私は大学の時あらゆるバイトをした。昨日弘前城の曳き家が行われたとニュースがあったが、曳き家のバイトもしたことがある。柔道部の監督がその建設会社を経営していた。今辺野古で行われている海での地質調査、ニュースで見るたび懐かしいなと思っていた。沖に高い支柱をクレーンで立てて、港で組み立てたやぐら、ボーリングの機械を据え付け、毎朝渡しの船で渡りボーリング作業をする。海のうねりが高ければ、渡れないから中止、最後撤収の時、クレーンの操作のおいちゃんが誤って、支柱を私の真後ろに落とした。にいちゃん動くなって言われ、後ろでズドーンと音がした。血の気がひきました。道路の舗装工事、渋滞の長さを測るバイト、浄化槽に入れる砂をひたすら階段で5階まで運ぶ仕事。すべて勉強になった。卒業してから母に話してそんなにバイトしてたのとびっくりしていた。授業料免除の成績も保たなくてはならないかったから、大変だった。あの頃のようにまたがむしゃら没頭したいと思うばかりです。障がいのこともあり、体が追いつかないのが情けない。きっと学生時代のバイトが生かせる日が来ると思う。だから、かなり年配の上司とは話が合うのだが。絵に描いたような苦学生でした。