【R7.6.2撮影】

農林高校前駅を西側から撮影

今日は、農林高校駅前駅から甲府駅前駅まで、廃軌道さんぽしてみます。

廃軌道は、農林高校の北側にある4車線のアルプス通りから、北東に分岐。


農林高校前駅を西側から撮影

ピンポイントの駅跡を知らなかったので、自転車で通りかかった女性に聞いてみましたが、「ボロ電は嫁入り前に廃線になったので、わからない。」とのことでした。


農林高校駅前駅を西側から撮影


農林高校前駅を東側から撮影

おそらくこの辺りが駅跡。


農林高校前駅を西側から撮影

駅跡を示す痕跡は何も見つからない。


玉幡駅を西側から撮影

床屋のところの東隣にある道路の窪みが駅跡。

ボロ電の駅跡見つけやすさランキング榎駅と並んで3位タイ。


玉幡駅を東側から撮影

農林高校前駅から真っ直ぐな廃軌道。


玉幡駅から榎駅の間を西側から撮影

榎駅へ向かいます。

途中、廃線前の様子を彷彿とさせる畑が左手にあったので撮影。

前に通った時も同じ様に感じて撮ったなと思い出します。


農林高校前駅と榎駅の間を東側から撮影

ほんと真っ直ぐだったので、振り返って、ついつい撮影。


農林高校前駅から榎駅の間を東側から撮影

ついつい。


榎駅を南西側から撮影

新しい店舗が駅跡にオープンしていました。

コスモス、という現金オンリーのスーパー。

なんとなくコストコを思い出してしまう。


榎駅を南西側から撮影

榎駅の雰囲気も変わりつつある。

ボロ電の駅跡見つけやすさランキング玉幡駅と並んで第3位タイ。


榎駅を北東側から撮影

ここが駅跡と知っていましたが、そうは言っても聞き込みを実施。

車で駐車していた女性に聞いてみたところ、

「ここが駅の跡ですよ。塀の端から駅でした。」

と教えてもらって嬉しい気持ちに。

私の実家が近く、とのこと。


榎駅を北東側から撮影


徳行駅を南西側から撮影

徳行駅は東側にある窪みが駅跡では、と推定できてましたが、確定させるため聞き込みを実施。

近隣の男性から、

「ここ(測量店前の窪み)が徳行駅でした。ホームは1メートル高くなっていました。」と教えて頂きました。

もし、ボロ電のわかりやすい駅跡ランキングがあれば、1位の巨摩高校前駅に次いでわかりやすい駅跡に昇格した2位の徳行駅。


徳行駅を南西側から撮影

赤色ポールで囲まれたところが駅跡。


徳行駅を北東側から撮影

なぜ赤色のポールで囲まれているかは今後の課題。


徳行駅を南西側から撮影

この赤いポールで囲まれたところが駅跡。

不自然にあるコンクリートの境界が、駅の痕跡を残している。


徳行駅を北東側から撮影

ひっそりと主張している徳行駅。


徳行駅と貢川駅の間を南西側から撮影

徳行駅から貢川駅に向かう。


徳行駅と貢川駅の間を南西側から撮影

真っ直ぐに進みます。


貢川駅から徳行駅を振り返って撮影

某写真に倣って、歩道橋から撮影。


貢川駅と貢川車庫を南西側から撮影

某写真に倣って歩道橋から撮影。

若干、廃軌道が広くなっている辺りにノスタルジックを感じざるを得ない。

コジマの建物になった貢川車庫。

山梨交通と基礎に記載あり。


貢川駅と貢川車庫を南西側から撮影

貢川駅に近づく。


貢川駅と貢川車庫を南西側から撮影

真っ直ぐに伸びる廃軌道。


貢川駅を南西側から撮影

日産キャラバンの影になったところにモニュメント。


貢川駅にあるモニュメント


実際にボロ電の線路に敷かれていた敷石と当時モノのレールを展示。

ノスタルジー全開。感慨深い。


当時モノのレール

わかりやすい様に白く塗ってくれているのかな?

チャーリーズ・キャンメル社製


CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL


1887. SECI3I.1. R




反対側のレールも撮影。

あれぇ、左側のキャンメルが見切れてしまったのか?

元々なかったのか。

また見てきます。

SHEFFIELD TOUGHENEDSTEEL


1887. SECI3I.1. R


山梨交通電車線跡の碑


碑に刻まれた貢川駅の写真

周りは畑が広がる。


碑の裏側


「ボロ電」と呼ばれ親しまれた山梨交通電車は、大正末期に旧今諏訪村の金丸宗二助氏を中心に明治時代の馬車鉄道を継承しつつ計画され、当初は甲府電車軌道株式会社と称し。1929年(昭和4年)1月には、この地貢川駅・電車庫予定地で知事や市長臨席のもと起工式が行われ工事が進められた。

同年4月には社名を山梨電気鉄道株式会社に変更、同年12月には新造電車6両が納入され、竜王駅から貢川の電車庫まで人力で回送したと記録に残る。  

1930年(昭和5年)5月1日待望の開業の日を迎え、最初に貢川から大井の間が部分開業、以降、順次延伸し最終的には甲府駅前と甲斐青柳の間28駅を結ぶ単線、全長約20km余りの電車鉄道が完成した。

その後、1938年(昭和13年)ては資金難から峡西電気鉄道株式会社が継承し、さらに、1945年(昭和20年)には戦時続合命令により甲府盆地の民営バス鉄道事業者が合併して山梨交通株式会社を設立、鉄道事業はその一翼を担い沿線住民に広く利用された。

1959年(昭和34年)二度の台風災害で鉄道施設に大きな打撃を受け、復旧したものの、急激な自動車の普及の中でその使命を終え、1962年(昭和37年)6月30日、惜しまれながら30年余りの歴史を閉じた。

2020年(令和2年)12月吉日

電車開業90周年・山梨交通創立75周年を記念して

山梨交通株式会社_代表取締役社長雨宮正英


碑の横に建てられた駅名札の再現


レールの説明書き


●レールについて

この場所に復元した線路に使用しているレールは、電車線に使用した後に山梨交通各施設の鉄骨材料として使われ保管していたものを利用しております。

レール本体に凸表記された文字より、イギリスのSHEFIELD

社やドイツのUNION D製鉄連合等により1800年代に製造されたもので、帝国鉄道院(IRJ)が発注して民間に売却、山梨電鉄では三井物産から購入したとされています。

最終的に弊社で保管するにあたり短く切断されていたものを今回溶接して5mのレールとして復元しました。

レール頭部がすり減っているものもあり、実際に鉄道レールとして使用されたものと思われます。


敷石(張り石)の説明


●敷石(張り石)について

左寄りに設置した敷石は、運行時に荒川橋から甲府駅間の道路内に敷設(軌道)されたレールの周囲に敷かれた平盤石の実物です。

軌道廃止の際に撤去したものを保管、社各施設の入り口の部分や飛び石として使用されていたものを回収し、復元にあたって使用いたしました。

本来、長方形石と正方形に近い石を規則的に組み合わせ、各敷石の間は隙間なく詰められておりましたが、復元にあたっては時の組み合わせが困難で隙間が出てしまいましたので、コンクリートで補完しております。

敷石の無い枕木とバラスト部分は、荒川橋から甲斐青柳間の鉄道専用線部分を再現しました。


駅名表示板の裏側


駅名表示板の裏側


山梨交通電車線の概要

◆起工式

1929年(昭和4年)1月16日午前10時

この地貢川にて

◆営業運転期間 1930年(昭和5年)5月1日~1962年(昭和37年)6月30日

◆会社名の変遷甲府電車軌道株) → 山梨電気鉄道株)→

峡西電気鉄道株→ 山梨交通株電車線

◆路線長 全通時20. 3km 魔線時 20.2km

◆駅(含電停)数 28ヶ所(駅長駅員常駐駅5駅、駅員のみ常駐駅5駅)

◆レール 30kg/m (60ポンド)単線

◆レール幅 1067mm (3フィート6インチ=狭軌)

◆保有車両 1 1両(含貸車1両)

◆運行概要 30分間隔運転起終点間所要時間56分 連結せず単機運転

寄贈 山梨交通 交和会


貢川駅の東側にある公民館の広場

木製電柱はまだありました。(木で見えませんが、フェンス沿いにあります)


貢川車庫の北側を東西に流れる側溝を東側から撮影

何も痕跡がないので、撮ってみただけです。


貢川駅を北東側から撮影

YK(山交)タクシーの営業所がある。


貢川駅を北東側から撮影


貢川駅から上石田駅の間を西側から撮影

新しく道路が作られているので、今までの廃軌道も原型が失われつつある。


貢川駅と上石田駅の東側に東側から撮影


上石田駅を西側から撮影

少し歩道が整備されています。


上石田駅を東側から撮影

複雑に道路や歩道がクロスしている。

管轄が違うからなの?


上石田駅を東側から撮影

ESSOのガソリンスタンドがあった場所は、砂利駐車場に。


上石田駅を東側から撮影

某写真の画角を探しながら撮影してますが。


上石田駅を西側から撮影

交換駅だった上石田駅。

たぶん写真の歩道のあたりが上りのホームだったと思うけど。痕跡は何もなし。


上石田駅を西側から撮影

某写真の画角で写真撮ってみた。


上石田駅と荒川駅の間を南側から撮影

緩やかな左カーブで荒川を目指す。

自転車で通りかかった女性にボロ電の上石田駅のことを尋ねたが、「私はわからないけど、草津温泉に来てる人ならわかるかも。」

とお話をもらう。

…が、お話は今度にしておきました。


荒川橋駅を南側から撮影

この橋は荒川橋の西側にかかる貢川橋。


貢川橋から上石田駅方向を振り返って望む

この橋まで路面を走る併用軌道。

先程通ってきたところから以南は専用軌道。


荒川橋駅を南側から撮影

某写真に倣って撮ってみる。

両脇の店や商店は、どこに。


荒川橋駅を南西側から撮影

名物?橋の上にあるバス停。

元々はボロ電の荒川橋駅。

南側にある行く上石田駅は400メートル、北側にある寿町駅は300メートルとそれぞれ近い。

荒川橋駅を降りたお客さんは、どこに向かって。

土手沿いの何処かに向かって。


荒川橋駅を北東側から撮影

今は車が行き交う荒川橋。

旧荒川橋から新荒川橋に掛け変わったのは、平成27(2015)年3月。

何度か渡ったことがある、なんとなく記憶に残る旧荒川橋。


荒川橋北詰を南西側から撮影

旧荒川橋と旧貢川橋の親柱は、ここに。


左が荒川橋の親柱。右が貢川橋の親柱。


親柱の足元にある説明版

そろそろ交換時期でしょうか。

石か金属板に刻めばどうでしょうか。


寿町駅を西側から撮影

近くにバス停や寿交番やすき家52号甲府宝店がある。

バス停の位置が駅跡なのかどうかは、聞き込みが今後、必要。


寿町駅を東側から撮影

沿線は住宅街。

当時は商店が店を連ねていた写真を見る。


第二高校前駅を西側から撮影

痕跡は無し。

第二高校も荒川橋の一つ上流にある新荒川橋にの右岸に移転し甲府西高校となっています。

第二高校の跡地は、県立文化ホールに。


第二高校前駅を東側から撮影

少しだけ当時の商店が残る。


泉町駅を西側から撮影

バス停が残っているのは、荒川橋駅や寿町駅と同じ。

泉町駅の辺りは駅の間隔が200〜300メートルなので、以前は通り過ぎて、写真撮り忘れがあった。

今は通り過ぎてしまう事はない。


泉町駅を東側から撮影

この通りは拡張工事で北側の車線が拡張されたと以前聞き込みで教えてもらった。


相生歩道橋交差点を東側から撮影

右手のビルのところは、元々ガソリンスタンドだった模様。


相生町駅を西側から撮影

痕跡は何もない。

相生歩道橋交差点の西側と同じく、おそらく北側の車線が拡張されたのでは?と推定。


相生町駅を東側から撮影


警察署前駅を南側から撮影

左手に甲府警察署、右手に談露館。


警察署前駅を南側から撮影

某写真に倣って撮ってみる。


警察署前駅を北側から撮影

道路幅は少し拡張されている箇所あり。


甲府駅前駅を東側から撮影

スクランブル交差点をスルーしてゴール。


甲府駅前駅南側を西側から撮影

山交バスカラー(KKK?)の自販機。


甲府駅前駅を西側から撮影

今も昔も人通りが盛っている。


甲府駅前駅のモニュメント


甲府駅前駅のモニュメント


旧 山梨交通電車線

甲府駅前駅の跡記念碑

「ボロ電」の愛称で親しまれた山交電車は昭和5年に開業し甲府駅前~甲斐青柳間の約20km 28の駅を結ぶ単線で、甲府盆地西部の私鉄であった。

この地は昭和28年に完成した駅舎

「甲府駅前駅」跡地で、廃線60年の節目にこの記念碑を建立する。

令和4年9月吉日

山梨交通株式会社



自販機の鉄印が更新


買ってみた