一社)ムラたび九州理事
大災害救援&支援ボランティア・ネットワーク「RQ九州」代表
(特活)日本エコツーリズムセンター理事
(特活)くまもと未来ネット理事 (一財)くまもとSDGs推進財団評議員
博物館学芸員 環境省・環境カウンセラー 防災士