最近コーヒーを飲んだりしながら、合い間に音楽も聴き、読書が進む。読書をすると多くの疑似体験ができるから素晴らしいと思う。一人の人間の場所的、時間的制約で体験することは制約があるから、読書を通せば、殺人を犯した人の罪悪感も共有できる。深い所では難しいだろうが、表現者の腕にかかるところが大きい。また自分の心臓をわしづかみにする作家を探すのも読書の醍醐味だ。小さい時から、絵本の読み聞かせなどをとおして、子供が親や大人から学ぶことは影響力もあるし、教科化された道徳よりずっと意味があると思う。絵本の読み聞かせなどを広め、子供達に本が好きになる機会を増やす活動がしたいです。同じ本を読んでも国語みたいにみんな同じように感じる必要ない。昔の恋の短歌にも、みんな賛同するはずがない。私はこんな恋は嫌だと思う人もいるはずである。国語の勉強みたいに、それが、情緒ある恋なんてクソ喰らえだ。みんな育った環境違うんだから。自分の感性を大切にしよう。