自分の人生、と言っても20年ほどだが、振り返って見ると平凡である。
親にも先生にも厄介になったことはないし、友達と大喧嘩して絶交になったこともなく、大きな失敗、過ちを犯したこともない。至って平凡。
昔イッテQで、ベッキーが自分の芸能生活を振り返って「ツーーっ」と言っていたが、自分の人生の平凡さを表すのにピッタリだなと思う。
なぜこうも平凡なのか?
いろいろと理由はあるが、まずは「怠惰」が原因だと思う。
怠惰とは、なまけぐせ、である。
行動をする基準として、
「必要かどうか」
「やらないと死ぬか」
が常に頭にある。
そしてやらなくてもいける、今風に言えば「耐える」とき、僕の行動力は0になる。
大学生は自由である。文系の自分はますます自由である。
授業についてみるに、課題は大してない、出席もない、成績評価は期末テスト一本勝負(ここまで書くと何学部かバレそうである)。テストさえ「耐えれ」ばあとはどうしようが自由である。
部活もそうだ。やりたくなければやらなくていいし、しないことの弊害と言えば「ガクチカ」の選択肢が一つ減るだけである。もっとも部活以外にも「ガクチカ」はごまんとある。
ただし、怠惰な人間が積極的にボランティア活動に勤しんだり、留学に行ったり、旅行をしたり、というようなことはあまり考えられない。その点、部活とは怠惰な人間にとって便利なもので、自分を規律する有効手段になる。
ともかく自由な「大学生」という身分になったことで、自らの怠惰に気づかされた。
さて、はたして怠惰は「悪」であろうか?(「はたして」と言ったが、別に何か結論に達しようという意図はない)
「省エネ」が善とされる社会なら、必要最小限しか活動しない怠惰は称賛されるべきではなかろうか。
本当に必要なときのためにエネルギーを蓄えているのではないか。
効率を追求する上で、最小限度で活動することは至って合理的ではないか。
僕が思うに、怠惰そのものに負の効果があるものではない。
そもそも怠惰は人の性質の一つなのだから、善悪の価値判断で使うようなものでもないのかもしれない。
「怠惰さ」は何かのバロメーターにはならない。
ここまで読んで「なら、なぜブログという、怠惰な人間が真っ先に切り捨てそうなことをするのか」と思われた方もいるかもしれない。(初めてのブログ記事でいきなり読者を想定しているのは「寒い」感じもあるが、いい言い回しが思いつかなかったのである。だいたい、読む人がいると思わないとブログなんて書けない)
それはまたおいおい書くとして、いったん切り上げることにする。