同名のベストセラー小説を映像化した作品。主演はオスカー女優、ジュリア・ロバーツ。

 公開に先だって、彼女がプロモーションのため、遂に初来日を果たしたことが話題となったので、覚えている人も多いことだろう。


 劇場公開時にも興味をそそられた映画の一つであったが、このたびTV放送を待って初鑑賞してみた。


 感想はまず「金を払って観に行かなくてよかった。」


 原作者の自伝的内容を元にしたとはいえ、全体的にかなり散漫な印象がする上、ロードムービーとしての深みも感じられずじまい。


 人生をリセットしたくなった女性がイタリア、インド、インドネシアへの旅行を通じ、それぞれの国で食べて祈って、恋をするだけ。本当にそれだけで、何もない作品と言ってよい。


 2時間以上に及ぶ上映時間も拷問に等しいもの。いつ主題的なエピソードが始まるのかと待っているのも苦痛だったし、個々のエピソードに大したつながりもなく、意味も持たせていない。


 それもそのはず。これは元々所謂、自分探しの旅。何らかの意味や理由が行動や感情の原因となっている訳ではなく、自分自身とっての意義を探求することが目的なのだから。


 それを踏まえても、描き方は最悪の部類。いっそのこと、最後に出てきたハビエル・バルデムを主人公にした方が余程面白い作品が出来上がったのではないか。


 多くのヒット作を持ち、名前だけで観客を呼べるジュリア・ロバーツであるが、女優の本能として「プロモーションに自身が力を入れないとまずい・・」。出来上がりをみて、直感的にそう感じての初来日だったのではないだろうか。そう勘繰りたくもなる。



1970年生まれの洋楽・洋画遍歴-lions
傑作や秀作という言葉より「佳作」という表現がしっくりと来る映画とは、このような作品のことを言うのだろう。
  幼い頃から天才子役ともてはやされてきたハーレイ・ジョエル・オスメント主演の「ウォルター少年と、夏の休日」ロバート・デュヴァル、マイケル・ケインという米英を代表する名優が脇を固めることで作品に重みが加わり、幾分コメディタッチで描かれたシーンも最後に巧くまとめ上げられ、劇中のドラマ性を高めている。

 速記の学校に入学するためと偽り、一人息子ウォルターを金持ちだと噂される伯父兄弟に預けようとする母親。彼女の目的はウェルターが伯父たちと仲良くなって大金の隠し場所を知ること。

当初は、素っ気ない態度でウォルターの受け入れを拒む叔父たちだったが、母親が去ってしまった上、同様に資産の相続を目論んで頻繁に訪れる親類を追い返すための道具として彼を置くことにする。

電話もテレビもない片田舎、荒っぽい老兄弟との接点も乏しく、なかなか打ち解けることが出来ない少年だったが、セールスマンとの対話や畑仕事、老いたライオンの世話などを通じて徐々に新しい世界での生き方を会得していく。


そんな中、自室で見つけた写真の女性や異常なまでに強い伯父、ハブについての好奇心が湧き上がる。ガースに聞いた話はどこか眉つばで創作のようだったが、不思議と説得力も備えていた。

年は孫と祖父ほどの差であれども、時間の経過と共にお互いが意見を尊重し合うようになり、表情が多彩になる過程は静かな流れを感じさせる一方、時折挟み込まれたマッキャン兄弟の回想シーンは、典型的な劇中劇の様相を呈しており、明らかに異質なもの。
 それだけに母親が迎えに来た際のヒステリックかつ勢いのある展開は、それまでの流れを引き締めるものであった。


そして、最後に冒頭のシーンとつながり、ガースから語られて来た話が全て真実であると分かった時の安堵感が、本当に心を癒してくれる。


原題はSecondhand Lions
Secondhandには「老いた」「古ぼけた」という意味があり、勿論、最後に命をかけてウォルターを助けたライオンのことを指すのだが、Lion(s)と複数形になっていることにも気付くはず。そう、ライオンは勇敢なマッキャン兄弟のことでもあるのだ。


保安官に呼ばれたウォルターの元へ西サハラ石油のヘリコプターが降り立つと、24シリーズのマイロ役が印象的なエリック・バルフォーが現われたり、HEROESのネイサン・ペトレリでお馴染みのエイドリアン・パスダーがセールスマン役で登場する楽しみもあったこの作品。
ラストシーンで漫画家となったウォルターがあの夏の休日を丁寧に描いているところを見ると、平凡に思えた邦題も粋な感じがして来るのだった。


1970年生まれの洋楽・洋画遍歴-insideman
 鑑賞し終わった際、思わず「にやり」としてしまうような作品であり、一言でいえば、非常に良く出来た娯楽作。しかし、サスペンスであるがゆえ、テーマ性や主題を感じるような類の内容ではない。それがスパイク・リー監督の「インサイドマン」。
 とはいえ、多くのスターを配してテンポの良い展開を見せている点は、巧みな脚本のなせる業であり、監督の力量とも評する事が出来よう。

 鑑賞する作品を選ぶとき、監督と俳優、どちらに重きを置くかは人それぞれ。勿論、その内容にもよるだろうが、
監督がスパイク・リーでデンゼル・ワシントンやクライヴ・オーウェンがメインキャストとなれば、駄作を想像する方が難しいのではないだろうか。

 話は至って単純。銀行強盗である。C・オーウェン演じるラッセル率いる4人組が、従業員と客を人質に取って立てこもる。
 そこで交渉役に命ぜられたのが、D・ワシントン演じるフレイジャーたち。犯人グループの狡猾な罠に翻弄されながらも、何とか打開を図ろうとするものの、幾つものトリックが警察を混乱させる。

 果たして、犯人たちの本当の狙いは?という謎解きをまじえて進行するストーリーの中、結末を予感させる警察署内での尋問シーンが挿入されているのだが、それが余計に謎への興味を掻き立てるものとなっている。

 人質に自分たちと同じ格好をさせることで警察のみならず、人質内部での混乱を助長させる点や、アルバニア大統領の演説テープを流すことで政治的な目的がある外国人テロリストではないかと疑わせる部分は、拍手でもしたくなるようなアイディア。
 無理難題に近い逃亡用の飛行機を要求して時間を稼ぎ、人質を殺すトリックで包囲する側の焦りを誘う手法は、全てが結果的にリンクされており、真実へとつながっている。
 強盗された側の会長が暗部を表に出さないために雇った弁護士役でジョディ・フォスター演じるマデリーンが登場する点には、多少余分な感も漂うが、裏取引の場面を増やすことで確実に物語の深みがついている点は否定できない。

 自分はTV放送を通じてこの作品に初めて触れたのだが、劇場に足を運んだ人もきっと満足のいく内容と感じられたに違いない。

1970年生まれの洋楽・洋画遍歴

 ピンク・パンサーで知られるピーター・セラーズ主演のコメディ?

 生まれてからこの方、屋敷を出たこともない庭師の男チャンスは、主人の死によって社会に放り出されるが、大統領にも影響力を持つ実業家の妻を乗せた車が彼に追突。彼女に自宅での療養をすすめられて、屋敷に転がりこむと、無知ゆえの発言が周りに気にいられ、社会的に知られる存在となるという出世物語。

 作品中で、キング・メーカーを演じたメルヴィン・ダグラスは2度目のアカデミー助演男優賞を獲得し、セラーズ自身もゴールデングローブ賞を手にするなど、栄誉にも恵まれた。

 とはいえ、個人的には大して笑える場面もなく、脚本にも何か不自然さを感じてしまう。

 何故ならチャンス自身の素性が余りにも不透明。彼が読み書きさえ出来ない理由や出生の秘密が一切描かれていないため、コミニュケーション能力や性的関心の欠如をどうのように捉えるべきなのかが、非常に難しくなっている。

 レインマンを観た人であれば、先天的に自閉症のような障害を持っているとして理解するかもしれないし、何の知識もなければ、教育も受けずに来たので環境的抑圧状態による疾患が生じたとみなしても不思議ではない。

 しかも、画面を通して明らかに異常を感じる人物であるのに、周囲は持ち上げるばかりで彼の持つ負の面に気付く様子もないというのは、どうにも違和感を覚えてしまった。

 ラストではキングメーカーの遺志を継ぎ、チャンスを次期大統領候補に祭り上げる話し合いがなされるが、それはブラック・ユーモアを満載した作品としての締め括りなのだろう。

 シャーリー・マクレーン演じるベンの妻イヴやベンの存在感が際立つ一方、感情の抑揚を見せないチャンスには不可解な側面ばかりが目立つ映画となっており、一度観れば十分といったレベルに感じる人も少なくないのではないか。



1970年生まれの洋楽・洋画遍歴-father
 2003年のロシア映画「父、帰る」。同年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と新人監督賞を同時に獲得した傑作であり、映像の中だけではなく、後日談でも衝撃的な結末を持つ作品となっている。


 長く音信不通となっていた父親が突然姿を現し、戸惑う兄弟。父の記憶がある兄は、複雑な思いを抱えながらも父を受け入れるが、写真以外に何の記憶も持たない弟は、身内として受容する事が出来ず、反発を募らせる。


 突然の帰郷に驚く間もなく、旅に連れ出された兄弟は、父親の態度や行動に激しく動揺しながらも理解に努めようとするが、父親からの歩み寄りは感じられず。弟の反感は増すばかり。

 土砂降りの中で置き去りにされ、些細な要求も通ることはない。父親の方も威厳を示したいのか、高圧的な態度を変えることができずに喧嘩腰で接してしまう。


 そんな中、小島へ渡って釣りなどを楽しんでいた兄弟は、時間を守らずこっぴどく叱られる。

すると、弟は父親のそうした姿勢に我慢ができなくなり、攻撃性を見せた上に逃亡を図る。追い詰めてしまったことを悟り、追いかける父。

 しかしながら、その父を追手のようにしか感じられなくなっていた弟には、恐怖しか存在せず、必死に逃げる。


 そして訪れる、悲しいエピローグ。映画鑑賞に慣れていない人にとっては、退屈な流れに唐突なラストという作品に感じられるかもしれない。

 だが、映画の内容を瞬時に反芻できるレベルにある人なら、最後の持つ意味がそれまでの印象を変えてしまう深みにすぐ気付くであろうし、後からずっしりと重みが増す作品であることを誰もが認めるであろう。


  繊細な弟イワンを演じたイワン・ドブロヌラヴォフの見せる表情が多くのことを語る作品であるが、撮影終了後にロケ地となった湖で兄アンドレイ役のウラジーミル・ガーリンが溺死したことも多くの関係者、ファンに衝撃を与えた。

 2008年のNHKアジア・フィルム・フェスティバル出品作。限りなく白黒に近い色彩の中で、イラク・クルド地域の実情を描いており、画面に映し出される風景にはドキュメンタリーを見ているような錯覚を覚えた。


 フセイン政権下で迫害を受け、荒廃したスタジアムで暮らしていた人々がサッカーを通じて明るさを取り戻す様をメインに据えた内容となっているが、根本的にはイラクが抱える様々な問題を散りばめ、現況を広く世界の人に知ってもらいたいとするシャウキャット・アミン・コルキ監督の願いが込められたものとなっている。


 舞台はイラク北部のキルクーク。不穏な情勢下にありながらも、イラクのサッカー・アジア・カップ優勝という快挙を目の当たりにしたアスーは、クルド、アラブ、トルコと異なる民族に声をかけて自分たちもこのスタジアムでプレーしようと提案する。

 アスーにはサッカーの才能がありながら、地雷で片足を失って人生に絶望し、自殺未遂を繰り返そうとする弟がおり、塞いだ様子の弟を元気づけようと必死になる。また一方、スタジアムで子どもたちに勉強を教えていた美女ヘリンに恋心を抱いていたアスーだが、彼女が親の仕事の関係で引っ越してしまうことにも心を痛めていた。


 TV局のバックアップや親友サユの協力もあって、大会は無事開催にこぎつける。

しかしながら、試合中に肝心のボールがパンク。主催者として急遽、町にボール(とトロフィー)を買いに行ったアスーを悲劇が襲う。


 正直、脚本は秀逸とは言い難い。個々のセリフを通じて民族対立の根深さやイラク政府のクルド人に対する扱いが表現されている点は勉強になるものの、展開を急ぐ余りに登場人物の心がしっかりと伝わって来ない部分は否めないだろう。


 とはいえ、クルドの人々がイラク代表ではなく、そこでプレーする唯一のクルド人選手を応援したり、審判をだれにするかで揉めるあたりは、日常レベルでの強烈なアイデンティティーが彼らの中に刻み込まれている現実を如実に表していた。

 劇中、殆ど音楽は使われていない中で最後だけ悲しい調べを聴かせる点も巧みだったし、ヒロインのヘリン役を演じていたロジャン・ハマジャザは本当に美しく作品の華となっていた。

 そして何より、アスー役のスワン・アテュフの好演は評価されるベき。誰もが応援したくなる人物像を体現し、作中に幾度となく織り込まれた希望を託すに相応しい態度を熱演していた。


 90分に満たない短い尺の映画。娯楽作品ではないため、とっつき難い面はあるだろう。

だが、情報が発信されることが少ない地域であるがゆえ、この作品が持つメッセージ性は強さを増して発揮されているのではないだろうか。


1970年生まれの洋楽・洋画遍歴
 シンドラーのリストやマイケル・コリンズでお馴染みの俳優リアム.・ニーソン。彼の出演作には、個人的にも好きな作品が多く、K19からラブ・アクチュアリーまで多岐に渡る映画が思い出される。


 歴史上の人物を演じることも多い彼だが、この作品では特殊任務についていた軍?での経験をフルに活かして娘を救出するスーパーパパ像を見事に作り上げている。


 原題は連れ去りを意味する"Taken"。だが、これを救出のリミットだとされた96時間に変えたセンスは、配給会社を誉め称えたい。


 作品のあらすじはいたってシンプル。離婚した妻と暮らす娘が旅行先で失踪し、僅かな手がかりを元に犯人を追い詰めていく。

 アクションものとしてはテンポも良いし、悪くない出来。筋立てが単純なだけに考える間もなく場面が進み、緊迫感を持続させたままストーリーが進んでいくのはさすが、製作・脚本がリュック・ベンソンである作品と言えよう。


 但し、主人公以外にきちんとした役割を与えられている登場人物が余りに少なく、話の広がりも少ない。

事件が起こった背景などを省くあたりはベンソン監督の代表作「レオン」に近いものを感じる一方で、どうも感情移入できない流れを生んでいるような気がする。


 口さがなく言えば、バカ娘のために血眼となる父親を描いただけ。ノンストップ・アクション映画として観れば、評価も高いのだろうが、犯人グループの社会的背景など別個の視点を外交問題と絡めるなど、幅を持たせた内容とすればより説得力のある作品となったのではないだろうか。




1970年生まれの洋楽・洋画遍歴-just into
 英語圏では余りにも有名な恋愛バイブルの映画化。「そんな彼なら捨てちゃえば?」の試写会に行って来た。

 原題は"He's just not that into you"。直訳すれば、彼はあなたに興味がないとか、眼中にないという感じであろうか。


 但し、脚本は「セックス・アンド・ザ・シティ」のスタッフによるオリジナルであり、本の中にあるフレーズをセリフの中に盛り込みながら恋愛群像劇として仕上げている。


 ベン・アフレックにジェニファー・アニストン、ジェニファー・コネリー、ドリュー・バリモア、スカーレット・ヨハンソン、ブラッドリー・クーパーといった豪華なスターが多数出演し、全米では興行収入も良かったという。


 しかしながら、数あるエピソードの中でメインに置かれていたのは、恋愛下手にも程があるという勘違い女として描かれているジェニファー・グッドウィン演じるジジ。事あるごとにとんちんかんな行動を取っては自暴自棄になる繰り返しで、男からすれば余りにも鈍感というかバカにも思えるかもしれないが、いつの間にか良き相談役となっていたアレックスと惹かれあっていることに気付いていく。

 他のキャストも悪女っぽい部分がはまり役のスカーレット・ヨハンソンを始め、結婚に焦るジャニファー・アニストンが、多くのファンが持つであろうイメージに近いキャラクターを演じているため、楽しく観ることができる作品となっている。

 とはいえ、この映画はあくまでも女性向け。原作が女性を対象とした教則本であるため、男性には共感できる部分が相対的に少ない上、女性の笑いを誘う場面でも笑顔になることはないだろう。

 また、群像劇としてはラブ・アクチャリーのように多くのエピソードが絡み合って深みを持たせている訳でもなく、個々の独立した世界が、それだけで完結してしまっている点も残念なところ。
 特にドリュー・バリモア演じるメアリーに関しては、脚本の中で存在自体が浮いており、かえって不要な人物紹介を織り交ぜたような印象となっている。

 恐らく、ラブコメ好きな10代から30代の女性には好みの作品として評価されるであろうが、それ以外の客層には薄っぺらい内容と捉えられても致し方あるまい。

 ただ、作品中で使用されていた楽曲には好みのものが多く、使いどころも非常に的を射ていた。
James MorrisonのYou make it realやKeaneのSomewhere only we knowが流れた場面は歌詞が映像を補完するだけでなく、観客の情緒を揺さぶるのに大いに役立っていたし、最後のFriday I'm in loveはハッピーエンドのラストシーンにうまくハマっていた。

 若い世代がデートで選ぶには彼女の満足感も非常に高くなる映画として推薦できるのではないだろうか。


1970年生まれの洋楽・洋画遍歴-Juno

 米アカデミー賞において作品賞を獲る映画には、色々なタイプがあるが、娯楽ものより社会派の作品が有利とされているのは、今に始まったことではない。


 2007年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞と主要部門に軒並みノミネートし、脚本賞で見事オスカーを引き寄せたのが、10代の望まぬ妊娠を描いた秀作「JUNO」。

 主演のエレン・ペイジは多くの賞レースで主演女優賞にノミネートされ、若くしてスターの仲間入りを果たした。


 望まぬ妊娠をしてしまった女子高生が中絶の決意を翻し、子供を生んで養子に出すことを選んだ中、引き取り先の旦那に濃い恋心を抱いてしまう。しかし、仲が良いと思っていた夫婦の離婚話を聞いた途端、彼への気持が冷めてしまい、養子に出すことも拒否してしまうという流れ。


 作品の題材としては決して珍しくないものだろうが、主人公ジュノを演じるエレン・ペイジが迫真の演技によって精神的に不安定で我儘な女子高生を作り上げており、眉をしかめたくなるほど。

 そのためか、感情移入できない部分が余りにも多く、主人公の精神年齢が低すぎる感じが拭えない。


 思春期であれば、はたまた自分が女性であれば、また違った感想を持ち得たのであろうが、とうに少年期を過ぎている男の身には、どうしても不愉快な言動ばかりが目についてしまう。


 それに、起伏のあった中盤と振り出しに戻った感じのあるラストのギャップが、今ひとつしっくり来ない。脚本からすれば自然な流れであっても、自分が劇場で観るべき作品に求めるドラマ性に欠けているというのが正直な感想。

 自宅での鑑賞でなければ、損をしたとまでは言わないが、外で足を運ぶ必要を感じない作品であることには変わりはない。


1970年生まれの洋楽・洋画遍歴-leeland
 10代でデビューし、グラミー賞には2度ノミネート。若くしてクリスチャン・ロック界の新たな旗手と目される存在となっているリーランド。メイン・ボーカルとギターを務めるフロントマン、リーランド・モーリングは、若干11歳にして曲を書き始め、12歳でバンドを結成している。


 当初は牧師の父が勤める教会で演奏するだけの活動であったが、14歳の時にナッシュビルであったコンテストで注目を集め、メジャー・レーベルEMIと契約。フロントマンのファースト・ネームを冠したバンドは、本格的に音楽活動に打ち込むようになる。


 そして2006年、1stアルバム「Sound of Melodies」をリリースしてデビュー。透き通るような歌声に類稀なるポップセンス。その上、18歳にしては洗練されたプレイを見せるバンドは、たちまち話題となって、アルバムはその年のグラミー賞にノミネートされた。


 昨年は2ndアルバム「Opposite way」を発表。今年のグラミー賞にも再度ノミネートされた他、クリスチャン・

ロック界の賞なども授賞し、ロック・ゴスペルの雄として不動の地位を築き始めている。


 今回の来日は、3rdアルバム「Love is on the movie」の発表を夏に控えてのもの。

 とはいえ、ジャンル的には日本では全くと言ってよいほど馴染みのない彼らの音楽。幾ら素晴らしいサウンドを奏でるバンドという評価があるとはいえ、1,000人以上を収容する渋谷AXを埋めるほどの集客力があるとは思えない。
 自分自身も初めて体験するクリスチャン・ロックのライブ。案の定、客の多くは自分と同様に招待券を手にした人ばかりで、開場からしばらくしても場内はガラガラのまま。恐ろしく空いているフロアーには、気の毒な思いさえこみ上げて来た。


 それでも、途中からいきなり観客が増えてくる。それも洋楽のライブ会場では珍しい中学、高校生くらいの団体。

 「~先生も来ている。」などの会話から察するに、ミッション系の学校や教会の日曜学校などに招待券をばら撒いた模様。しかも、その殆どが「このバンド知らないんだけど、、、」などと話している。


 恐らく、リーランドの熱心なファンというのは、会場の中でもほんの一握り。しかも、自分を含めて彼らのアルバムさえ聴いたことがない観客が大多数を占めていたのだろう。


 そんな中、バンドのメンバーがほぼ定刻通りに登場。1曲目の"Can't stop"から、キャッチーなメロディーのポップ・ソングが観客の心を掴む。


 リーランドの歌声はとても繊細かつ聴き易く、バンドの奏でるサウンドも安定したもの。年齢的には若くとも、10年近いキャリアを持つだけに、ライブにおける実力は相当なものであることが見て取れた。


 しかしながら、2曲目の"Wake up"を聴いた頃から多少不思議な感覚が芽生え始める。

 リーランドの兄であるキーボードのジャック・モーリングは、最初から天を仰ぎ見るようなポーズを取っていたのだが、妙にその回数が多いのだ。

 曲の中に「God」や「Jesus」というフレーズが出て来るのに合わせているのかと思い、始めはそれ程気に留めていなかった。


 それが、続く曲"Let it out now"でも「God says」や「Lord」という単語が出て来ると、クリスチャン・ロックというものが何なのかおぼろげに見えてくる。


 決定打は4曲目に披露された"Save your people"。まずはリーランドがオーディエンスに手拍子を要求。

ここでバックにプロジェクターによって歌詞が映し出され、「Save your peolple, oh Lord」を皆に歌わせる。

続く「la la la ~ hey hey」では高校生くらいの観客が中心となって腕も上がり始める。


 確かに会場の熱気はメンバーによって上がっていた。

とはいえ、全てが神を称える歌なのか?という疑問が自分の中に巻き起こる。

 クリスチャン・ロックとはそういうものであり、だからこそ彼らの音楽がそこにカテゴライズされているのだろうが、オルガンやハーモニカといったゴスペル・ミュージック伝統の形とは違いロックバンドと同じ編成のグループだけに宗教色がここまで強い歌は想定外であった。


 どちらかと言えば、もう少し全人類に普遍的な愛の形などを歌ったものを想像していたので、その後も歌詞の中に「God」や「King of the world」といった言葉が出て来ると耳についてしまい、今一つノリ切れずにいた。


 こうなると、執拗に繰り返されるジャックの天を仰ぐ姿も、些か大袈裟というか過剰な演出に感じられてしまい、こちらの熱を削ぐような気分に。


 しかも、"Tears of the Saints"を終えると、女性の通訳が登場。リーランドがダビデ王のテーブルにつく際の話を翻訳し始める。

 聖書の中でも最も好きな話の一つだと言うエピソードを紹介しながら、リーランドは涙ぐむような声に変わり、気分が高ぶっているのが分かった。

 そして、その話を基に作られた"Carried to the table"へ。正直、ここまでやられると、何かの布教イベントのような空気さえ感じてしまう。


 個々の楽曲は非常にキャッチーなものが多く、歌詞も至ってシンプル。上質なポップ・サウンドをキリスト教の世界観の基でプレイしているだけと割り切れれば良いのだが、こうした音楽に宗教色が重なることに慣れていない自分にはどうにも違和感が強かった。


 優しさの感じられる"Sound of melodies"などはメロディアスで、一度聴いただけで気に入る人もいるだろう。

 しかし、本編の最後に持って来た"Follow you"にしても、アンコール後のラストを飾った"Hey"にしても、布教を受けているような感覚に襲われてしまう。

 洗脳と言うには言葉が強いだろうが、もう少し歌詞に工夫があってもよいのではないかと考えてしまう。


 良いライブである条件を数多く満たしながらも、これほどノリ切れなかったことは初めての経験。

きっとライブを聴きながら、終演後のCD購入の予定が購入取りやめに変わった人も少なくなかったはず。

サウンドだけを取り上げるなら、洋楽主体のフェスに出演しても大いに受ける類であることは間違いないが、クリスチャン・ロックというジャンルが開拓される気配を持たぬ極東の島国では、今後も苦戦を強いられることだろう。


5月29日(金) リーランド来日公演 セットリスト 渋谷AX

01 Can't stop

02 Wake up

03 Let it out now

04 Save your people

05 Yes you have

06 May our praise

07 Tears of the Saints

08 Carried to the table

09 Sound of melodies

10 Follow you

=== Encore ===

11 Don't go away

12 Hey